2015年11月17日火曜日

安倍首相はリーダー欠格者 パリ銃撃事件発言 +

 かつて中東のレバノン駐在大使を務め、中東戦争の本質を一番良く知っている天木直人氏がブログで、パリでの銃撃事件を機に世界を相手にペラペラと軽率な発言を繰り返している安倍首相を痛烈に非難しました。
 首相は、自分の発言がどんな危険性につながるのかの自覚が全くないまま、外遊中に、あたかも条件反射のごとく「対テロ戦争を肯定し、積極的に支援する」と繰り返し表明したということです。
 そのことについて天木直人氏は3つの連続ブログで、ホップ・ステップ・ジャンプよろしく徹底的に酷評しました。
 
 実際に今度の同時多発銃撃事件の標的に、日本の料理店(すし店)も入っていた可能性があると、フランスのフィガロやイギリスのデイリーテレグラフなど報じているということです(しかし日本政府は必死にそれを隠そうとしています。すし屋の名前MAKIとか、銃弾が貫通した2枚のガラス戸の写真等が掲示されているのに、なぜ日本政府はそれを隠そうとするのでしょうか)。
 
 フランスは現にシリアを空爆していますし、かつて(1920年)はシリアに攻め入って分割統治(~1947年)したりしたのでシリアなどから敵視されるのは分かりますが、フランスと並んでなぜ日本がそれほどまでに敵視されるのか不思議なことです。日本は昨年までは中東の国から敵視されるということはありませんでした。
 唯一考えられることは、今年に入ってから中東などで行った安倍首相の一連の発言が彼らを大いに刺激したことです。その当時もそう指摘されましたがそれが招いたとしか考えられません。
 それなのに安倍首相にいまだにそういう自覚が全くないというのはまことに不思議なことで、天木氏の指摘どおりリーダーとして欠格者であることは明らかです。
 因みに日本の対テロ対策は一に掛かって首相の交代に尽きます。彼がもしも真に国民のことを考える人間であればそうする筈ですが・・・(^ ^)
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日本はテロとの戦いにかかわってはいけない
 天木直人のブログ  2015年11月15日
 きょうの各紙はパリの同時多発テロ事件の事ばかりだ。
 それほど衝撃的な事件が起きたということだ。
 しかし、誰も気づかないが、パリの同時多発テロの直前に、やはりISの自爆テロがレバノンで起きていた。
 きのう11月14日の東京新聞が、一段の小さな見出しの下で、カイロ発中村禎一郎記者の記事として書いていた。
 レバノンの首都ベイルートで12日、自爆テロが相次ぎ、少なくとも43人が死亡し、200人がけがをした、ISが犯行声明を出したと。
 私が注目したのは、この自爆テロがヒズボラの拠点をを狙ったテロであったと書かれていた事だ。
 そして、ヒズボラが、「テロリスト(IS)との戦いを続ける」とすかさず声明を発表をしたと書かれていたことだ。
 ついに究極の戦いがレバノンで起きたのだ。
 そしてレバノンで起きることはいつも中東情勢を予言する。
 私がレバノンにいた時、レバノンで起きるテロは反米武装抵抗組織であるヒズボラによるものだと相場が決まっていた。
 しかし、事情通が私に言っていた事は、本当の脅威はスンニ派のテロだということだった。
 すなわち、イランの影響下にあるシーア派のヒズボラのテロは、米国の中東支配に抗するイランの代理戦争のテロというべきものだ。
 だから外交的に解決することは可能だ。
 しかし、スンニ派原理主義のテロは、イスラムの教えに背いた堕落したサウジ王制に抵抗するテロだ。
 より狂信的で、激しく、外交的に解決出来ないテロだと。
 ISのテロがサウジアラビアの王制を倒した時、中東の本当の混乱が始まる。
 このレバノンにおけるISのテロのニュースのほかに、もうひとつの重要なニュースが、やはり今回のパリの同時多発テロ事件の直前に報じられていた。
 すなわち、かつて対立関係にあったアルカイダとISが共闘し始めたというのだ。
 今度のパリの同時多発テロもアルカイダとイスラム国の共謀だと推測されている。
 もしこれが事実なら、テロの勢いはさらに強化される事になる。
 どちらもスンニ派であるアルカイダとISの共闘が、最後に向かう究極の敵は、やはりスンニ派のパレスチナ人を弾圧するイスラエルである。
 そしてイスラエルのパレスチナ弾圧は、国際社会の無関心をいいことに、第三次インティファーダ(パレスチナ人の人民蜂起)を起こすほどに深刻な事態を招いている。
 アルカイダとISが手を結び、パレスチナ武装抵抗組織ハマスを支援するようになれば、イスラエルを巻き込だ中東戦争が起きる
 いわゆる最終戦争だ。
 そうなれば、もはや外交は一切通用しなくなる。
 いくら欧米の主要国が、対テロ戦争で結束を謳っても、中東情勢の根本問題を解決出来ない限り、事態は悪化するばかりだろう。
 パレスチナで、イラクで、シリアで、アフガンで、イスラム教の弱者たちが不条理に苦しめられている中で、同じく差別され続けている世界中のイスラム教の弱者たちが、自爆を覚悟でテロに参加する。
 それを欧米の強者、支配者が、対テロ戦争を叫んで、結束して押さえつけようとする。
 そんな対テロ戦争が終わるはずがない。
 日本はそんなテロとの戦いに関わってはいけない(了)
 
 
パリの同時多発テロへの正しい対応策を書いた東京新聞社説
 天木直人のブログ  2015年11月16日
 きょう11月16日の東京新聞が「9・11からパリ・テロへ」と題する社説を掲げた。
 その主張は、ひとことでいえばこうだ。
 テロと憎悪と復讐の負の連鎖にならないよう、いまこそ世界は踏みとどまる時だ。14年前の9・11以降の世界は何をし、また何をしそこなってきたのか。米欧は、ましてや日本は、どれほどイスラム世界を理解しているというのか。欧米で憎まれるテロは、世界を異にすれば聖戦と呼ばれる。米国のアフガン、イラク戦争の膨大な犠牲者と、パリの無辜の犠牲者を並べて考えることもまた必要ではないか。大げさに言えば、世界史の中で私たちは試されているのだ、と。
 すべての大手紙が、テロは許せない、対テロ戦争で国際連帯せよ、という社説を当たり前のように掲げるなかで、この東京新聞の社説はひとり異彩を放っている。
 このような社説を書けるのは田原牧記者をおいて他にいない。
 アラブの春を取材し、「ジャスミンの残り香」を書いた、東京新聞の中東専門記者だ。
 彼の様な記者が一人でも日本にいる事に私は救いを見る。
 それにしても、こんな事件が起きた時だけきまって日本のメディアに登場する中東専門家たちの垂れ流す言説は、あまりにもひとごとのようだ。
 日本は中東問題にかかわる資格はない(了)
 
 
安倍首相の軽率な発言は何としてでも止めさせなければ危うい
天木直人 2015年11月16日
 この男は本当にペラペラとしゃべる男だ
 歴代の首相の中でも、これほどまでにしゃべりたがりの、軽薄な首相がいただろうか。
 アー・ウーを繰り返した大平首相も極端だが、まだそのほうが威厳があった。
 国内問題について、国民を相手にしゃべるのなら、まだ害は少ない。
 支持率を落とすだけで済むからだ。
 しかし、国際問題で世界を相手にこうも軽率な発言を繰り返されては、日本は危うくなる
 パリで起きたイスラム国の同時多発テロについて、外遊先で喋りまくっているらしい。
 犠牲者を悼むのはいい。
 フランスの悲しみを共有するというのもいい。
 対テロ批判の声明に同調するところまでは、止むを得ないだろう。
 しかし、対テロ戦争に賛成し、その有志連合に積極的に参加するような発言をここまで繰り返してはいけない
 ところが、報道を見るとあらゆる首脳会談でそれを口にしているごとくだ。
 そして同行記者もまた、それを安倍首相の外交的リーダーシップのごとく報じている。
 なんというピント外れだ。
 国民を危険にさらしてどうするんだ。
 メディアもメディアだ。
 いくら書くことがない今度の安倍首相の外遊だからといって、それを強調してはいけない。
 安倍首相も、メディアも、こんな事をやっていると、来年の伊勢志摩サミットは怖くて開けなくなっても知らないぞ、そう助言したくなる(了)
 
 (追加
「国際社会は結束してテロと戦え」のウソ
天木直人のブログ 2015年11月17日
 G20は対IS対策で結束する声明を発表して終わったらしい。
 しかし、声明こそ出したものの、その内容には新味がなく、議論は深まらなかった(11月17日毎日)という。
 なぜか。
 それはG20諸国の中には、ISの脅威とは直接関係のない国も含まれているからだ。
 ましてや、世界200カ国近く存在する、いわゆる「主要国」でないその他大勢の国々にとって、ISの脅威は無関係である。
 そうなのだ。
 いま我々が目にしているISの戦いの相手は、中東を軍事的に分割・支配して来た新旧の欧米帝国主義国家と、それに追従するイスラム・アラブおよび周辺の、独裁政権なのである。
 なによりも、ISの直接の標的になっているのは、ISを空爆し、軍事力でISを壊滅しようとしている国々なのである。
 その事は、ISみずからが、繰り返し、繰り返し、宣言して来たことだ。
 主要国の中で、唯一、ISと敵対する理由も必要もない国が日本だった。
 しかも日本は、欧米の帝国主義の仲間入りをして戦争に突き進んだ過去の反省の下に、憲法9条を掲げて国際社会の仲間入りをして再出発した国だった。
 ISとの話し合いができる唯一の主要国であったはずだ。
 こともあろうに、その日本の首相が、歴史から何も学ばず、反省もせず、憲法9条を捨てて、率先して有志連合の軍事行動への参加を表明する。
 これほど愚かな事はない。
 日本の指導者の中から、誰一人として、その誤りを公言するものが出て来ないところに、この国の救い難さがある(了)