2015年4月21日火曜日

福島氏の「戦争法案」発言 自民が社民に修正を要求

 社民党の福島瑞穂が1日の参院予算委員会で、政府が法案化作業を進めている安全保障法制を「戦争法案」と述べ、政権を「鉄面皮」と指摘したことに対し、同委理事会で扱いを協議していましが、17日に自民党の堀井巌理事は福島氏と面会し、「戦争関連法案」と議事録を修正し「鉄面皮」も削除するよう要求しましたが、福島氏はいずれもその場で拒否しました。
 
 なお同委員会では、安倍首相は「レッテルを貼って議論を矮小化するのは断じて甘受できない」と反論し、岸宏一予算委員長自民党も「不適切と認められるような言辞があった」としました。
 安倍氏の常套句「レッテル貼り」発言は、いつも問題の本質をずらそうとするものですし、委員長が独断で「不適切」と述べたことも彼の偏見を示すもので看過できません。
 
 与党はアメリカ軍などが他国と戦争をするときにいつでも自衛隊を後方支援に派遣できるようにする恒久法を「国際平和支援法」と名づけましたが、これほど国民をバカにしたネーミングもありません。
 リテラ(LITERA)は、そもそも平和は「守る」ものであって「平和を支援する」などという日本語はないと断じています。折角偽装したものを「戦争法案」とバクロされたからといって、修正を求める=言葉狩りをするなどはあってはならないことです。
 
 「戦争関連法案」と呼ぶか単に「戦争法案」と呼ぶかは、個人のセンスと価値判断の問題でまさに「表現の自由」に属することです。国会議員の発言は、それが人の尊厳や議会の品位を傷つけるものでない限り、修正や取り消しを強制されることはあり得ません。偽装に走った自民党の面目をつぶされたからというのはもちろん理由になりません(^○^)。.
 安倍首相は先に自らの発言を批判されたときに「表現の自由がある」と述べて失笑をかいましたが、首相には用いるべきではないものの、議員に対しては最大限に配慮すべきものであるということが全く分かっていないようです。
 
 リテラは、政府が他にも「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と、「残業代ゼロ法案」を「高度プロフェッショナル制度」と、「正社員首切り自由化」を「労働規制緩和」とそれぞれ言い換えている例を挙げて、国民に対して正々堂々と説明できない、後ろめたい政策だから、ネーミングで誤魔化して乗り切ろうとしていると指摘しています。
 これほど鉄面皮に言葉をもてあそぶ政権もありません。
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福島瑞穂氏「戦争法案」発言:自民が社民に修正要求
毎日新聞 2015年04月20日
 社民党の福島瑞穂副党首が1日の参院予算委員会で、政府が法案化作業を進めている安全保障法制を「戦争法案」と述べたことに対し、自民党が発言の修正を求めている。しかし、事実関係の誤認や人権侵害などにあたらない発言の修正は異例で、社民党の吉田忠智党首は20日、「何ら問題はない」と記者会見で強く反発。福島氏は応じない構えだ。
 
 安倍晋三首相は同じ予算委で「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化するのは断じて甘受できない」と福島氏に反論。自民党の岸宏一予算委員長も「不適切と認められるような言辞があった」と応じ、同委理事会で扱いを協議していた。
 同党の堀井巌理事は17日、福島氏と面会し、「戦争関連法案」と議事録を修正するよう要求。福島氏が政権を「鉄面皮」と指摘した発言も削除を促した。福島氏はいずれもその場で拒否した。
 
 福島氏は20日、毎日新聞の取材に「戦争ができるようになるのだから、まさに戦争法案だ。発言を封じ込める大問題だ」と述べ、自民党の対応を批判した。福島氏は2月の参院予算委の質問でも「戦争法案」と発言したが、このときは自民党から修正要求は出なかった。【村尾哲】
 
 
「平和と言い換えろ!」
安倍政権が安保法制強行で「戦争」という言葉の取締りを開始
LITERA 2015年4月20日
 安倍政権がめざす「美しい国」が北朝鮮や中国のような国であることがいよいよハッキリしてきた。国家や政府が決めたことには一切の批判や反論を許さないという方針で、メディアに圧力にかけていることは何度も指摘したが、今度は、国会でも言論狩りを始めた。
 
 社民党の福島瑞穂参院議員が国会で、一連の安全保障関連法案を「戦争法案だ」と述べたことについて、自民党が「一方的な決めつけだ」として議事録からの削除や修正を求めているという一件だ。すでに新聞・テレビでも報じられているが、福島氏の発言があったのは今月1日の参院予算委員会でのこと。安倍晋三首相への質問の際に、「安倍内閣は14本から18本以上の戦争法案を出す」と発言した。これに対して安倍首相が「レッテルを貼って、議論を矮小化していくことは、断じて甘受できない」と反論したが、福島氏も引き下がらなかった。
 
 たったこれだけのことだが、自民党は異様に問題視し、議事録から削除しろというのだから尋常ではない。ちなみに、国会で「戦争法案」という言葉が出たのはこれが初めてではない。たとえば、1999年に周辺事態法案の審議で共産党の議員が同法を「戦争法案」と批判したことがある。ところが当時の小渕恵三首相は「御党から言えば、戦争法案ということであると思うが」と応じている。当たり前だ。国会は言論の府であり、議員が自らの価値観に基づき言葉を選んで質問をするのが当然だからだ。
 
 安倍政権はいったい何を恐れているのだろう。実は、こうした“言葉狩り”的対応は、安倍政権のイメージ戦略──もとい、誤魔化し戦略の常套なのだ。
 わかりやすい例が、まさに安全保障法制の名称だ。安倍政権は、安全保障法制の一環で戦争をしている他国の軍隊を後方支援する恒久法(一般法)の名前を「国際平和支援法」にすることを決めた。これは、国際社会の平和と安全を目的に掲げて戦争をしている他国軍を支援するため、自衛隊をいつでもどこでも行けるようにするための法律だ。「支援」というのは、前線より後ろで、武力を使わずに他国の軍隊に食料や燃料を補給する活動を想定しているというが、戦争に協力することに変わりはない。
 
 しかも、ヘ理屈ではなく常識的に考えて、自衛隊が支援・協力するのは国際平和を実現するための「戦争」という行為であって、「平和」という状態を支援・協力するというのは日本語としてあり得ない。安倍首相が大好きなアメリカの「テロとの戦い」は、“WOT”(War on Terrorism)と呼ばれている。 まんま、戦争そのものなのだ。その戦争に協力するのだから、どう考えても「平和支援」でなく「戦争支援」だろう。福島氏の発言は、レッテル貼りでもなんでもない。
 
 では、なぜ安倍自民党があそこまで神経質になるかといえば、この言葉の言い換えによる誤魔化しこそが、安倍政権の本質といえるからだ。昨年4月に「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と言い換えて閣議決定したのもそうだし、「残業代ゼロ法案」を「高度プロフェッショナル制度」(ホワイトカラーエグゼンプション)と呼んだり、「正社員首切り自由化」を「労働規制緩和」と言ったりするのも同じなのだ。いずれも、国民に対して正々堂々と説明できない、後ろめたい政策だから、言葉の言い換えによって誤魔化して乗り切ろうという、安倍首相らしいなんとも姑息な話なのだ。
 
 だからこそ、国民に法律の本質が丸わかりの「戦争法案」といった言葉が使われると、過剰な反応をするわけだ。今回は、たまたま国会が舞台だったので圧力が可視化されたが、実はこうした“言葉狩り”はマスコミに対しても日常的に行われているという。在京キー局の報道関係者はこう話す。
 
「最近話題の『公平・公正』と同じくらい言ってくるのが『意図をねじ曲げないように』というセリフですね。もちろん、ねじ曲げるつもりなど毛頭ありませんが、政権にとって都合の悪い解説をしたり、意見を紹介したりしただけで、意図をねじ曲げたことにされる。後方支援のための法案を『戦争支援』ととらえるか『平和支援』ととらえるかは事実ではなく評価の問題なのに。現場が萎縮するのは当然です」
 
 さらにここ最近はネトサポ(自民党ネットサポーターズクラブ、J-NSC)と呼ばれる連中の“活躍”も喧しい。ネットを使った自民党の応援団で、ネット上に自民党や安倍政権に批判的な言論を見つけては「事実のねじ曲げ」「レッテル貼り」「デマによる煽り」との書き込みを拡散させている。「一連の安保法制は戦争を推進させる」とか「自衛隊に死者が出る可能性がある」などと書こうものなら、たちまち袋叩きにあう。結果、政権に批判的な論評がマスコミからもネットからも姿を消すという寸法だ。
 
 国家に楯突く者は容赦なく取り締まる。「この道しかない」と異論をいっさい許さない。そして、自由にモノが言えない。安倍政権がいま粛々と進めているのは、そんな恐ろしい国づくりなのである。  (野尻民夫)