2015年11月30日月曜日

大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった(広原盛明氏)

 先の大阪府知事・大阪市長ダブル選は、一地域の事柄としてこれまで取り上げませんでした。
 ブログ「リベラル21」に28日、広原盛明氏による大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった・・・中山泰秀自民党大阪府連会長が首相官邸のトロイの木馬の大役を果たした」と題した文書が掲載されました。
 それを読むと、官邸の意を体した男がダブル選の直前に、自民党大阪府連会長の座を突如奪い取ってから、「オール大阪」の統一戦線が如何にものの見事に粉砕されたかが分かります。
 たとえたった一人であってもそれがトップに立てば、組織が本来目指したことでもひっくり返せるということがよく分かります。実に明解な選挙総括といえます。
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大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった
 
 中山泰秀自民党大阪府連会長が首相官邸の「トロイの木馬」の大役を果たした
広原盛明 リベラル21 2015年11月28日 
(都市計画・まちづくり研究者)
 東京の人たちには「維新の党」はもはや関心の外ではないか。松野氏らと橋下氏らが見るに堪えない分裂泥仕合を繰り広げ、政策はおろか政党自体がガバナンスを失って泡沫化しつつあるからだ。通常の感覚からすれば、今度の大阪ダブル選で「大阪維新の会」が大敗を喫し、それを機に橋下氏らが政界から消えていくと考えても何らおかしくない。実は、私もそう思っていた(期待していた)。ところが蓋を開けてみると、維新候補が知事選でも市長選でも圧勝し、反維新候補は完敗したのである。
 
 2015年11月23日の各紙朝刊は、1面トップで大阪ダブル選の維新圧勝を伝えた。大事件の時は各紙とも見出しが驚くほど似たものになるが、松井・吉村両氏の大写しツーショットの当選写真とともに、「大阪維新ダブル選圧勝」「大阪都構想再挑戦」の大見出しが全国紙・地方紙を問わず数面にわたって溢れた。投票率は知事選が45・5%(前回から7・4ポイント減)、市長選が50・5%(同10・4ポイント減)で前回に比べて減ったとはいえ、最近の大都市圏の首長選挙が軒並み4割前後に低迷していることからみれば、十分に有権者の意向を反映している。得票結果は、知事選では松井202・5万票、栗原105・1万票で維新と反維新はダブルスコア、市長選では吉村59・6万票、柳本40・7万票でこれも3:2の大差がついた。
 
 半年前の大阪市民を対象とする大阪都構想住民投票は、有権者数210・4万人、投票数140・6万票、投票率66・8%で、内訳は賛成69・5万票、反対70・6万票だった。今回のダブル選は、有権者数212.8万人、投票率50・5%、投票数107・5万票だったので、都構想賛成69・5万票と吉村59・6万票の差は9・9万票、都構想反対70・6万票と柳本40・7万票の差は29・9万票となり、吉村票が都構想賛成票の86%を確保したのに対して、柳本票は反対票の58%しか確保できなかった。なぜ、柳本氏は都構想反対票を固められなかったのか。
 
 最大の要因は、都構想住民投票で反対票を投じた人の少なくない部分がダブル選では棄権に回ったことが挙げられる。共同通信の出口調査によれば、ダブル選投票者の6割弱が住民投票では賛成票を投じた回答し、その9割が維新候補に投票している。これに対して住民投票で反対票を投じたのはダブル選投票者の4割強、その8割しか反維新候補に投票していない。つまり、維新票(0・6×0・9=0・54)と反維新票(0・4×0・8=0・32)の比は6:4となり、これが吉村60万票、柳本40万票の差になって表れたのである。
 
 では、なぜ都構想反対派がダブル選に足を運ばず、賛成派が相対的に多く投票に行ったのか。一般的に言えることは、都構想は「大阪のかたち=統治機構」を変える一大事なので反対したが、ダブル選はどちらでも構わないといった無党派層が相当数存在し、それが棄権に回ったことが考えられる。だが維新票と反維新票の差がこれだけ大きいことを考えれば、他にも原因があるのではないかと思わざるを得ない。私はそれがリベラル(革新+良識)層の「積極的棄権」だったのではないかと考えている。
 
 なぜ「リベラル層」はダブル選を棄権したのか。その最大の原因が自民党大阪府連中心の選挙体制にあることは衆目が一致する。都構想住民投票は党派選挙ではなく保守・革新・無党派層を横断する反維新「オール大阪」で戦われた。大阪市を解体して大阪府に統合するという我が国初めての拘束型住民投票だから大阪市民の関心も高く、投票率も高かった。それに都構想を推進する橋下氏ら大阪維新とそれに反対する「オール大阪」の対立が熾烈で、市民の関心を嫌が上にも掻き立てた。それでも「首の皮一枚」の僅差の否決だったのだから、大阪市民が如何に現状に不満を持ち、「改革」を望んでいるかを見せつけられた住民投票だった。
 
 この時、私は大阪都構想をめぐる大阪維新と自民党大阪府連(以下「大阪自民」という)の対立を「国家保守=国益(支配層)中心の新自由主義的国家主義」と「地元保守=地元利益を重視する伝統的保守主義」の対立だと捉えていた。そして都構想賛成派を「国家保守=大阪維新・安倍自民」、反対派を「地元保守=大阪自民」だと理解していた。しかし大阪維新に加担しなかった大阪自民のなかにも「国家保守グループ」が存在しており、彼らは選挙地盤の関係で大阪自民に所属しているだけで、安倍首相や橋下氏らとは思想的に極めて近い関係にあったのである。
 
 その代表的存在が中山泰秀氏だ。中山氏はかって安倍首相が事務局長をしていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心メンバーであり、歴史教科書、慰安婦問題、南京事件等に関して歴史修正主義的立場から否定的な発言を繰り返してきた人物として知られる(有名だ)。同会は、米国下院の対慰安婦謝罪要求決議案の委員会可決に対して、「慰安婦は性奴隷などではなく、自発的に性サービスを提供した売春婦に過ぎず、虐待などの事実もない」として抗議し、決議案への反論を米国下院に送致すると記者会見(2007年6月)までしている。この点に関しては、安倍首相と中山氏は橋下氏らと「一心同体」だと言ってもよい。
 
 また、中山氏は「憲法改正賛成」「女性宮家創設反対」「選択的夫婦別姓制度導入反対」などを政治信条とし、日本会議・神道政治連盟などの国会議員組織に所属する「ウルトラ右翼」でもある。こうした経歴を評価されてか、第1次安倍内閣では外務大臣政務官、第2次・第3次安倍内閣では外務副大臣に任命され、安倍首相の「子飼い」を自認するまでになっていた。この中山氏がダブル選の直前、都構想住民投票で「オール大阪」の指揮を執った竹本府連会長のポストを突如奪い取ったのだから、これが「官邸人事」であることは誰が見ても明らかだろう。こうして大阪ダブル選は表向き「大阪維新 vs 大阪自民(+民主・共産)」でありながら、実態は「大阪維新・首相官邸(+中山グループ)vs 大阪自民(+民主・共産)」として戦われることになった。
 
 その後の中山氏の言動は安倍首相の期待に違わないものとなった。府連会長に就任した中山氏は開口一番、反共丸出しの姿勢で「5月の『大阪都構想』の住民投票のように、イデオロギーが相反する政党と一緒に街宣活動をしてはコアなフアンを失う。他党に呼びかける前に自己を確立し、自身の足元を固めることだ。今月12日の府連会長就任時にも『こちらから共産に支援要請することはない』と述べた」(毎日新聞10月29日)。選挙戦の冒頭早々から「オール大阪」の分断作戦に乗り出し、それ以降も選挙期間中一貫して「安倍首相代理」として行動した。以下は、その模様を伝える各紙記事の抜粋である。
 
 ――「自民色が強すぎる。これでは動きにくい」。民主関係者は不満の矛先をダブル選直前に自民府連会長となった衆院議員の中山泰秀に向けた。中山は、住民投票で他党との連携を官房長官の菅義偉らに批判されたことを意識し、「足元を固める戦い。他党に応援を頼むことはない」と強調。応援は自民本部のみ求め、街頭などで「自民党総裁、安倍晋三に成り代わりお礼を申し上げる」と繰り返した。幹事長の谷垣禎一や地方創生担当相に石破茂ら「党の顔」が次々と応援に入り、一定の挙党体制は演出できた。ただ、橋下らと気脈を通じる首相の安倍や菅からは「打倒大阪維新」の明確な肉声が大阪で発せられることはなかった(産経新聞、11月24日)。
 
 ――自民党色の出し方も課題だった。当初は住民投票で連携した「反大阪維新」包囲網の再現を狙った。だが、10月に就任した中山泰秀・自民党府連会長は、共産など他党との連携を否定する姿勢を鮮明にした。演説では「安倍晋三首相に成り代わって」とあいさつ。自民党幹部や閣僚の来援に力を入れた。演説には他党支持者も足を運んだが、中山氏が「自民」を連呼すると、「もう、ええわ」と帰る姿も見られた(朝日新聞、11月25日)。
 
 ――ちぐはぐな選挙戦術も敗因の一つだ。竹本直一・前府連会長は共産党も含めた非維新の連携を重視したが、10月12日に就任した中山泰秀・新会長は、自民を前面に打ち出す戦略に転換。現場は最後まで混乱した。「自共が共闘しているとの批判があるが、一緒なのは維新と共産だ。安全保障関連法にそろって反対した」。東住吉区で今月10日に開かれた自民推薦の市長選候補・柳本顕氏の個人演説会。中山氏が柳本氏を自主支援する共産への批判も交えて維新を攻撃すると、共産支持者もいた場内はざわついた(毎日新聞、11月25日)。
 
 首相官邸の介入は、一方で自民支持層を「安倍自民=維新派」と「大阪自民=反維新派」に分裂させて維新票を増やし、他方でリベラル層をダブル選から離反させて右左両方から反維新票を奪った。菅官房長官からの大阪維新に対する有形無形の支援は大阪維新を元気づけ、橋下氏も街頭演説で「安倍自民党と大阪自民党は月とスッポン。安倍自民党には実行力がある」(読売11月23日)と持ち上げ、首相官邸との親密ぶりを誇示する戦術に出た。自分たちこそが「安倍自民」の本流であり、「大阪自民」は傍流に過ぎないような言動が栗原・柳本両氏の反維新票を拡散させ、松井・吉村両氏の維新票を掘り起こしたのである。
 
 大阪自民が官邸人事の中山府連会長を押し付けられ、地元保守としての主体性を失った瞬間からダブル選の運命は決まったといってもよい。大阪維新と対決しなければならない大阪自民は、党単独では(絶対に)勝てないことをわかっていたにもかかわらず、中山氏を府連会長に担いで敗北した。私は今回のダブル選を当初は大阪都構想住民投票の延長戦として見ていたが、いまでは首相官邸と橋下氏らが共謀した「オール大阪」壊しの共同作戦だった考えている。そして中山氏は表向き栗原・柳本陣営の指揮をとりながら、その実は首相官邸から派遣された「トロイの木馬」の大役を果たしたのである。
 
 目下、国政では野党再編のあれこれが取りざたされている。しかし大阪ダブル選の橋下氏らの勝利で、安倍政権は「おおさか維新」という野党分断カードを手に入れた。短期的には野党再編を妨害する遊撃隊として利用し、中長期的には改憲補完勢力として橋下氏らを育てる安倍戦略が着々と進行している。