2014年11月4日火曜日

感情も教養も劣化している安部首相

 一国の総理大臣・権力のトップにある者には、当然にある種の節度を持つことが求められます。
 それが常識であり教養というものです。逆にそれを持たない人間はその座につくべきではありません。
 
 最近の安倍氏の国会答弁その他の振る舞いを見ていると、感情=敵意が丸出しでまるで出来の悪い高校生が騒ぎ立てているような感じです。
 議会政治が始まってからもう百年は裕に経ちましたが、こんな総理大臣が登場したのは初めてではないでしょうか。
 
 あいば達也氏のブログを紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
感情・教養劣化のシンボル首相、目先の餌食に無闇に発砲
世相を斬る あいば達也 2014年11月3日
 “あべちゃん”極左の話をするのなら、同等に極右の話もしようじゃないか。貴方の振る舞いを眺めていると、怒りを通り越し、本当に悲しい気持ちになる。なんてったって、痩せても枯れても、我が国の内閣総理大臣なんだからね。こんな人物を総裁に選んだ自民党と云う政党の正統性を疑いたくなる。延いては、そのような政党を選んだ有権者まで疑いたくなる。せめて、そのような極論に至らないように、言動を慎み持って、行って貰いたいものである。まあ長州の田舎侍らの末裔だと思えば、むべなるかなでもあるのだが…。これは、少々差別発言かもしれん(笑) 
 
 彼の振る舞いの無様さこそが、彼にシンパシーを感じる人々と同じ波長のメッセージ性があるのだろう。昨日のコラムでも書いたことだが、絶対的権力を有する者や、絶対的支配力のある勢力には、鷹揚な振る舞いが常にオーラのようについて回るものなのだが、そういう政治的リーダーや経済界におけるリーダーを見つけるのは容易ではない時代なのだなと痛感する。その点で、唯一、余裕綽々で物事を冷静且つ哲学的に論じているロシアのプーチンと云う人物には、個人的だが魅力を感じる。彼が、善い人間かどうかではなく、魅力ある人間だと云うことだ。 
 
 権力的なことが良いわけではないが、権力の座にいるものが、世相にウロチョロと振り回されている姿を見ると、やはり、見ている方も不安になるし、迷い事が増えるのは困ったことである。安倍晋三にしても、バラク・オバマにしても、パク・クネにしても、第三者的に観察すると、“迷い子”のようである。その中でも突出しているのが、間違って首相になってしまった人物である。 
 
 もう辺り構わず、私的なシーン、公的なシーンの別なく、ヒステリックに、「他人を非難し続ける」極めて不道徳な言動に終始しているのが、安倍内閣総理大臣なのだから、これは国家にとって、国際的な屈辱的である。この政権が道徳教育云々と言い出したのだから、どこか滑稽だ。国会審議中にも関わらず、「朝日は潰すべき」が世間の「空気」だとでも吹き込まれたのか、此処を先途と朝日新聞叩きをヒステリックに叫ぶのだから、感情、教養の劣化のサンプルを見る思いだ。 
 
 おそらく、自分の姿が、一定のレベルに達している教養と見識。そして、最低限の感情の抑制が可能な人々から見た場合、自分がどのように見られるかが、理解できないまでに劣化しているのだろう。ただ、この首相の劣化度と同等または、それ以上に国民の多くが感情教養ともに劣化している場合、首相の劣情とも言える醜態に親近感を抱く可能性もあるので、御しがたい。 
 
 朝日憎し、それは個人的に認めよう。しかし、だからと言って、朝日の慰安婦報道が誤報である、イコール日本の慰安婦問題が消えたわけではないし、朝日の報道だけで、その非難空間が生まれたわけではないのだから、朝日一社に罪を擦りつけるのは、都合がいいだろうが、歴史の事実は、そう簡単に覆せない。首相が側近議員との談笑中に、民主党の枝野の政治資金収支報告書の誤記が見つかったことで、「政治とカネ」追及が「撃ち方やめ」になれば良いと語ったオフレコは、全報道機関が報じている。
 
 しかし、安倍首相が当面の魔女を朝日新聞だと決め打ちした国会発言は、首相が餌食攻撃で、みずからの悉くの過ちを隠ぺいする、ディベート戦術の一つだが、ハイスクルーでしか通用しない戦術でもある。最近は、朝日新聞ばかり餌食にすると、戦術がバレバレになるとでも思ったのか、今度は民主党の枝野幹事長を餌食に置き換え、口汚くFBで罵っている。よもやお忘れではないだろうが、この“あべちゃん”は日本の首相なんだよ。少しは、本気で皆さん、日本のこと考えてやろうよ。サッカー日本だけじゃなくね。 
 
 安倍首相FBによると、だいぶ昔のことだが枝野が「連合加盟の産別単組」からの献金を受けていた話を蒸し返しているのだろうが、極めてネトウヨの書き込みそのもので、イメージの刷り込みに終始している。「極左暴力殺人集団」となると、こりゃ誹謗であり中傷に最接近だ。仮に革マル派活動家が相当浸透している組織だとしても、イコールその組織が「アカ」だと断定することも間違いだが、そもそも「アカ」の何処がどのように悪いかまで、言説が一定しているわけではない。「アカは嫌いだ」と云うのは自由だが、単に「アカ」とイメージで印象操作をするのはフェアではない。いわゆる不道徳な振る舞いなのだ。 
 
 いま時になって、第二次世界大戦後の冷戦初期、1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除に奔走した「マッカーシーズム」の二番煎じのような馬鹿げた話なのだが、感情、教養、社会性等々が劣化した人々の耳には、彼のヒステリックな「アイツを吊るせ」と云った言い回しにエクスタシーを感じる輩も多いのだろう。いつの日か、仕込み杖でも持参して散歩するとか、金網の中の安全な囲われたブロックに住むとか、住みにくい世の中が来ないように、早目に何とかならんもんか、神や仏に祈るのだが、このような祈りは聞き入れて貰えないだろう(笑)。