2016年1月10日日曜日

核兵器反対活動 長崎の9日行動 そして 広島の高校生平和大使

 北朝鮮は6日、「水爆実験」に成功したと発表しました。
 194589日に長崎へ原爆が投下されたことから、毎月9日に核兵器廃絶を訴えるための座り込みを続けている長崎原水禁は、それを受けて今回は水爆実験に抗議して恒例の座り込みをしました。
 
 広島の脇原華怜さん(16歳)は昨年第18代高校生平和大使として、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で核兵器廃絶を訴えました。
 現地滞在中は多忙を極め睡眠時間は3、4時間ほどでした。そして、失望も含めて実に多彩な経験をしました。
 読むと複雑な思いに駆られます。
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長崎被爆者ら平和公園で座り込み 水爆実験実施発表に抗議
共同通信 2016年1月9日
 の実施を発表したのを受け、長崎の被爆者や原水爆禁止長崎県民会議(長崎県原水禁)のメンバーらは9日、長崎市の平和公園で抗議の座り込みをした。
 
 時折冷たい風が吹き付ける中、高校生を含む約100人は午前10時半から約1時間、平和祈念像前に座り込んだ。長崎で被爆した原水爆禁止日本国民会議の川野浩一議長(76)は「北朝鮮の今のやり方は間違っている。私たちはいかなる国のいかなる核兵器にも、断固反対する」と批判した。
 
 被爆者らは、1945年8月9日に長崎へ原爆が投下されたことから、毎月9日に核兵器廃絶を訴えるための座り込みをし続けている。
 
 
第18代高校生平和大使・脇原華怜さん  広島
毎日新聞 2016年1月9日
一歩踏み出し挑戦を 脇原華怜さん(16)
 第18代高校生平和大使として昨年、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で核兵器廃絶を訴えた。被爆者の母方の祖母の存在が活動の原点。祖母は4歳の時に爆心地から約4キロの自宅で被爆した。黒焦げとなり死んでいった被爆者の姿が忘れられないという。駅にいた大伯父も顔にやけどを負った。平和大使に決まった際、祖母は「原爆で苦しむ人の代理人になって」と喜んでくれた。そんな祖母の思いを伝えたかった。
 
 国連欧州本部では「あなたたちは世界に被爆を伝える義務がある」と励まされる一方、中国人からは「日本は被害者意識が強い。加害者意識を持つべきだ」と遠回しに言われた。
 「世界に応援されているのだと感じました。加害者意識については、日中間の歴史認識の差を痛感した。この差をどうにかしないと、まだ平和とは言えない、と思いました」
 
 滞在中は軍縮会議を傍聴し、軍縮局など複数の場でスピーチをした。日本政府主催の記念行事に参加し、世界各国の人と交流。最終日にはベルンの街頭で署名活動を行った。多忙を極め、睡眠時間は3、4時間ほどだった。
 「話したいことや質問などを毎日英語でまとめるので大変でした。署名活動では署名に対する日本とスイスの考え方の違いも知り、改めて一筆の重みを実感しました」
 
 失望も味わった。軍縮会議では各国代表の出席者が少なく、内容も停滞気味だった
 「え、こんなに少ないの、とがっかりでした。国を挙げて核兵器廃絶に取り組んでいるメキシコの方は『何も進まないから出席はムダ』と言っていました。拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂する原因を見たような気がしました」
 
 自分の訴えが世界に伝わったという手応えに帰国後、平和への思いは強くなり、被爆者の声を聞いて後世に伝えようという気持ちがふくらんだ。ただ、伝承する難しさにも直面している。平和集会に参加した際、被爆者の女性は封印していた体験を話し、励ましつつもこう言った。「原爆投下後や被爆者の様子がドラマなどで再現されているが、実際はそんなもんじゃない。平和ぼけしている若者に私の体験がわかるわけがない」。言葉を返せなかった。
 
 「戦後70年が過ぎ、原爆被害についても『○人死亡』というデータでしかなくなっている。私はそうではない生の声を伝えたいのです。体験していない世代が被爆を伝えることは難しい。でも、人間の命は永遠ではない。『実際と違う』という事実も含め、私たちが残していきたい。被爆3世の私には、原爆被害を世界に伝える使命があります
 自分と同じ世代にも、平和や戦争への意識を持ち、挑戦してほしいと話す。
 「勉強も毎朝のあいさつも平和じゃないとできない。『この世が平和でなかったら』『自分が難民だったら』という想像力を持つことがとても重要だと思います。私は平和大使になるまでは、きっかけを大切にしてこなかった。一歩を踏み出せば、大きな経験ができるので、ぜひ挑戦してほしい」【菅沼舞】
 
■人物略歴 わきはら・かれん
 福山暁の星女子高校1年。1999年5月、広島市生まれ。将来の夢は獣医。「猫と犬の病気の治療薬を開発したい」と話す。