2015年6月12日金曜日

安保法制合憲の政府主張は反論の体をなしていない

 憲法9条以前の問題として、日本に固有の自衛権があるのかが問題になっているのではありません。日本が集団的自衛権を有しているということに争いがあるわけでもありません。
 問題は憲法9条のもとでは集団的自衛権は行使できないということで、この40年以上にわたって認められてきた鉄則を、安倍政権が明確な根拠も提示できないままで覆そうとしていることです。
 砂川事件の最高裁判決をその理由に挙げるなどは、あまりにも当を失していて正に「噴飯もの」と言うべきです。
 
 政府は9日、安全保障関連法案が合憲であると反論する見解書を野党側に示しましたが、11日の沖縄タイムスは「砂川判決の拡大解釈」、南日本新聞は「合憲を強弁するべきではない」、西日本新聞は「反論の体をなしていない」、高知新聞は「反論の名に値するのか」とする社説をそれぞれ掲げました。
 
 一つひとつがもっともな指摘です。
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政府の「合憲」見解 砂川判決の拡大解釈だ
沖縄タイムス 2015年6月11日
 衆院憲法審査会で参考人の憲法学者全員が集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案を「違憲」だと指摘したことに対し、政府・自民党が危機感を募らせている。 
 安倍晋三首相は8日、ドイツで会見し、1959年の砂川事件をめぐる最高裁判決を引用しながら「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然のことだ」と、安保法案の「合憲」を主張した。 
 9日、政府が示した見解にも、自衛のための措置を認めた砂川判決と「軌を一にする」と書かれている。 
 
 政府は砂川判決を持ち出して集団的自衛権行使容認の論拠とするが、都合のいい我田引水の解釈である。 
 東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に入ったデモ隊が刑事特別法違反で起訴された砂川事件では、東京地裁が駐留米軍を憲法9条違反の戦力だとして無罪判決を言い渡した。その後、最高裁は戦力に当たらないとして一審判決を破棄。安保条約の違憲性については判断しなかった。 
 裁判で争点になったのは駐留米軍が憲法に違反するかどうかだ。集団的自衛権を念頭に置いたものではない実際72年には「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」との政府見解をまとめている。 
 砂川判決が集団的自衛権の行使を認めている、と解釈する学者はほとんどいない。まして、事前に最高裁長官が米側に見通しを漏らしていたことが米公文書で明らかになるなど、正当性さえ疑われている判決である。 
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 あっけにとられたのは5日の衆院特別委員会での中谷元・防衛相の答弁だ。中谷氏はこう言った。 
 「現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけば良いのかという議論を踏まえて、閣議決定した」 
 憲法は国の最高法規と位置付けられており、憲法に違反する法律の制定は98条で認められていない。にもかかわらず中谷氏はこれを逆に解釈したのである。 
 
 10日の委員会で答弁こそ撤回したが、集団的自衛権の行使を可能とする安保法案については「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意している。憲法違反であるとは思っていない」と述べた。 
 
 最高法規である憲法をないがしろにする答弁の不安定性こそが問題であり、それが法案への懸念を広げている。 
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 自社さ連立政権で首相を務めた村山富市氏と、当時、自民党総裁だった河野洋平氏が、そろって集団的自衛権の行使容認を含む安保法案を批判している。議論すればするほど不備や欠陥が浮かび上がる法案を、今国会で成立させようとする政府のやり方に異を唱えているのだ。 
 参考人の意見など聞く耳をもたない、と言わんばかりの政府の強引さからは国民の疑問や懸念に真摯(しんし)に答えようとする姿勢が感じられない。無理な論理を数の力で押し通そうとするのは、権力の暴走である。
 
 
[新安保政策 法案の合憲見解] 強弁するべきではない
南日本新聞 2015年6月11日
 多くの憲法学者の違憲との指摘に対し、説得力をもった反論とは到底言えない
 集団的自衛権行使を可能とする、安全保障関連法案の合憲性をめぐる政府見解である。なぜ合憲かについて、従来の論理構成を基本的になぞっている
 国会で参考人の憲法学者全員が違憲とした意味の重さを、正面から受け止めたとは思えない。もはや強弁するべきではない。
 そもそも憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認へかじを切った昨年7月の閣議決定に無理があった
 政府、与党が解釈変更の土台としたのは1972年の政府見解だ。「やむを得ない場合に必要最小限度の自衛の措置を認める」としたが、集団的自衛権の行使は許されないと結論付けていた。
 安倍政権はこれを読み替え、武力行使の新3要件という新たな基準をクリアすれば、集団的自衛権は認められるという真逆の結論を導き出した。
 これまでの法案審議で明らかになったのは、つじつま合わせの横行だ。法案の土台が揺らいでいるからに他ならない。
 今回の政府見解も新3要件に関し、「ある程度抽象的な表現は避けられない」と説明している。
 だが、新3要件を「武力行使の明確かつ厳格な歯止め」と強調したのは安倍晋三首相だったはずだ。矛盾していると言わざるを得ない。
 拡大解釈の余地を残す法案の危うさが図らずも露呈した形だ。参考人の一人、小林節慶応大名誉教授は新3要件について「政治権力にフリーハンドを与えるように要求している」と批判する。
 憲法解釈を変更した昨年の閣議決定に関する中谷元・防衛相の発言も見逃せない。
 中谷氏は5日の衆院平和安全法制特別委員会で「憲法をいかに法案に適合させていけばいいのか、という議論を踏まえた」と答弁した。最高法規の憲法を都合よく解釈したとも受け取れる。
 安保法制ありきという政権の姿勢を反映したものだろう。特別委で答弁の意図をただされた中谷氏は、「撤回したい」と述べた。
 政府側は、学者の判断は絶対でないとアピールするのに懸命だ。足元の自民党でも、法案への賛否をめぐって総務会が荒れた。
 国のかたちにかかわる重大事だ。法案撤回を含めて議論をやり直すべきである。野党もこれ以上の強弁を許してはならない。
 
 
安保法制「違憲」 反論の体をなしていない
西日本新聞 2015年06月11日 
 政府は、集団的自衛権の行使容認に伴う安全保障関連法案について「憲法に適合する」とした見解をまとめ、野党に文書で示した。
 中身は行使容認へ憲法解釈を変更した昨年7月の閣議決定など従来の説明と論法をほぼ踏襲した。
 衆院憲法審査会で自民党や公明党が推薦した長谷部恭男早稲田大教授ら憲法学者3人が突き付けた「違憲」との指摘に対し、政府見解は反論の体すらなしていない
 歴代内閣が認めなかった集団的自衛権の行使に道を開き、自衛隊の海外派遣など活動領域が飛躍的に拡大しかねない法案である。
 今回の政府見解では「必要最小限度の自衛の措置」は認められるとした1972年の政府見解をあらためて引用した。
 このときの政府見解の結論は憲法上集団的自衛権の行使は許されない-だったが、今回は武力行使の新3要件を満たせば「わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として一部限定された場合」に集団的自衛権を行使できると結論付けた。
 許される武力行使の範囲については「いかなる事態にも備えておく」として、「ある程度抽象的な表現が用いられることは避けられない」としている。
 政府の判断次第で武力行使の範囲が拡大しかねない内容だ。「抽象的な表現」と政府が自ら認めざるを得なかったのは、憲法解釈に無理を重ねてつくられた法案だからではないのか。
 新たな安保法制の与党協議を主導した自民党の高村正彦副総裁は「憲法学者の言う通りにしていたら、自衛隊も日米安全保障条約もない。日本の平和が保たれたか極めて疑わしい」と指摘した。
 それでは何のために国会へ参考人を招いて質疑をしたのか。与党推薦の専門家も含め参考人の発言が意に沿わないからと言って、無視しようとは、ご都合主義そのものではないか。
 政府と与党は、憲法学者の疑義にも真正面から向き合い、法案の根幹に関わる憲法との関係を明確に説明する責任がある。 
 
 
安保法案「違憲」】 「反論」の名に値するのか  
高知新聞 2015年06月11日
 果たして「反論」の名に値する内容なのか。政府が集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案について、「憲法に違反しない」とする見解を文書で野党に示した。 
 この文書を出さなければならなくなったのは、4日の衆院憲法審査会で自民党推薦を含む参考人の憲法学者3人全員が、安保関連法案を「違憲」と断じたからだ。 
 安保法案の根幹を専門家に真っ向から否定されては、さすがに無視はできなかったようだ。「違憲法案」との見方が広がる前に、反論しておく必要があったのだろう。 
 
 しかし、反論のほとんどは従来の説明の繰り返しであり、憲法学者らにとどまらず、国民に対しても説得力を欠くといわざるを得ない。 
 例えば政府見解の「武力行使の新3要件」については、憲法学者から「どこまで武力行使が許されるか不明確だ」と指摘されていた。 
 これに対して政府の文書は、「必要最小限度の自衛の措置」は憲法上許されるとした1972年の政府見解を再び引用する。しかしこの見解の結論は「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」というもので、論理のすり替えだとの批判が根強い。 
 問題は72年見解でも「わが国に対する武力攻撃」に限られていた自衛のための武力行使が、「新3要件」ではなぜ「わが国と密接な関係にある他国」への攻撃でも許されるのかという素朴な疑問だ。 
 政府の文書はその理由を「安全保障環境が根本的に変容」し、「これまでの認識を改め」たからだという。 
 この理由もあいまいで、憲法学者を納得させることはできまい。憲法審査会に自民党推薦の参考人として意見を述べた長谷部恭男・早稲田大教授は本紙のインタビューに答え、「安全保障環境が以前より危険だというなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂だ」と一蹴した。 
 もちろん全ての憲法学者が、安保法案を「違憲」と判断しているのではあるまい。一方、国会で専門家が問題点を指摘し、政府が反論した「論争」自体の意義は認めたい。学者間でも大いに意見を戦わせればいい。 
 
 安保法案はこの国の針路に大きな影響を及ぼす。国会や専門家任せにせず、さまざまな分野で国民的議論を広げていくべきだ。