2015年2月20日金曜日

我孫子で平和の灯を常時点灯 広島から分火

  平和都市宣言30目となる我孫子市は、毎年月に手賀沼公園の平和の記念碑の前で平和式典を行っています
 記念碑は30年前に、市内の原爆被爆者の会が広島市に働き掛け、世界に30個しかない広島市庁舎の側壁被爆石1個を譲り受けて建てました。
 
 我孫子市は、広島市から核兵器廃絶と世界平和を訴える「平和の灯(ともしび)」の分火を受け、近くにガス灯を8月に設置し、常時点灯することを決めました。市内の被爆者の会は「多くの人が平和を考えるきっかけになる」と歓迎しているということです
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我孫子で平和の灯 常時点灯 広島から分火、8月ガス灯設置へ
東京新聞 2015年2月18日
 我孫子市は、広島市から核兵器廃絶と世界平和を訴える「平和の灯(ともしび)」の分火を受け、手賀沼公園の平和の記念碑近くにガス灯を八月に設置し、常時点灯することを決めた。我孫子市によると、平和の灯の分火は県内で初めて。戦後七十年の今年は、市制四十五周年と平和都市宣言三十周年の節目に重なり、記念事業の目玉として企画。市内の被爆者の会は「多くの人が平和を考えるきっかけになる」と歓迎している。 (三輪喜人)
 
 平和の灯は、広島市の平和記念公園内にあり、原爆死没者慰霊碑と原爆ドームの間に設置されている。「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核のメッセージを込めて、一九六四年八月に点火され、現在も燃え続けている。
 広島市は平和活動のために、平和の灯の分火をしている。同市によると常時点灯するために分火されているのは、新宿区役所、神奈川県藤沢市役所をはじめ、イギリスやカナダを含め計十六カ所。
 
 我孫子市は、平和の記念碑を設置する際も、広島市から、被爆石と呼ばれる原爆の衝撃を耐えた旧市庁舎の側壁と敷石を一枚ずつ譲り受けた。譲渡された側壁は世界各地に三十個しかなく、残りもないという。
 被爆石は、我孫子市の原爆被爆者の会が広島市に働き掛け、八五年十二月に譲り受けた。当時の新聞によると、柏市など近隣市の分も含めトラックで運んできたという。到着した翌日に、我孫子市は平和都市を宣言。翌年の八月六日に被爆石を使った記念碑を建てた。
 市と被爆者の会は毎年八月に記念碑の前で平和式典を行っている。被爆者の会の副会長の宮田将則さん(74)は、二十六年前に名古屋市から市内に転居し、散歩中に記念碑を偶然見かけたことがきっかけで、入会した。
 記念碑近くにガス灯が設けられることを歓迎し、「戦争の惨禍を語れる人がどんどん減ってきている。私たちもできる限り伝えていきたい」と話した。
 
写真
手賀沼公園の平和の記念碑。近くに平和の灯を
  分火したガス灯が設置される=我孫子市で