2016年2月16日火曜日

国会の正視するに堪えない状況

 安倍首相は15日の衆院予算委で、株価下落などで年金運用が想定を下回る状況が長期にわたって続いた場合、将来的に給付額を減額する可能性に言及し「想定の利益が出ないことになれば、当然支払いに影響する」と述べました。
 実に異様な光景です。
 虚妄の(というべき)株価上昇を図るがために、禁じ手とされている「国民の預金(年金積立金)」を株の買い支えに使った挙句に、それを消失させたのは一体誰だというのでしょうか。
 愚にもつかないことを口にする前に、もしも正気の人であれば責任をとって退陣する筈です。
 国会はそんな追及もできないところなのでしょうか。
 
 高市総務相は、放送法が定める「政治的公平性」の判断基準について個別事案への対応は「放送局からの報告を踏まえ、番組全体を見て必要な対応をする」と述べました。
 どんなに批判されようとも,「政府が、政治的公平性を判断する」という自家撞着した固定観念から全く脱していないことを、再び三度、表明したわけです。
 この救い難い無知と傲慢については、弁護士の澤藤統一郎氏が高市氏になり替わって書いたというスタイルの秀逸なブログを発表していますので紹介します。
 
 丸川環境相は、14日夜に急きょ 「除染の長期目標1ミリシーベルトが何の科学的根拠もない」などとした発言を撤回したことについて、国会で「金曜日にメモを報道関係の方から入手をしていただきまして、私の発言で間違いなかろうということで・・・」と説明しました。
 わずか3日前に自分が講演した内容について記憶がないと繰り返し強弁した挙句に、国会では「私の発言で間違いなかろうということで・・・」などと珍妙なコトを口にするなど、まことに理解の埒外の人間と言うしかありません。
 
 安倍首相をはじめとして、その内閣の陣容は実に恐るべきものです。
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株下落で年金減額の可能性、首相 「損益直ちに反映せず」とも
東京新聞 2016年2月15日 
 安倍晋三首相は15日の衆院予算委員会で、東京株式市場の株価下落などで年金運用が想定を下回る状況が長期にわたって続いた場合、将来的に給付額を減額する可能性に言及した。「想定の利益が出ないことになれば、当然支払いに影響する」と述べた。ただ「長期的なスパンで見るので、時々の損益が直ちに年金額に反映されるわけではない」とも指摘した。
 
 高市早苗総務相は、放送法が定める「政治的公平性」の判断基準について「放送局の番組全体は一つ一つの番組の集合体だ。全体の判断はできない」と説明。個別事案への対応は「放送局からの報告を踏まえ、番組全体を見て必要な対応をする」とした。(共同)
 
 
除染目標「根拠なし」発言、野党が丸川環境相をさらに追及 
東京新聞 2016年2月15日 
 国会では衆議院の予算委員会で集中審議が行われていますが、野党側は除染の長期目標を巡る発言の撤回に追い込まれた丸山環境大臣を追及しました。国会記者会館から報告です。
 
  丸川環境大臣は年間1ミリシーベルトの除染の長期目標をめぐり、「何の科学的根拠もない」などとした自身の発言を国会でも撤回しました。
 
 「反放射能派がわあわあ騒いだ中で、何の科学的根拠もなく、細野さんという環境大臣が1ミリシーベルトまで下げますとかですね、これは根拠があるわけであります。発言は事実なのかということと、撤回をされたということなのか」(民主党 長妻昭 代表代行)
 
 「金曜日にメモを報道関係の方から入手をしていただきまして、私の発言で間違いなかろうということで、そのメモを確認をさせていただいて、その結果、福島に関連する部分については発言を撤回させていただいた」(丸川珠代 環境相)
   (後 略
 
 
高市早苗発言のホンネ
澤藤統一郎の憲法日記 2016年2月14日
私、高市早苗です。総務大臣のポストにあって、微力ながらもけなげにアベ政権を支えています。甘利さん、島尻さん、丸川さん、岩城さんなど、アベ政権を支える閣僚の不祥事や問題発言、そして無能ぶりが話題になっています。しかし、私に関しては不祥事とも、問題発言とも無縁です。もちろん無能とも。私の発言はすべて計算ずく、言わば確信犯なのですから、島尻さんや丸川さん岩城さんなどと一緒にされるのは、迷惑至極と言わねばなりません。
 
アベ政権の反知性の姿勢が批判の対象となっていますね。島尻さん、丸川さん、岩城さんなどは、いかにも「反知性」を感じさせますが、飽くまでも私は別格です。私は、アベ政権の知性を代表して、アベ政権を支えるために日夜奮闘しているのですから。
 
総務省って昔の自治省と郵政省を統合したもので、郵政省が管轄していた電波監理行政は今総務大臣である私の手の内にあります。NHKも民放も、放送法の縛りの中での免許事業ですから、私の意向を忖度しながら動かなければなりません。それが当然、当たり前のことではありませんか。
 
放送に携わる多くの方には、私が何を考えているか、どうすれば私の意に沿う放送内容になるのか、またどうすれば私の逆鱗に触れることになるのか、よくご理解いただいています。それくらい気がきかなければこの世界で生き抜いていくことが出来るとは思えませんものね。「憲法9条を守れ」だの、「解釈改憲は怪しからん」だの、「アベ政権の姿勢はおかしい」「アベノミクスは大失敗」だのといえば、免許権を持っている官庁との間に無用の摩擦が生じてものごとが面倒になる、そのくらいのことは大人の分別をお持ちの方ならよくお分かりのはず。
 
でも、今に限っては、「よくお分かりのはず」では不十分なのです。テレビやラジオの放送事業に携わる者の大部分はものわかりのよい方ばかりですが、ごく一部ではありますが変わり者もいます。「ジャーナリズムの真髄は政権批判にある」などと訳の分からぬことを言う人たち。普段ならともかく、今はこういう確信犯的人物の出番をなくさねばなりません。そのために、放送事業者に絶えずシグナルを送り続けなければならないのです。
 
何しろ、これから無理をしてでも、国民に不人気な明文改憲をやろうというアベ政権なのです。今のメディアの状況が続けば、アベ政権批判が噴出して、もたないことになるかも知れない。その危機感は閣内全体のものとなっています。だから、私がアベ政権を支える立場から、メディアの政権批判を抑制するよう火中の栗を拾わなければならないのです。
 
私は知性派ですから、必要な限りでホンネを発言しつつ、突っ込まれても躱せるように、切り抜け策を十分に準備しています。それが、「忖度と萎縮効果期待作戦」あるいは「ホンネチラ見せ戦術」と言うべきものなのです。私の独創ではなく、敏腕の政治家や官僚の常套手段といってもよいのではないでしょうか。
 
「おまえ、人を殺すようなことをするなよ」とか、「嘘を言うものじゃないよ」と言えば、言われた方は怒ります。「オレを人殺しだというのか」「嘘つきだというのか」と。でも、「『人を殺すようなことをしてはいけない』も『嘘を言ってはいけない』も、当然のことを言ったまでのことで、あなたを人殺しや嘘つきと決めつけたわけではない。だからなんの問題もない発言」と切り返すことを準備しているのです。これがアベ政権の悪知恵、いや知能犯、でもなく知性のあるやり方なのです。
 
私は、2月8日の衆院予算委員会で、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性がある」と確かに言いました。でも、飽くまで、一般論を述べただけ、「人を殺すようなことをしてはいけないのは当たり前だろう」と開き直って切り抜けられるように計算した発言なのです。何が政治的な公平性を欠くものか、どこの局のどのような番組にその虞があるのか、具体的な決め付けは何もしていません。
 
それでも、停波可能性発言のあとに、「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と続けました。ここまで言っておけば、放送事業者には私の真意を十分に忖度していただけるはず、そして萎縮してくれることが十二分に期待できるのです。
 
当たり障りのないことを言っているようで、実は萎縮狙いの効果抜群の私の発言。知性派である私なればこそ出来ることで、私がアベ政権をけなげに支えていると申しあげた意味も十分にお分かりいただけるものと思います。
 
ところで、「政治的な公平性」とは何か、誰が判断するのか、ということがにわかに議論となってまいりました。
 
「政治的な公平性」あるいは「公平性を欠く」という判断は誰がするのか。その判断の権限は、主務官庁の責任者である私にあることは明らかです。私は、逃げることなくその判断をいたします。
 
考えてもいただきたい。民主主義の世の中です。選挙で主権者の多数からご支持をいただいて政権が出来ています。私の職責も、主権者国民から委託されたものなのです。私がその職責を果たさないことは、国民を裏切ることになろうというものです。
 
では、「政治的な公平性を欠く」とはどういうことか。私が申し上げましたとおり、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」で十分だと思います。これで、多くの放送事業者はものわかりよく、「憲法を守れ」「9条改憲反対」「アベ政権は非立憲」などと言ってはいけないのだと、正確に呑み込んでいただけるはず。これをアウンの呼吸とか、魚心あれば水心というものでしよう。これにツッコミを入れるなんて野暮というものではありませんか。
 
えっ? なんですって? 「あなたの目は結局政権だけに向いていて、国民の方には向いていないのか? とおっしゃるのですか」
 
その質問がおろかなのです。国民が選んだ政権ではありませんか。アベ政権こそが、国民の意思を体現しているのです。ですから、軽々にアベ政権批判は慎んで戴きたいという私の真意は、国民の意思を尊重することでもあるのです。お分かりでしょうか。
 
ああ、私って、なんて知性派。