2016年10月13日木曜日

「南スーダンは戦闘状態でなく衝突」とインチキ答弁

 「白紙領収書」の問題では、稲田防衛相、菅環濠長官、高市総務相などが領収書の金額などを自分たちで書き込んでいたことを認めたものの、高市総務相らは「法的に問題はない」と開き直りました。
 実際は問題がないどころか、総務省の出している「国会議員関係政治団体の収支報告の手引」では、領収書には
  ・ 支出の「目的」「金額」「年月日」の3事項が記載されている必要がある
  ・ それらを支出した側が追記することは適当でない
とされています。
 こんなことは総務省の通達をまつまでもなく常識の範囲であって、もしも自分で作った領収書が有効であれば、税務申告はおろか世上の貸借契約なども全て成り立たなくなります。
 これはほんの一例に過ぎないもので、安倍政権下ではこんなデタラメが堂々と通用しているわけです。マスメディアに政権批判の精神が欠如している中で、政権党が絶対多数をが占めればどうなるのかということの分かりやすい例です。
 
 そしてそのデタラメぶりが、いま自衛隊員の生死にかかわる問題:「駆け付け警護」ほかに関する国会審議の中でも発揮されています。
 南スーダンでは今も政府軍と反政府軍との戦闘が止まずに、7月には約300人の死者が、そしてこの8日には21人の死者が出たばかりです。しかし政府はそれを決して「戦闘」と認めようとしません。戦闘と認めると、PKO協力法「参加5原則」から逸脱することになるからです。 
 LITERAの記事を紹介します。
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安倍首相が自衛隊の駆け付け警護、戦争参加強行のためにインチキ答弁
「南スーダンは戦闘状態でなく衝突」
LITERA  2016年10月12日
「PKO法との関係、五原則との関係も含めてですね、『戦闘行為』という定義があるものについては、それにはあたらない」
「われわれは、それは一般的な意味として『衝突』という表現を使っているところでございます」
 南スーダンの自衛隊PKO、そして、新安保関連法に基づき新たに付与される可能性の高い「駆け付け警護」等の任務をめぐって、またもや国会で安倍政権のトンデモ発言が飛び出した。
 
 現在、自衛隊がPKOに従事する南スーダンでは、政府軍と反政府軍による銃撃戦等によって民間人を含む多数の死傷者が出ており、7月には首都・ジュバで少なくとも300人が死亡した大規模戦闘が発生。しかも、自衛隊の宿営地からわずか100メートルの距離で銃撃戦が断続的に続き、流れ弾の弾頭が宿営地内で見つかったことも判明している。
 だが、こうした状況下で、安倍政権は南スーダンへの自衛隊派遣をめぐり、そこに新たに「駆け付け警護」と「共同基地防衛」の任務を付与することを考えている。これを国会で追及されて飛び出たのが、冒頭の"南スーダンで戦闘は発生していない"なるトンデモ答弁だったのだ。
 
 10月11日衆院予算委での問題の流れはこうだ。先週末、延期していた南スーダンへの現地視察を終えた稲田朋美防衛相は「ジュバ市内が落ち着いていると目で見ることができた」と語り、新任務付与に前向きな姿勢を見せたが、これについて民進党の大野元裕元防衛政務官が質問。ジュバでの事案を「戦闘」と認識しているかただすと、稲田防衛相は「7月には『衝突事案』もありました」と、法律上の定義のある「戦闘行為」ではなく「衝突」だと繰り返し、議場は紛糾、審議はたびたび中断した。そこで、今度は安倍首相が出てきて、やはり "戦闘ではなくて衝突" と大見得を切ったわけである。
「われわれは『衝突』、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っているところでございます」
 
 誰がどう見ても詭弁だ。たしかに、日本政府が定義する「戦闘行為」は「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」というもの。南スーダンの政府軍と反政府軍間の"内戦"は「国際的な武力紛争」とみなさないという見解なのだろう。しかし、国会で改めて問われたのは「戦闘行為」云々ではなく、ジュバの事案が「戦闘」にあたるかどうかだ。実際、国連は7月の南スーダンの戦闘を「fighting」と表現しており、これを単に「衝突」とするのは、どうやったって無理がある。
 しかも、安倍首相は、事実として武器等を使用した殺傷行為が行われていることは認めておきながら、"戦闘ではなく衝突" と言い換える。言葉遊びだ。いわば「刃物を持って押し入って身ぐるみを剥がしたけれども『強盗』じゃない」などと言っているのと同じ。むちゃくちゃにもほどがある。
 
 では、なぜ日本政府は頑なに「戦闘」だと認めたがらないのか。それはやはり、南スーダンを「駆けつけ警護」の先例とするために他ならない。「駆けつけ警護」とは、自衛隊が現地の武装勢力などから直接攻撃を受けなくとも、国連やNGO関係者が襲撃された際に現場に駆けつけて救助するというもので、武器使用が認められる。自衛隊ではすでに「駆けつけ警護」の訓練が開始され、先月の日米防衛相会談でも稲田朋美防衛相が米側にそのことを報告していたように、安倍政権はいま新安保関連法の"実績作り"に躍起になっている。
 
 ところが、前述したように治安が悪化している南スーダンでは、「駆けつけ警護」の舞台となる自衛隊のPKO参加自体が疑問視されている。たとえば、PKO協力法にある「参加5原則」では、紛争当事者間の停戦合意の成立が条件のひとつとなっているが、ジュバの大規模戦闘などを見ても明らかなように、政府軍と反政府軍の停戦合意は事実上崩壊しているからだ。
 しかし、これまで日本政府は、この「停戦合意」は"南スーダンがスーダンから独立した際の合意である"という屁理屈を用いて、無理やり南スーダンPKO参加を正当化してきた。つまり、日本政府の建前としては、南スーダンは現状「停戦中」であり、そこで「戦闘行為」は行われていないと主張するのだ。
 
 逆に、政府軍と反政府軍の間の "内戦" を「戦闘」と認めてしまうと、世論はPKO参加に否定的に傾き、よしんば参加を断行しても「駆けつけ警護」の条件である「戦闘行為が行われることがないと認められること」に疑念を持たれることは必至。ゆえに、安倍政権は「戦闘」を「衝突」と言い換えることで、世論の反発を抑えようとしているのだろう。まるで、「戦争」を「事変」と言い換えて批判を回避しようとした戦中を彷彿させるではないか。
 
 しかし、繰り返すが、南スーダンでは相次ぐ戦闘によって民間人も犠牲になっており、今年7月には中国のPKO部隊が攻撃を受け、隊員2人が死亡したと当局が発表。このままでは自衛隊からも被害者がでることは火を見るより明らかだ。また、稲田防衛相は「治安は落ち着いている」と嘯くが、ロイター通信によれば今月8日にも、市民を乗せたトラックが反政府側とみられる武装グループに襲われ、21人が殺害されている
 
 さらに実際に外国のNGO関係者らが泊まるジュバ市内のホテルが兵士100人に襲撃された事実も判明している。10日放送の『NEWS23』(TBS系)では、フィリピン人のNGO職員のジアン・リボット氏がその時、同僚が殺害された様子をVTRでこう語っている。
「私たちの目の前で彼は射殺された。敵対する部族の出身だという理由で彼は射殺された」
 
 殺害されたNGO職員は、額の模様から反政府側の部族出身であることが明らかだったという。さらに、番組では「大統領警護隊のワッペンを付けている兵士がいました」という証言も紹介。つまり、ホテルを襲撃したのは政府軍の兵士だった可能性が高いのだ。
 このケースでは、リボット氏らは襲撃された際、PKOに連絡していたという。つまり、実際に「駆けつけ警護」が要請されたことになるが、仮に同様のケースで自衛隊が「駆けつけ警護」を行い、政府軍の兵士と戦闘になれば、《国際紛争を解決する手段として》武力行使等を禁じた憲法9条に明らかに違反する
 
 安倍首相は昨年9月14日の安保法制特別委で、「駆けつけ警護」についてこのように答弁していた。
「領域国の受入れ同意は、国際法上の要件としてだけではなくて、このような前提を確保することによって国又は国に準ずる組織が登場しないことを担保する」
 つまり「駆けつけ警護」では、「国又は国に準ずる組織が登場しない」ことを想定していたのである。ところが、リボット氏らのケースで襲撃したのは、「国又は国に準ずる組織」である政府軍の兵士だった。しかも南スーダン政府は表面上PKO部隊増派受け入れを表明してはいるものの、部隊には「必要なあらゆる手段を行使」できるなど非常に強力な権限が与えられており、南スーダン政府幹部は「内政干渉だ」などと強く批判しているという。こうした状況を考えれば、自衛隊と政府軍が対峙する可能性も決して低くない。
 
 ようするに、そもそも南スーダンへのPKO派遣自体が違法である疑いが濃厚であるにもかかわらず、安倍政権はいま、さらに自衛隊に「駆けつけ警護」等の新任務を付与しようとしているのだ。しかもそのために、実際は多数の犠牲者が出ているのに「治安は落ち着いた」などと平気で嘘をつき、さらにその点を国会で指摘されると「戦闘」を「衝突」と言い換え、とことんゴマカシにかかる。こんなデタラメがまかり通っていいわけがない。
 
 何度でも言うが、この安倍政権の方針の先に待っているのは、自衛隊員の"戦死"、そして、外国の政府軍と日本の自衛隊が殺しあう戦後初の "戦闘" だ。それでも安倍首相が「駆けつけ」警護を付与しようと言うのならば、もはやそれは "戦争の準備" としか言いようがないだろう。
 
 安倍政権の卑劣な詭弁を、このまま看過してはいけない。自衛隊員の"戦死"、そして日本の"戦争突入"を防ぐために、あらためて新安保関連法という異常な法律を廃止に持っていく必要がある。(宮島みつや)