五十嵐氏ご自身が開票翌日の25日に市長選を総括するブログを発表しました。
広い選挙区で現職の候補を相手に新人が戦うには絶対的に時間が足りなかったこと、投票率が上がらなかったことなどを敗戦の理由に挙げ、この選挙運動で育ってきた若い力や新たな共同の枠組みを今後の取り組みに活かすことが求められるとしています。
次の機会には是非とも雪辱を果たしていただきたいものです。
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闘い済んで日が暮れて、また新しい闘いが始まる
五十嵐仁の転成仁語 2016年1月25日
八王子市長選挙の結果が出ました。以下の通りです。
いがらし仁 無所属 51,811
石森 孝志 無所属 93,641
投票率 32.60%
残念無念という結果になりました。皆さんの期待に応えられず、申し訳ありません。
5万人もの方に支持していただきました。有難いことです。
これも、共同の力が発揮されたからです。支持し、様々な形で応援してくださった全ての皆さんにお礼申し上げます。
「敗軍の将、兵を語らず」と申します。全ては候補者であった私の責任です、と言いたいところですが、敗因ははっきりしています。
相手は現職の市長であったにもかかわらず、私は無名の新人であり、それを覆すだけの時間がなかったからです。私は元大学の教授で、著書を出したり、雑誌や『日刊ゲンダイ』などの新聞で名前が出たり、各地で講演をしたりしていましたから、それなりに「知名度」はありますが、それは限られた範囲であり、八王子市内ではほとんど知られていませんでした。
特に、中高年層や主婦などには、全く「無名」でした。市長選挙があることも知られていず、新人候補としての私についての知識もほとんどないという状況から出発したのが、今回の選挙だったのです。
しかも、このような不利な条件を克服するには、時間が足りませんでした。出馬表明の記者会見を行ったのが告示日約1カ月前の12月18日で、最初の街頭での演説が投票日約1カ月前の12月23日というあわただしさです。
それから年末年始の休みに入り、選挙運動が本格化したのは、1月8日の「いがらし仁と市民のつどい」からです。ほとんど2週間ほどの運動期間しか残されていませんでした。
あまり名前や政策が知られていず、それを浸透させるための期間がたった2週間ちょっとしかなかったのに、5万人を上回る人に投票してもらえたことの方が奇跡的だと言うべきでしょう。石森さんは現職の市長ですから、過去4年間、選挙運動を行ってきたようなものなのに得票は9万票、私はたったの2週間なのに得票は5万票だったのですから。
このように選挙運動の期間は短く、しかも八王子の市域は極めて広く、市街地や団地が分散しています。選挙に関心を持っていただき、私の名前や人物像、政策などを知っていただくには大きな制約がありました。
それを打破するために、インターネットでのホームページ作成やビラの内容に工夫を凝らし、配布にも力を入れました。この点での成果は大きく、一つの典型を生み出したと言って良いでしょう。
しかし、それに関心を持ってアクセスする層は若い人に多く、これらの人がこぞって投票に出かけるというところまでは浸透しませんでした。新たに八王子にやってきてニュータウンなどに住み、市政についての関心を持たない「沈黙の艦隊」を動かすには至らなかったということでしょう。
その結果が、投票率の低さに現れています。近くの投票所に行って投票率が前回とほとんど変わらないのを見たとき、結果の厳しさを予感しました。
投票する人が少なかったために、組織的な基盤のある方が有利になりました。自民党市議の後援会、創価学会や町内会、労働組合の連合などの力が、そのまま石森さんの得票になって現れています。
それに対して私は特定の組織的基盤を持たず、市民の共同の力が頼りでした。その広がりはあったものの、幅広い層に浸透して投票率を上げるまでの時間的な余裕が欠けていたということです。
維新の党の市議と共産党の市議が一緒に宣伝カーに乗って肉まんを食べるという光景に示されるような共同の広がりがありました。しかし、残念ながらそれは八王子に古くから根ざす「おっさん政治」の壁に跳ね返されてしまったのです。
この悔しさをバネにして、新たな挑戦に向けての準備を始めるべきでしょう。この間の運動で育ってきた若い力や新たな共同の枠組みを今後の取り組みに活かすことが求められます。
それに私がどうかかわるかは分かりませんが、求められれば、どのような役割でも果たす覚悟はできています。この間の選挙戦を通じて、候補者としての私も鍛えられましたから。