2015年7月7日火曜日

「敵を少なくする」ことでしか平和は維持できない

 もしも安倍首相がいうように、中国や北朝鮮の脅威が本当に日本に迫っているというのなら、なぜわざわざ防衛範囲を広げて、公海上での米艦防護、南シナ海での共同監視、マラッカ海峡での機雷封鎖解除、中東地域など海外での「後方支援など自衛隊の活動の拡大を図ろうとしているのでしょうか。
 そんなことが目指せるというのは、実際にはそんな脅威は迫っていないかそれとも日本の防衛などはどうでもいいかのどちらかです。
 事実は、そんな現実的な脅威は存在しないし、首相にとって日本の防衛などは実は眼中にないということです。彼の頭の中は、ただアメリカに迎合することで占められています。
 ただしそのことは決して表には出さず、平然と偽りを口にして愧じない・・・それが安倍首相の特質です。
 
 五十嵐仁氏が、イアン・J・ビッカートン著『勝者なき戦争―世界戦争の200年』(邦訳版は15年5月20日出版・大月書店)についての書評に触れながら、「平和は軍事分担ではなく敵を少なくすることでしか維持できない」ことを強調しました。
 
 もしも安倍氏が望むように日本がアメリカ追随の戦争国家になれば、たちまちのうちに財政破綻を来たし、現在のギリシアの姿は即ち明日の日本の姿になってしまいます。
 ギリシャはEU加盟時に巨大な債務を背負っていたのですが、世界最大の米投資銀行ゴールドマン・サックスがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という手法でそれを隠蔽できることをギリシアに指南して、更に大幅に債務を膨らませたといわれています。
 
 そうした入り組んだ事情がなくとも、愚かな人間が独裁的な権力を持って無慈悲な大国に盲従していれば、その行き着く先に「破綻」が待っていることは明白です。
 それなのに財務省や経済界はなぜ沈黙しているのでしょうか。軍事優先の国家になっても自分たちは生き残れるからなのでしょうか。
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「軍事分担」ではなく「敵を少なくする」ことでしか平和は維持できない
五十嵐仁 BLOGOS  2015年7月日
 今日の『朝日新聞』に、注目すべき書評が掲載されていました。作家の島田雅彦法政大学教授が書いたもので、イアン・J・ビッカートン著『勝者なき戦争―世界戦争の200年』という本を取り上げています。
 「後引く犠牲と損害 勝敗とは?」という見出しの書評です。ここで、島田さんは次のように書かれています。
 
 「本書はここ二百年のあいだに起きた戦争がもたらした結果に公正な歴史的評価を下そうとしているが、その結論は歴史上のどんな戦争も、得られる利益より失う犠牲の方が大きいということである。多くの場合戦勝国の損害も甚大であり、歳月の経過とともに勝利や敗北の意味は薄れるどころか、逆転しさえもする。」
 
 ぜひ、安倍首相にんでいただきたい本だということになります。「歴史上のどんな戦争も、得られる利益より失う犠牲の方が大きい」というのですから、そこから得られる教訓ははっきりしています。
 いかなる理由があっても、戦争をしてはならないということです。「積極的平和主義」に基づいて行われる戦争であっても「犠牲の方が大きい」のであり、たとえ勝利しても、その意味は「逆転しさえもする」のですから……。
 これに続いて、島田さんは次のように指摘しています。
 
「アメリカが矛盾だらけの中東軍事介入を行い、実質、タリバンやISなどのテロリスト集団を育成する結果となった今日、戦争は国家間の武力衝突から、テロやサイバー攻撃、経済戦争の形で日常に潜在するものになった。戦争で勝利した国も平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である。」
 
 ここに、「戦争法制」をめぐる国民の疑問に対する明確な答えがあります。アメリカのように「海外で戦争する国」になることは、日本の安全を高めることにも、世界の平和を維持することにもならないということです。
 「平和維持のための軍事分担」ではなく、「極力敵を少なくする」ための努力でしか、「平和を維持できないことは自明」なのです。そして、これはこれまでの日本のやり方であり、憲法9条が指し示す「平和国家」としての道なのです。
 第2次世界大戦で勝利したアメリカも「平和維持のための軍事分担によって滅び」つつあります。だからということで、日本が肩代わりやお手伝いという形での「軍事分担」を行えば、日本も「平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則」を実証するだけでしょう。
 
 今日の『朝日新聞』にはもう一つ、緊急発進(スクランブル)についての記事が掲載されています。これについて、私は6月27日付のブログ「『当たり前の事実を置き去りにして』自己の主張を正当化しているのはどちらか」で取り上げています。
 そこでは、「半世紀近く前の水準にまで低下したスクランブルの回数と近年になってから急増した回数を比べて、『7倍』だと危機感をあおっていたこと」を指摘しました。最低に近くなった時の数字と最高に近くなった時の推移路を比べて「7倍」だと危機感を煽っていたわけです。
 そして、次のように書きました。最近10年では「80年代に比べれば、スクランブルの回数は平均して半減していた」ことを明らかにし、「この回数が日本周辺における安全保障環境の変化を示すとすれば、それは悪化していたのではなく改善していたことを意味します。したがって、集団的自衛権の行使容認など憲法解釈の幅を広げる根拠は存在していません」と……。
 
 今日の『朝日新聞』の2面に、「緊急発進(スクランブル)回数の推移」というグラフが出ていますので、ご覧いただきたいと思います。一見して、80年代における回数が極端に多く、前世紀末から今世紀初めにかけて急減し、最近になってから急増していることが分かります。
 最近の急増は、ここ数年のことです。原因ははっきりしています。
 尖閣諸島の領有権問題や安倍首相の歴史認識、靖国神社参拝などをめぐる日中間の対立の激化です。それは石原慎太郎元都知事の挑発や安倍首相の政権復帰によるものであり、この2人こそ日中間の緊張を高めた元凶にほかなりません。
 
 この原因を除去することこそ、日本周辺の安全保障環境を改善する早道です。「戦争法制」の整備などは必要ないばかりか、完全な逆効果となることでしょう。
 安倍首相は中国を挑発して緊張を激化させ、持論の「積極的平和主義」の法制化と念願の改憲実現を図ろうとしているだけです。「極力敵を少なくする」ことなどは考えていません。
 日本の防衛についても、まじめに考えていないのではないかと思います。日本の周りが危なくなっているというのに、わざわざ防衛範囲を広げて、公海上での米艦防護、南シナ海での共同監視、マラッカ海峡での機雷封鎖解除、中東地域など海外での「後方支援」、国連平和維持活動(PKO)での治安維持など、日本防衛以外の自衛隊の活動の拡大を図ろうとしているなど、自衛力が手薄になることばかり打ち出されているからです
 
 ここに、大きな論理矛盾があります。周辺の緊張増大を理由にして、周辺以外での軍事的関与の拡大を正当化するという矛盾が……。
 個別的自衛権と集団的自衛権の関係についても論理的な矛盾は明らかです。日本への攻撃着手の一環としての米艦への攻撃なら個別的自衛権によって防護できますし、攻撃着手の一環とは言えない米艦への攻撃は「存立危機事態」に当たるとは言えませんから集団的自衛権によっても防護できないという矛盾が……。
 これはもともと「新3要件」にはらまれている根本的な矛盾でした。日本の存立を脅かす「存立危機事態」でなければ集団的自衛権は行使できず、そのような事態が事実上の攻撃着手に当たり、「武力攻撃予測事態」ないしは「武力攻撃切迫事態」に該当するのであれば個別的自衛権での反撃が可能になり、集団的自衛権の行使は必要なくなるという矛盾が……。
 
 ここでもう一度、島田さんの指摘を思い出していただきたいものです。「戦争で勝利した国も平和維持のための軍事分担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である」という指摘を……。
 インチキな論証と破たんした論理を掲げて「軍事分担」を引き受けるのではなく、「極力敵を少なくする」9条の道を歩むことこそ、「世界史の法則」を踏まえた路線選択にほかなりません。安倍首相が進もうとしている道は、「平和維持のための軍事分担によって滅びた」もう一つの例を世界史に付け加えるだけにすぎないのではないでしょうか。