2017年9月9日土曜日

毎年看板を掛け替えては予算を拡大させる安倍政権の放漫財政

 アベノミクスが始まってから5年が経とうとしています。国はこの間、景気の浮揚のために年金積立金による株の購入や年間80兆円の日銀の国債買い取りなど莫大な資金を投入しました。しかし何の効果も出ないので、安倍内閣はいまだに「道半ば」だと称しています。「道半ば」とは失敗を糊塗するのに便利な言葉ですが、10年が経ってもそう言い募る気なのでしょうか。

 安倍内閣の特徴は、毎年次から次へと新しい看板を掲げては、次はこうするというポーズを見せますが、過去に掲げたスローガンの唯の一つも満足に遂行されたものはありません。丁度、上手く絵の描けない子供が次から次へと画用紙を取り換えて描き直すのと同じです。
 だから過去のスローガンがどのように遂行されたのか、何が原因で失敗したのかの説明は一切ありません。格好が悪くてできないからですが、そんな体たらくをよく続けられるものです。

 経済学者の高橋乗宣氏が、
安倍政権がこの4年間連続で100兆円の大台を超える予算を組んでいるのは、15年度は「地方創生」、16年度は「1億総活躍社会の実現」17年度は「働き方改革」、そして18年度は「人づくり革命」という、年替わりの大仰な看板を掲げては大盤振る舞いをした結果である。
 しかし「地方創生」にせよ、「1億総活躍社会」にせよ、たった一年度で達成できるものではなく、どれをとっても5年、10年をかけて取り組むべき壮大なテーマである。
 大きな看板を一度掲げた以上はこうした問題を年度ごとに整理して解決の筋道を立てていくべきものだが、安倍政権は問題を積み残したまま、次々と新たな看板に取り換えてしまう。極めて無責任だ
と述べました。そして、
安倍政権が終わったときは敗戦直後のような混乱と厄介な戦後処理が待ち受けている公算が高い
と結んでいます。
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  日本経済一歩先の真相
この国に「第2の敗戦」をもたらす 安倍政権の放漫財政
高橋乗宣  日刊ゲンダイ 2017年9月8日
 世界中が北朝鮮の核・ミサイル開発問題にのめり込んでいる中、安倍政権が来年度予算の概算要求をまとめた。これがまたとんでもない規模で、総額は101兆円超に膨らんだ。100兆円の大台を超えるのは実に4年連続となる。

 15年度は「地方創生」の看板を掲げ、101.7兆円。16年度は「1億総活躍社会の実現」と称して102.4兆円。17年度は「働き方改革」で、101.4兆円。そして18年度は「人づくり革命」という仰々しいテーマを掲げ、各省庁がこぞって予算を積み上げた。
 安倍政権は年度が替わるたび、新たな看板を掲げ、そのための予算なら目いっぱい、認めてしまう。その繰り返しが、4年連続の概算要求100兆円超突破だ。

 それにしても「地方創生」にせよ、「1億総活躍社会」にせよ、たった一年度だけ予算を積み上げたところで達成できるものではない。どれをとっても、5年、10年をかけて取り組むべき壮大なテーマである。安倍首相もひとたび旗を掲げたら、少なくとも自身の任期中はそのテーマを精いっぱい、追いかけるべきだ
 ところが、毎年、看板を掲げては下げ、また新たな看板を掲げるのみ。大きなテーマに取り組めば、必ず関連した新たな問題が出てくるものだが、そのケアは怠っている。

「1億総活躍」を掲げ、女性の社会進出を後押しするのは結構なことだ。労働力が足りない現状で、優秀な女性の力を生かし、働きに出るまではいいのだが、それに付随して保育所不足が全国規模で問題になっている。待機児童の数は3年連続で前年を上回っているのだ。
 大きな看板を一度、掲げた以上、こうした問題を年度ごとに整理して解決の筋道を立てていくべきものだが、安倍政権は問題を積み残したまま、次々と新たな看板に取り換えてしまう。極めて無責任だ。

 国のカネが有り余っているのならいざ知らず、4年連続100兆円超の放漫財政はどうしても国債に依存するハメになる。国の借金の残高は軽く1000兆円を超えている。これだけ膨らんでも市場金利に影響が出ていないのは、日銀が異次元緩和の“黒田節”で国債を大量に買い漁っているからだ。
 景気の改善も望めず、消費税率10%へのアップも2度も延期。国家財政のあり方には目もくれず、毎年、国民受けしそうな看板を掲げ、日銀に“どんぶり勘定”のツケを肩代わりさせる。この財政のあり方は太平洋戦争の時代と一緒だ

 こんな政権にはサッサとお引き取り願いたいが、次の政権は大変だ。借金1000兆円の後始末に難儀し、日銀のマイナス金利政策の出口戦略も見えてこない。安倍政権が終わったら、敗戦直後のような混乱と厄介な戦後処理が待ち受けている公算が高い。

高橋乗宣  エコノミスト
1940年広島生まれ。崇徳学園高から東京教育大(現・筑波大)に進学。1970年、同大大学院博士課程を修了。大学講師を経て、73年に三菱総合研究所に入社。主席研究員、参与、研究理事など景気予測チームの主査を長く務める。バブル崩壊後の長期デフレを的確に言い当てるなど、景気予測の実績は多数。三菱総研顧問となった2000年より明海大学大学院教授。01年から崇徳学園理事長。05年から10年まで相愛大学学長を務めた。
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