2014年11月27日木曜日

太平洋戦争で使われた風船爆弾 川崎や埼玉県で平和企画展

 70年前の太平洋戦争末期、日本は和紙で作った直径10メートルほどの気球爆弾や焼夷弾をつけて、偏西風に乗せて米国に落としました。約9300発が飛ばされて約1000発が米本土に着いたと推定されています
 
 風船爆弾の歴史を取り上げた企画展「紙と戦争」が川崎市始まりました。
 埼玉県平和資料館でも、風船爆弾の模型や小川町産和紙との関係について展示を行っています
 
 敗色が濃いなかで必死に考えた作戦でしたが、まさに「負の歴史」を取り上げた展示会です。
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和紙:「負の歴史」風船爆弾…川崎で平和企画展
毎日新聞 2014年11月26日
 26日にも国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録される見通しの「和紙」。日本が誇る伝統の技が第二次大戦末期、「風船爆弾」という兵器に利用された。そんな負の歴史を取り上げた企画展「紙と戦争」が川崎市多摩区の明治大平和教育登戸(のぼりと)研究所資料館で始まった。愛媛県では風船爆弾をテーマにした市民ミュージカルも。風船爆弾が初めて飛んでから今月で70年。和紙を通じて平和を見つめる動きが相次いでいる。【松倉展人】
 
◇26日にも無形文化遺登録
 1944年11月から作戦に投入された風船爆弾は終戦とともに資料が隠滅された。同資料館館長の山田朗(あきら)明治大教授(日本近現代史)らは10年以上かけ、廃棄を免れた軍や和紙業界の資料、動員された女学生らの証言などを収集、分析した。
 
 風船爆弾の製造は都市部の場合、国技館(東京)や造兵廠(しょう)など大きな風船を膨らませることができる天井の高い施設が使われた。山田教授らは、和紙の原料・コウゾが豊富な四国では、愛媛県川之江町(現四国中央市)と高知市に「満球場(まんきゅうじょう)」と呼ばれる専用の検査施設が建てられ、他には見られないことを確認した。こうした成果を来年3月21日までの企画展で紹介している。
 
 業界の資料などによると、風船爆弾に使う和紙が重点的に作られたのは四国の愛媛、高知両県の他、埼玉、岐阜、石川、鳥取、福岡の5県。無形文化遺産への登録が確実な「細川紙(ほそかわし)」が伝わる埼玉県小川町と東秩父村や、「本美濃紙(ほんみのし)」の岐阜県美濃市でも風船爆弾用の和紙が作られていたことが分かっている。
 
 埼玉県平和資料館(埼玉ピースミュージアム、東松山市)は風船爆弾の模型や小川町産和紙との関係について展示。小川町の生産者が「日本橋(東京)の紙問屋を通じて気球紙すきをほぼ独占していた」と紹介している。
 
◇風船爆弾◇
 和紙で気球を作り、偏西風に乗せて米国に爆弾や焼夷(しょうい)弾を落とす旧日本軍の兵器。風船部分は強度のある和紙をこんにゃくのりで貼り合わせて製作。直径10メートルの風船1個に和紙600枚程度が必要だったという(埼玉県平和資料館)。1944年11月から45年4月にかけて、福島、茨城、千葉の3県から約9300発が打ち上げられ、約1000発が米本土に着いたと推定されている。オレゴン州では民間人6人が死亡した。