2015年1月9日金曜日

反面教師を体現の安倍政権 (あいば達也氏)

 翁長沖縄県知事は昨年末上京した際、安倍首相、菅官房長官、西川農相らは事実上面会を拒否し、唯一山口俊一沖縄担当相とのみ会談が出来ました。
 そこで知事は年が明けてから再び上京して7日に農相との面会を求めたのですが、農水省はやはり「時間が取れない」として拒否しました。
 しかし農相は7日、沖縄県さとうきび対策本部長のJA沖縄中央会長や西銘恒三郎衆院議員らとは面会しているので、「時間が取れない」のではなく最初から会う気がなかったとしか考えられません。
 
 翁長知事は昨年12月の段階で、農相との面会JAからの要請の場に同席を求めていたのですが、「大臣の日程が取れない」という回答でした。そして7日に農相がJAや西銘氏らと会ったことを受けて、再度面会を依頼したのですが前述のとおり拒否されました。
 
 農相がここまで依怙地に面会を拒否しているのは、官邸の顔色を伺ってのことであるとしか考えられません。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げて知事選で大勝した翁長氏を徹底的に冷遇する安倍政権の態度はあまりにも大人気ないものです。それは取りも直さずその公約を支持した多くの沖縄の声を無視することにほかならず、地方自治の理念に完全に反するもの、民主主義の原点をも否定するものです。 
 
 これについて あいば達也氏が9日、怒りのブログを発表しました。
 その胸のすくような毒舌ぶりをご紹介します。(^○^)
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一目瞭然、反面教師体現の安倍政権 道徳教科など不要 
世相を斬る あいば達也 2015年1月9日
 最近の安倍晋三周辺の人間達の言動を見るにつけ、彼らは、道徳修身でやってはイケない、と云う事を現実に国民や子供たちに見せてくれているのだから、文科省の下村が躍起になって「道徳教育」などする必要はないだろう。自分より力が弱いと認定できるもので、自分達の意に沿わないものには、幾らでも嫌がらせをしても、何ら痛痒がない。子供たちよ、これこそがイジメの実態だよ。わざわざ教科書にするには及ばない。安倍政権が、反面教師を演じてくれているのだから、不要な歳出は控えるべきだ。 
 
 北朝鮮やイスラム国などが、言論表現の自由に介入するのはケシカランと人は言う。しかし、世界や時代には様々な価値観があるわけで、これが絶対真理であり、あっちは悪魔だ、と云うような論は、論理性がない。そのような観点に立てば、言論表現の自由が地球上の普遍的価値観などと、知ったかぶりして演説に使ってしまうあたりに、安倍の無教養がむき出しになる。異論には、悉く感情をむき出しにして切れる姿を衆目に晒すのだから、立派な反面教師ぶりである。 
 
 資本主義・民主主義・自由主義等々、20世紀的観念が絶対的価値だと信じて疑わない、実はこれこそがヤバいのではないかと、思い至る思考も必要だろう。言論の自由や表現の自由を許さない国家や文化もあるわけで、それらの考えを、悪魔だと断定する根拠が本当に存在するのか、社会学や哲学的次元で考えてみる必要もあるだろう。また、言論の自由や表現の自由を許している国家においても、その制限をシステマチックに無効化させる資本主義・民主主義・自由主義等々を標榜する国家が現にあるではないか。西側諸国の多くのメディアが、その範疇にあるのだから、表現の自由や言論の自由を正面から許さないと云うのと、システマチック許さない違いが何処にあるのか、小生には判らない。
 
 安倍政権などは、赤裸々に言論、表現の自由に縛りをかけているのだから、まあ正直者と云う見方も出来る(笑)。ただ、子供への教育等のレベルにおいては、道徳の見本にはならず、明らかに反面教師的な振舞いを日々演じている。その上、安倍政権などは、意に沿わない考えを相手が持っていても、相手が厄介だったり、明らかに強そうだったりすると、途端に口調が弱々しくなる。強きを助け弱きを挫くってのは、こういう風にするんだよと国民や子供に示してくれるのだから、生きた反面教師像である(笑)。それにしても、翁長沖縄県知事への安倍政権の対応は、目をそむけたくなる。反面教師だと皮肉を言うだけでは済まされない醜悪さだ。「オール沖縄」の風が、より団結を強めた時、日米政府はのっぴきならない禍根を残すことになるような気がする。 
 
引用記事
社説 対話拒否 安倍政権は知事と向き合え
琉球新報 2015年1月8日 
 安倍政権は県知事選と衆院選の県内選挙区で完敗した意味をよく理解できていないのではないか。そうとしか思えない振る舞いだ。 
 
 サトウキビ交付金に関して県が上京中の翁長雄志知事と西川公也農相の面会を求めたのに対し、農林水産省はこれを断った。 
 農水省は日程を理由としたが、農相はJA関係者の要請には応じ、自民党の地元国会議員が同行している。閣僚への面会では一般に与党議員が仲介し、知事らが同行することが多いが、翁長知事は呼ばれなかった。自民党側が排除した形だ。 
 県の要請を断った農水省の対応は極めて遺憾であり、県民の代表たる知事に対する官庁の対応として問題含みだ。農相らは官邸の顔色をうかがっているのだろう。 
 昨年末、就任あいさつで上京した翁長知事に対し、安倍晋三首相や菅義偉官房長官らは会わなかった。今回の対応もその延長線上にあるが、翁長知事への冷遇が県民感情をさらに悪化させている現実が首相らには分からないようだ。
 
 米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げて知事選で大勝した翁長氏との対話を拒むその姿勢は、その公約を支持した多くの沖縄の声を無視することにほかならない。民主主義の原点をも否定するような対応ではないか。 
 安倍政権は新年度沖縄振興予算の減額を検討しているとも伝えられる。事実とすれば、基地と振興はリンクしないと強調してきた説明を自ら否定するものだ。政権方針に反対する沖縄を力で組み敷こうとする態度がにじむ。 
 一方で自民党本部も、沖縄振興予算について議論する8日の沖縄振興調査会に翁長知事の出席を求めなかった。こちらも前県政時とは手のひらを返したような対応だ。 
 党県連内には「衆院選でも反自民候補を支援した政敵に協力する必要はない」との声があるという。政党としての当然の論理、と言いたいようだが、政権党として、あまりに狭量な対応だ。権勢を誇示しようという思惑もちらつくが、地元益より党利党略を優先させるような対応では県民の支持は離れるだけだ。
 
 政権側の対話拒否について翁長知事は「あるがままの状況を県民や本土の方に見てもらい、考えてもらえればいい」と語った。安倍政権は知事冷遇への反発が広がる沖縄の民意を今こそ直視し、その非民主的な対応を恥じるべきだ。