2015年4月24日金曜日

読売新聞が安倍首相に忠告 +

 読売新聞が安倍首相の70年談話に注文をつける社説を掲載しました。
 
 まず、「侵略に一切言及しないつもりなのかと問い、「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発したという歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできない」としています。
 
 そして、「少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない」、「談話が侵略に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招く」、「政治は自己満足の産物であってはならない」、「多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められる」と述べています 
 実に正論です。
 
 安倍首相は、「70年談話」と銘打ったものが、「安倍氏の個人的な将来展望」であるなら、そんなものを聞きたいというような人は、彼の籾井NHK会長などを除けば極く僅かしかいないということを知るべきです。

+南日本新聞の社説を追加
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戦後70年談話 首相は「侵略」を避けたいのか
読売新聞 2015年04月22日   
 安倍首相は戦後70年談話で、先の大戦での「侵略」に一切言及しないつもりなのだろうか
 首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる「侵略」や「お詫わび」といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した。
 「同じことを言うなら、談話を出す必要がない」と語った。「(歴代内閣の)歴史認識を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも明言した。
 村山談話は、日本が「植民地支配と侵略」によってアジア諸国などに「多大の損害と苦痛」を与えたことに、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。
 戦後60年の小泉談話も、こうした表現を踏襲している。
 
 安倍首相には、10年ごとの節目を迎える度に侵略などへの謝罪を繰り返すパターンを、そろそろ脱却したい気持ちがあるのだろう。その問題意識は理解できる。
 首相は70年談話について、先の大戦への反省を踏まえた日本の平和国家としての歩みや、今後の国際貢献などを強調する考えを示している。「未来志向」に力点を置くことに問題はなかろう。
 しかし、戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい
 
 首相は一昨年4月、国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。
 侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない
 例えば、広辞苑は、侵略を「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある。
 談話が「侵略」に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか
 政治は、自己満足の産物であってはならない
 
 首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の「失望」を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい。
 70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。
 首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう
 

[戦後70年談話] 「過去にふた」混乱招く
南日本新聞 2015年4月24日
 安倍晋三首相はインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の60周年記念首脳会議で演説し、先の大戦への「深い反省」を表明した。
 しかし、1995年の村山富市首相談話が明記した「植民地支配と侵略」への「心からのおわび」には触れなかった。
 「反省」だけでは不十分だろう。村山談話をきちんと踏襲するべきである。そうしてこそ日本の指導者として、「国民の誠意」や「反戦・平和への決意」を世界に発信できる。
 
 今回の演説は、首相が今夏発表する戦後70年談話への前触れのようだ。会議前にも民放の番組で、村山談話の「侵略」「おわび」などの文言について、「もう一度書く必要はない」と述べた。
 歴史認識をめぐって「基本的な考え方を引き継ぐ」と既に言っていることが理由という。
 だが、この理屈はおかしい。「考え方を引き継ぐ」ことを明確にするには、同じ文言であっても何度でも言及しなければならないはずだからだ。
 
 村山談話には否定的な発言を繰り返してきた。第2次安倍内閣の一昨年には「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁した。
 新たな談話では、持論の積極的平和主義や国際貢献に力点を置き、安倍色を発揮したいのだろう。
 しかし、過去にふたをした未来志向は説得力を欠く。
 戦後70年談話に関する有識者懇談会の初会合で、首相はこう発言した。「未来への土台は過去と断絶したものではあり得ない」
 まさにその通りである。歴史認識が問われる談話で、「侵略」や「おわび」というキーワードは欠かせないはずだ。バンドン会議の50周年会議で当時の小泉純一郎首相もこれに沿って演説した。
 忘れてならないのは、村山談話が中国や韓国だけでなく欧米との外交関係上の基盤的な文書になっていることだ。
 仮に、安倍談話が歴史認識を修正したと受け取られれば、無用の混乱を招きかねない。
 
 海外の視線を気にするまでもない。共同通信社の世論調査では、戦後70年談話をめぐって、54.6%が「植民地支配と侵略」への「反省とおわび」を盛り込むべきだとした。自民党支持層でも55.4%に上った。
 調査から見て取れるのは、過去と真摯(しんし)に向き合う率直な国民感情だろう。
 首相は国民の声にも謙虚に耳を傾けるべきである。独りよがりの自己満足であってはならない。