2015年7月1日水曜日

岡山空襲70年 犠牲の命へ平和の誓い

読売新聞 2015年06月30日
◇遺族ら1600人追悼式
 
 1700人以上の命が奪われた岡山空襲から70年を迎えた29日、犠牲者らの追悼式が岡山市北区の市民会館であり、遺族ら約1600人が祈りをささげた。当時、同区柳町1丁目付近に住んでいたアニメーション映画監督の高畑勲さん(79)が初めて被災体験を語り、平和の尊さを訴えた。(川崎陽子、三島浩樹)
 
 岡山市は1945年6月29日未明、現在のNTTクレド岡山ビル(北区中山下)付近を目標にB29の空襲を受けた。約9万5000発の焼夷しょうい弾が落とされ、市街地の6割が焼失し、1700人以上が死亡した。
 市は89年にこの日を「平和の日」と制定。毎年、追悼式を営んでおり、式典では、大森雅夫市長が「平和で安心安全に暮らせる郷土・岡山の発展に取り組んでいく」と改めて誓った。
 市戦災遺族会長で、自身も空襲を経験した太田宮子さんは「目にした多くの亡きがらを思い、戦争とは何とむごいのかと、涙なしには語れない。戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に語り継いでほしい」と述べ、参列者が菊の花を献花した。
 参列した小中学生を代表し、市立芳田中3年宮本怜奈さんが「戦争の恐怖とかけがえのない平和を引き継いでいく」と宣誓。出席した市立横井小6年小川双太君(11)は「岡山でも空襲があったことを初めて知った。きちんと覚えていたい」と話していた。
 
◇高畑監督 初めて体験語る「怖くて震えが止まらなかった」
 
 神戸空襲で被災した幼い兄妹が懸命に生きる姿を描いた作家・野坂昭如さんの自伝的小説「火垂ほたるの墓」をアニメ化した高畑さん。初めて自身の口から語られる戦争体験に、会場の市民会館に集まった遺族や市民らは静かに耳を傾けた。
 
 9歳だった高畑さんはあの日、近所の人たちの騒ぐ声で空襲に気付き、パジャマのまま姉と自宅を飛び出した。防火用水を頭からかぶり、火の海をひたすら走った。
 防空壕ごうに入ろうとしても、人波に遮られ、降り注ぐ焼夷弾の中を逃げまどった。姉の尻には弾の破片が刺さり、高畑さんの足の裏にはガラス片が食い込んだ。どうにか旭川河川敷にたどり着くと、黒く濁った雨が降り、寒さをしのぎながら過ごした。
 はぐれていた家族は、別の場所に避難して無事だったことがわかった。自宅に戻る途中、多くの遺体を目にした。「防空壕の中で蒸し焼きになった人、近くの溝で水につかったまま窒息死した人。私は怖くて震えが止まらなかった」と振り返った。
 さらに、「我々が戦後を幸せに過ごしているのは、沖縄がずっと犠牲になってくれているからではないか」と指摘。「憲法第9条は、戦争をしないという日本の初心であり、理想だ」と訴えた。
 
 同市東区久々井、山本茂春さん(78)は「空襲があった日は、近所の人たちと一緒に防空壕に逃げ込んだ。西の空が真っ赤になっていたのを、今でもはっきり覚えている。高畑さんの話を聞き、平和が一番だと改めて思った」と話していた。
 

追悼式で戦争を語り継ぐと誓う子どもたち(岡山市北区の市民会館で)                    追悼式で戦争を語り継ぐと誓う子どもたち(岡山市北区の市民会館で)