2014年12月29日月曜日

「放射線を浴びたX年後」が出版されました ビキニ事件追い10年 

 米国核実験で被ばくしたビキニ被ばく事件を10年間にわたり取材し続けてきた南海放送の伊東英朗さんが、「放射線を浴びたX年後」を出版しました
 取材を始めた2004年から3・11までの7年間、使命感と無力感との間で揺れ続けたということですが、福島原発事故が起きると状況は一変して、公開された同名の映画は米国も含め大きな反響を呼びました。
 
 原発事故当時、政府は「ただちに健康に影響は出ない」と繰り返しましたが、伊東さんの記録は、「ただちに」ではないものの50~60代で若くして亡くなった元船員たちがたくさんいることを明らかにしています。
 
 ビキニ事件は日米両政府によって強引な幕引きが図られ、その後当事者たち差別や風評被害を恐れて口を閉ざし因果関係が分からない現象は「ない」ことにしてしまう力学も働くようになりました
 そうした中で地を這うようにして集めた貴重な記録です。
 
 伊東さんは、「ビキニ事件は記憶の消え方が極端。そこを検証することで、今後(福島で)どんなことが起きうるかが見えてくると思います」と語ります。
 
 書籍「放射線を浴びたX年後」は講談社から刊行1600円(税別)です
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ビキニ事件追い10年 「放射線を浴びたX年後」出版 
神奈川新聞 2014年12月28日 
 米国による核実験で日本漁船などが被ばくしたビキニ事件を10年間取材し続けてきた南海放送(松山市)ディレクターの伊東英朗さん(54)が、「放射線を浴びたX年後」を出版した。東京電力福島第1原発事故後に公開した同名の映画は反響を呼び、これまで米国も含め200カ所以上で上映されている。今回は事件をより多くの人に知ってもらおうと、長年蓄積してきた膨大な証言や調査報道の裏側をまとめた。
 取材を始めた2004年から3・11までの7年間、実は使命感と無力感との間で揺れ続けていた。
 
 幼稚園教諭から、41歳で南海放送のディレクターに転じた異色の経歴を持つ。ビキニ事件を象徴する第五福竜丸以外の被災船があると知ったのは、高知県を拠点に高校生らと調査をしてきた山下正寿さんとの出会いがきっかけだった。
 
 休日などを使って自家用車で高知の漁村まで赴き、元マグロ漁船員らを訪ね歩いた。同年5月に「わしも死の海におった」という番組を南海放送の特別枠で放送し、その後に全国放送。以後も年間1本ほどのペースでビキニ事件に関する番組を手掛けた。
 
 だが、反響はほとんどなかったという。伊東さんは当時を「(公共の)電波を使って誰も見向きもしない番組を流し続ける意味が見えなくなっていた」と振り返る。
 
 状況が一変したのは3・11後。「シーベルト」などの専門用語が飛び交い、政府は「ただちに健康に影響は出ない」と繰り返した。伊東さんはビキニ事件の取材を通し、「ただちに」ではないが50~60代で若くして亡くなった元船員たちがいることを知っていた。12年1月に「放射線を浴びたX年後」と名付けた番組を全国放送し、さらに映像を加えた映画を同年9月に公開。第五福竜丸以外の被災船に光を当て、被ばくした漁船員のその後(=X年後)を追い、大きな反響を呼んだ。今年2月、多くのマグロ漁船が被ばくした三浦市でも上映された。
 
 できる限り上映会に足を運ぶ伊東さんは各地で埋もれている被災船員の聞き取りと、米エネルギー省がホームページで公開している膨大な機密文書から低線量被ばくの研究結果などを探す調査への協力を求めている。被ばくから時間が経過した事件だからこそ解明が可能で、福島の未来にも役立つと考えるからだ。
 
 事件当時の記憶の消え方も検証するべきだと考えている。日米両政府によって強引な幕引きが図られた一方で、差別や風評被害を恐れて口を閉ざした当事者たち。因果関係の有無が分からない現象は「ない」ことにしてしまう力学。いつまでも暗い話を抱え込みたくないという人間の心理。それらが相互作用したのでは-。「ビキニ事件は記憶の消え方が極端。そこを検証することで、今後(福島で)どんなことが起きうるかが見えてくると思います」
 
 新年も元旦から高知の室戸を訪ね歩く。原点回帰し、一人でも多く、そして一度話を聞いた人はより深く、証言者への聞き取りを続けようと考えている。
 
 本は講談社から刊行。1600円(税別)。