2016年9月1日木曜日

(社説) 今、憲法を考える (3) 明治の論争が試される (東京新聞)

 大日本帝国憲法(1889年・明治22年)を作った伊藤博文らは、それに先立つ1875年(明治8年)には「立憲政体の詔書」を出して、立憲政治の骨格を固めました。維新後数年のうちに立憲主義を会得していたわけです。森有礼も、財産・言論などの自由と権利、つまり人間の持っている「自然権」について明確な認識を持っていました。

 東京新聞は、人権宣言から二百年を超す今、日本で「天賦人権説への異論が出るとはまことに恥ずかしい」ことであると述べています
 
 恥ずかしいといえば、近年「自分は天賦人権説に立たない」と高言し、生活保護費受給者へのバッシングに励んでいる片山さつき議員は、2009年の衆院選(落選)と2010年の参院選(当選)で有権者の前で土下座を繰り返したことで有名です。
 自らが議員の地位を得るためには土下座でも何でもするものの、一旦議員の地位を獲得してしまえばたちまち「神の地位」に上ってしまうという浅薄さは一体何なのでしょうか。(片山さつき関連記事も参考までに添付します)
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【社説】 今、憲法を考える  (3) 明治の論争が試される
東京新聞 2016年8月31日
 大日本帝国憲法をめぐる枢密院での伊藤博文と森有礼との論争は有名である。伊藤は初代首相、森は初代文部相となる重鎮だ。伊藤は憲法創設の精神を語った。
 <第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ>
 立憲君主制をめざしたので、君主の権力を制限して、国民の権利を保護すると述べたのだ。憲法で権力を縛る立憲主義の根本である。
 
 森の答えが実に興味深い。
 <臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ、人民ノ天然所持スル所ノモノニシテ(中略)憲法ニ於テ此(これ)等ノ権利始テ生レタルモノヽ如ク唱フルコトハ不可ナルカ如シ>
 生まれながらにして持つ権利は憲法で明文化する必要はないと主張しているのだ。弁護士の伊藤真さんに解説してもらった。
 「明文化すると、明文化されていない権利が無視されることを恐れたのです。人間の持つ自然権は、すべてを書き尽くせません。基本的なことを書き、時代に即して解釈していく方が幅広く人権を守れると考えたのです」
 
 自然権は十七世紀に活躍した英国の思想家ジョン・ロックらが主張した。権利を守るために契約により政府をつくる。もし、正しい政治がなければ、国民が政府に抵抗する「抵抗権」を認めた。さて自然権を憲法に書くべきか-。
 一七八七年の米合衆国憲法には当初なかった。九一年の修正条項で自由と権利が規定された。フランスの一九五八年の憲法でも規定がないが、前文で一七八九年宣言への至誠をうたう。フランス革命時の有名な人権宣言である。つまり、生まれながらに持つ自由と権利は自明の理なのだ。
 
 「天賦人権説」という。日本国憲法もこの考え方に基づくが、自民党の憲法改正草案は同説を採用しないと公言する。草案は「公の秩序」が人権より上位にくるような書きぶりだ。まるで国が恩恵として与える明治憲法の「臣民の権利」と同じだ。
 作家の高見順は一九四五年九月三十日の日記に書いた。
 <戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのなら分るが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥かしいことだろう>
 
 明治の森有礼でさえ、自由と権利を「人民ノ天然所持スル」と述べた。人権宣言から二百年を超す今、天賦人権説への異論が出るとは、まことに恥ずかしい。
 
 
片山さつきも参戦! NHK貧困JKバッシングの嫌な感じ 
Dot ニュース 2016年8月31日
週刊朝日 2016年9月9日号
「なんであそこまでやるのか。高校生相手にですよ」
 神奈川県子ども家庭課の小島厚課長(55)は憤りを隠さない。8月18日、NHKの「ニュース7」内で報道された話題が、ネット上で“炎上”したことだ。
 ニュースは県の「かながわ子どもの貧困対策会議」が開いたイベントを紹介したもので、ある女子高生が実名で自身の窮状を話す様子も映し出された。母子家庭に育ち、母親の仕事もアルバイトで経済的に厳しいこと、キーボードだけを購入してパソコンの練習をしたこと、専門学校進学を諦めたことなどが報じられた。
 
 だが、報道後まもなく、ネット上では、画面に映った女子高生の画材が高額だとか、彼女がツイッターでつぶやいた映画・舞台の鑑賞や、千円以上のランチを食べたことなどをあげつらい、「これで貧困といえるのか」「NHKのねつ造報道」などの批判で溢れた。個人情報もさらされ、人権侵害といえる状況に発展
さらに20日、この“炎上”に参戦したのが、片山さつき参議院議員だ。自身のツイッターで、「チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思う方も当然いらっしゃるでしょう」「NHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」と、女子高生バッシングに加担した。
 
 前出の小島課長は、
女子高生は『問題解決につながるから実名で話します』と、大変な勇気をもって臨んだんです。今、本人はかなり消沈していますよ」
 と肩を落とす。騒動は、
「食べ物や着る物がないなど目に見える『絶対的な貧困』と、親の経済的な事情で進学を諦めざるを得ないなど目に見えない『相対的な貧困』を混同して起きてしまったのではないか」(同)
 
「片山議員の言動は、二つの意味で軽率だ」と指摘するのは、放送ジャーナリズムに詳しい砂川浩慶立教大学教授だ。
「片山議員が自覚するべきは、本来政治が解決するべき若年層の貧困という問題から目をそらすことに政治家が加担したと言われても仕方がない状況をつくったこと。また、ツイッターを見る限り非常にバイアスのかかった情報に基づいてNHKに説明を求めている。高度な公共性が求められるべきだが、それがあったのか疑問。権力の乱用と言われても仕方がない」
 
 片山議員の本意を聞こうと取材を申し入れたが、「ネット上に出ているコメントが全て」(片山事務所)だそうだ。
   (JKは「女子高生」の略号です)。