2017年9月20日水曜日

ナチ研究の第一人者に聞く 自民案 緊急事態条項 の正体

 第一次大戦で敗れたドイツはワイマールの地で当時世界の最先端を行く民主的な憲法(ワイマール憲法)を制定しました。しかしその48条に「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)―それは統治者を善とする性善説に基づいて制定されたのですが― が盛り込まれたいたため、ヒトラーはそれを乱用して独裁体制を確立しあの空前の悲劇を引き起こしました。
 その直前まではドイツには自由主義的な空気が満ちていて、共産党は第2党の地位を占めていましたが、緊急事態条項によって数千人の党員が投獄されやがてナチス独裁の恐怖政治に移行しました。

 フランスでは、法律として「非常事態法」を制定していたので、2015年11月13日にパリ同時多発テロが起きた際に、同法に基づいて13日の期間限定の非常事態宣言を発令しました。しかしすぐに期間を3か月に延長する法改正を行い、以後再延長が延々と繰り返されて現在に至っています。
 これは法律なので「憲法違反」だと訴える余地はあるものの、かなり以前の段階で令状なしの家宅捜索は既に4千件に達していました。

 自民党は、緊急事態条項は大災害の時に必要だからという物言いで導入しようとしています。しかし東日本大震災や熊本大地震で明らかなように、適切な施策・救済が行われないのは何も緊急事態条項がないからではなく、行政の側に災害に適切に対応する知恵も能力もないからです。法律の専門家たちは、日本には災害対策基本法をはじめ必要な法制度は完備しているとしています。

 一体、大災害時に何故『戒厳令』を敷かなくてはならないのでしょうか。戒厳令で真っ先に行われるものは言論の封鎖です。それでは被災地の「政府に不都合な」現実が中央に届かなくなり、被災地の要求の反映も保障されなくなります。
 この危険きわまる「緊急事態条項」を「大災害対応」を口実にして憲法に盛り込もうとするのは国民を欺くもので、それに同調している大メディアも同罪です。

 日刊ゲンダイが、ナチス研究の第一人者である石田勇治・東大大学院教授(ドイツ近現代史)に、「自民党案の『緊急事態条項』の正体について」インタビューしました。
 石田氏は、法律によって緊急時に「例外的・一時的に」自由の制限を行うことと、「緊急事態条項」を憲法に書き込むことは大きく異なると述べ、日本国憲法に自民党改憲案のような「緊急事態条項」が盛り込まれたら、たちまちナチ前夜のような危機的な状況になる可能性があると述べています。

「緊急事態条項」の導入は9条の改憲よりも危険だと言われています。それはナチスの暴虐がそれによって可能になったことを思えば頷けることです。
 日刊ゲンダイの記事を紹介します。

  (関係記事)
    2013年8月3日 ワイマール憲法下でなぜナチス独裁が実現したのか
    2016年9月17日 トルコ非常事態法によるすさまじい実例
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  注目の人 直撃インタビュー
ナチ研究の第一人者が看破 自民案「緊急事態条項」の正体
 日刊ゲンダイ 2017年9月19日
 「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもだめだ」。派閥会合でこう発言し、撤回を余儀なくされた麻生太郎副総理。4年前にも「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に代わった。あの手口に学んだらどうかね」などと、安倍政権の改憲を後押しするためにナチスを例に挙げて批判を浴びた。
 ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)や近隣諸国に侵略して第2次大戦を引き起こしたヒトラーの動機を「評価」し、「手口を学べ」とは正気の沙汰とは思えないが、そのヒトラーが独裁のために乱用したのがワイマール憲法第48条の「大統領緊急措置権」。いわゆる自民党の改憲草案98~99条に規定された「緊急事態条項」だ。北朝鮮情勢の緊迫化を口実に好戦姿勢を強め、改憲をもくろむ今の安倍政権は、ドイツ近現代史の専門家である東大大学院教授の石田勇治氏の目にどう映っているのか。

■麻生発言は国益を損なう
麻生副総理の発言をどう捉えましたか。
 ナチ・ドイツやヒトラーの歴史の受け止め方というのは、国や地域によって異なるとはいえ、国連総会がアウシュビッツ収容所の解放日にちなんで「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」(1月27日)を定め、人権侵害の再発防止を世界中に呼びかけている。そんな中で、肯定的とも受けとれる言葉でヒトラーを引き合いに出して自分の考えを伝えようとした。それも、政権中枢にいる副総理が、2度もです。今回の失言も全世界に配信されましたから、国益への打撃は大きいと言わざるを得ません。

麻生発言に対して中国や韓国は即座に反発しました。
「やはり日本は信用できない国だ」「そういう政治家を選挙で選んだ国民も問題だ」と近隣諸国から指摘されかねません。

ナチ・ドイツを評価する発言の真意はどこにあると思いますか。
 麻生氏の発言は歴史家が検証してきた史実から乖離している部分も多く、勝手に思い描いたナチ・ドイツのイメージに彼がどんな憧れや共感をもって発言しているのかは不明です。しかし、「緊急事態条項」を日本国憲法に加えたいと主張する自民党の政治家が「ナチスの手口」を学ぶべきだと公言したことを見過ごしてはなりません。ナチスは「大統領緊急措置権」すなわち「緊急事態条項」を乱用して独裁への道を開いた。つまり「ナチスの手口」とは、ずばり「緊急事態条項」のことなのです。

自民党の改憲草案の解説書「Q&A」では「緊急事態条項」を盛り込む必要性について〈東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて〉と述べています。2015年11月にパリ同時多発テロが発生した際、オランド仏大統領は非常事態宣言を出しました。日本でも当時、改憲して「緊急事態条項」の規定を盛り込むべき―といった声が出ましたが、どこが問題なのでしょうか。
 オランド大統領が出した非常事態宣言は、憲法ではなく、法律に基づくものですから、これを持ち出して改憲論議を進めるのは筋違いです。憲法上の「緊急事態条項」は、国難に直面した際、優れた指導者がきちんと判断してくれることを期待して国民が持つ権利を停止し、あらゆる権力を政府に委ねること。つまり、性善説に立っています。

―あくまでも為政者が誤った判断をしないだろうと信じて一時的に強権力を与えるのですね。
 しかし、憲法に基づいて政治を行う、立憲主義を止めてしまうわけですから、それまでの民主的な統治形態を放棄してそのまま恒久的な独裁に転じる危険性を秘めている。憲法で国民の自由を保障したまま、法律によって、緊急時にのみ「例外的に」「一時的に」自由の制限を行うことと、「緊急事態条項」を憲法に書き込むことは大きく異なるのです。1933年に首相となったヒトラーは、ワイマール憲法48条を徹底的に乱用しました。例えば、新聞に少しでも批判的な記事を載せたら、たちまち拘束するなど言論統制を進めました。そして「国会議事堂炎上事件」が起きると、緊急事態を宣言して、国民の基本権を停止しました。「一時的な措置」だとされましたが、結局、1945年の終戦まで独裁は持続し、ホロコーストに帰着しました。

自民党改憲案は実に乱用しやすい内容

確かに今の日本で政権や政治家に性善説を求めるのは難しいですね。
 問題が起きても真実はごまかし、国民の目からそらしてばかり。これから10~30年後、あるいはもっと先にどんな政治家が現れるのかを考えた時、従来のような性善説に立った発想で権力を委ねていいのでしょうか。仮に日本国憲法に自民党改憲案のような「緊急事態条項」が盛り込まれ、悪意ある政治家、あるいは悪意はなくとも、時の為政者の誤った判断で乱用されたら、取り返しのつかない事態に陥ります。そんなリスクの高い独裁権力を政府に与える必要はありません。大災害に備えるためというのであれば、現行の災害対策基本法などを周知徹底し、法律を整備して対応すればいい。それで十分です。

それでも安倍政権は改憲して「緊急事態条項」を盛り込みたい考えです。とりわけ最近は北朝鮮のミサイル・核開発の危険性をあおり、世論を喚起するような姿勢が目立ちます。ナチ・ドイツがワイマール憲法48条を乱用していった時と今の日本の状況は似ているのでしょうか。
 今の政権を見ていて、確かに政治姿勢やメディアの使い方、ポピュリズム的な対応の部分で危険な兆候が見られます。しかし、今の日本がナチ前夜の状況なのかと問えば、それは違う。なぜなら、日本国憲法のなかに「緊急事態条項」が存在しないからです。仮に日本国憲法に自民党改憲案のような権力の集中に対して警戒心の薄い「緊急事態条項」が盛り込まれたら、たちまちナチ前夜のような危機的な状況になるかもしれません。「ナチスの『手口』と緊急事態条項」の中で憲法学者の長谷部恭男さんと議論したことですが、緊急事態の期間の設定の仕方や司法によるチェックに重きを置いた、米独仏などの「緊急事態条項」と比較すると、自民党改憲案のそれは政権に対して甘い内容、実に乱用しやすい内容なのです。

安倍首相は5月に独自の改憲案を新聞発表し、高村副総裁は来年の通常国会に改憲原案を提出したい意向を示しました。安倍首相はなぜ、これほどまでに改憲したいのだと思いますか。
 ひとつには、「アメリカに憲法を押し付けられた」というルサンチマン(恨みつらみ、憤り)でしょうか。しかし、憲法というのは、世界の人権の歴史とほぼ一緒に発展してきた普遍的なものであって、日本固有なものが必要だという考え方は理解しがたい。もうひとつは、日本をいざとなったら戦争態勢だってとれる「普通の国」にしたいのでしょう。「緊急事態条項」は9条の問題とリンクしていると思います。「緊急事態条項がなければ戦争はできない」と為政者が考えても不思議はありませんから。

■ドイツは日本と違って過去の問題を避けなかった

北朝鮮問題に対し、ドイツのメルケル首相は一貫して「平和外交」を強調し、「圧力を強める」と声高に叫んでいる安倍首相の姿勢とは真逆です。同じ敗戦国でありながら、依然として中国や韓国とギクシャクしている日本はドイツと何が違うのでしょうか。
 ドイツは地理的に遠いので、北朝鮮への対応が違うのは当然でしょう。ただ過去の問題への対応も違います。ドイツでは1960年代から、ナチ時代を反省する声が出てきました。どの国も自国の負の部分については目を背けたいもの。しかし、ドイツでは政治家も国民も、ナチ問題は国の根幹にかかわる深刻な問題として受け止めました。そして1990年の東西ドイツ統一をきっかけに加害の過去と向き合う公的規範ができあがりました。一方、日本の場合は、かつての軍部独裁や、南京虐殺、731部隊などの戦争犯罪が提起する問題に、政治家も国民も十分に向き合ってこなかった。ドイツが日本と異なるのは、そうした過去の問題を避けなかったことです。

「緊急事態条項」を阻止するためにメディアは何をするべきだと思いますか。
 メディアは単に情報提供するのではなく、アジェンダセッティング(議題設定)もジャーナリズムの重要な役割です。「緊急事態条項」についても性善説で論じられる問題や危うさをきちんと報じるべきです。この条項が憲法に書き込まれ、いつか発動されたとき、真っ先に失われるのは言論・報道の自由だと思います。(聞き手=本紙・遠山嘉之)

▽いしだ・ゆうじ 1957年、京都府生まれ。59歳。東京外国語大卒。東大大学院社会学研究科修士課程修了。独マールブルク大博士号取得。東大教養学部助教授を経て05年から現職。ベルリン工科大客員研究員、ハレ大客員教授を歴任。著書に「ヒトラーとナチ・ドイツ」(講談社現代新書)、「過去の克服 ヒトラー後のドイツ」(白水社)など多数。最新刊(憲法学者の長谷部恭男氏と共著)は「ナチスの『手口』と緊急事態条項」(集英社新書)。