2015年2月10日火曜日

知識人たちが「翼賛体制の構築に抗する声明」を発表

 湯川さんと後藤さんがイスラム国に拘束されていることが分かると、政府が救出に必死の努力をしているという前提で、メディアと革新政党までもが政府批判を自粛しました。そして二人が最悪の結果になったことが判明したあとは、今度はメディアは政府の擁護にまわり、安倍首相の唱える「テロとの戦い」への賛同の一色になろうとしています。
 
 こうした翼賛体制に強い危機感を持つ学者、作家、ジャーナリストら1200人が、9日、「翼賛体制の構築に抗する声明」を発表しまし
 
 声明のなかで、「非常時であることを理由に政権批判を自粛すべきだということになれば、「たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」ということになり、「結果的に翼賛体制の構築に寄与することになると述べています。
 健全な野党までが政府批判を自粛したことの非はそれに尽きています。
 
 元官僚の古賀茂明さんは「独裁と戦争へ向かうホップ報道の自由への抑圧ステップ報道機関自身が体制に迎合するジャンプ選挙勝利による独裁政権の誕生今はステップの段階に来ている」と述べたということです
 ヒトラーのナチス党が選挙で比較第一党になったとき、体制側の政治家たちは「あのペンキ屋風情が・・」と蔑んでいたのですが、現実にはその後あっという間に独裁政権を確立してしまったのでした。
※ 2013年8月3日 ワイマール憲法下でなぜナチス独裁が実現したのか
 大いに心すべきことです。
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「我々は自粛しない」 翼賛体制に抗議 言論人1,200人が署名
田中龍作ジャーナル 2015年2月9日
 イスラム国による人質事件は、湯川さんと後藤さんの殺害が明らかになると、安倍首相の唱える「テロとの戦い」がすべてに優先される風潮をもたらした。翼賛体制の下地が整いつつある。
 これでは表現の自由が奪われてしまう。強い危機感を抱く言論人、表現者ら1,200人がきょう「翼賛体制の構築に抗する声明(※)」を発表した。
 1,200人のなかには著名な言論人も含まれる。呼びかけ人が本人確認のため、作家の中沢けいさんに連絡を取ったところ、次のようなコメントが返ってきた―
 「積極的に名前を連ねたのは初めて。ここで言論人がスクラムを組まないとこの国はダメになってしまう」。
  声明に署名した作家、憲法学者、元官僚、ジャーナリストらが、午後、国会内で記者会見を開いた。
 
  「I’m not Abeと言おう」…人質事件をめぐる安倍首相の対応をテレビ朝日の番組で批判した、元経産官僚の古賀茂明さんも出席した。
 古賀さんは「独裁と戦争へ向かうにはホップ・ステップ・ジャンプがある」として次のように説明した。
 「ホップは報道の自由への抑圧。ステップは報道機関自身が体制に迎合する。ジャンプは選挙(勝利)による独裁政権の誕生。今はステップの段階に来ている」。
 
 とはいえ反乱もある。安倍政権に最も近い報道機関であるNHKのプロデューサー1人とディレクター1人が声明に署名した。それも実名だ。明らかになれば左遷は免れないだろう。
 ディレクター氏は悲壮なまでの決意を表した。「日本がいかに個人を守らない国かが分かりました。そればかりかこの機会を利用して戦争ができる国になろうとしている。大変危険な局面に来ている。微力でも口を閉ざすことなく言いつづける必要がある」。
 
 声明は次のように謳っている―
「非常時であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災を含めあらゆる非常時に政権批判をすることができなくなってしまう・・・(中略)
 問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである」-(声明ここまで)
 「人質殺害」に乗じたショックドクトリンに騙されてはいけない。民主主義を守れるのか。それとも軍国主義へと向かうのか。今が分水嶺だ。
翼賛体制の構築に抗する声明
 
私たちは、[ISIL]と称する組織・集団による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起きた事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。
同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を覚えざるを得ない。
「人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張るような行為はしてはならない」「いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ」
「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」
そのような理屈で、政権批判を非難する声も聞こえる。
だが、こうした理屈には重大な問題が潜んでいる。
まず、実際の日本政府の行動や施策が、必ずしも人質の解放に寄与するものとは限らず、人質の命を危うくすることすらあり得るということだ。であるならば、政府の行動や施策は、主権者や国会議員(立法府)やマスメディアによって常に監視・精査・検証され、批判されるべき事があれば批判されるのは当然の事であろう。
また、「非常時」であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災などを含めあらゆる「非常時」に政権批判をすることができなくなってしまう。たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、「今、政権を批判すれば、敵を利するだけ」「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」という理屈を認めざるを得なくなり、結果的に「翼賛体制」の構築に寄与することになるだろう。
しかし、そうなってしまっては、他国を侵略し日本を焼け野原にした戦時体制とまったく同じではないか?70数年前もこうして「物言えぬ空気」が作られ、私たちの国は破滅へ向かったのではなかったか?
実際、テレビで政権批判をすると、発言者や局に対してネットなどを通じて「糾弾」の動きが起こり、現場の人々に圧力がかかっている。
問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである。彼らは自らの行動を「常識的」で「大人」の対応だと信じているようだが、本当にそうであろうか?私たちは、今こそ想像力を働かせ、歴史を振り返り、過去と未来に照らし合わせて自らの行動を検証し直す必要があるのではないだろうか?
日本国憲法第21条には、次のように記されている。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
日本国憲法第12条には、次のようにも記されている。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」
私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、「非常時」であるときにこそ、手厚く守られ尊重されなければならないと考えている。
なぜなら「非常時」にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである。
私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の「自粛」という悪しき流れに身をゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する。
2015年2月9日