2014年9月6日土曜日

ウクライナ停戦合意 政権側と親ロ派が調印

 ウクライナで政府と親ロシア派が5日、停戦や捕虜交換で合意し、和平実現に向けた12項目の文書に調印しまし
 これで欧州戦争の発火点になる危険性は、ひとまず回避されました。
 
 それにしても5日のNATO首脳会議の様子を伝える「ニューポート共同」の記事は、ロシアが諸悪の根源だとする西側の観点に貫かれたものでした。
 
 曰く、「冷戦終結後の欧州の『最大の危機』とされるウクライナ情勢の緊迫化を受け、・・・ソ連崩壊後パートナー関係を目指してきたロシアと新たな対立局面に入る」、ウクライナに介入したロシアに対する抑止力を強化するため、有事の際に2日以内に展開する緊急部隊の創設を柱とする即応行動計画を採択したが、これはNATOが加盟国を防衛する強い決意をロシアに伝える明確なメッセージだ」
という具合です。(そもそもウクライナはNATOには加盟していないのでNATOのラスムセン事務総長の発言は不可解の一語に尽きるものです)
 
 これでは、ウクライナの危機はアメリカが画策したものであることや、クーデターで政権を取るや否やロシア語を禁じるなどの圧制を敷き、暴圧を繰り返したので各地で住民が自衛のために立ち上がったのがいわゆる「親ロシア派」・義勇軍であり、それを抑圧する政府側の部隊こそが、NATOの訓練を受けたネオ・ナチ(新ナチス主義者たち)、アメリカやポーランドの傭兵、それにCIA、FBI、米軍事顧問団という、いわゆる外来の勢力を主体とする混成軍であるというような背景は、隠蔽されたままです。
 アメリカやNATOが、ロシア人の義勇軍参加を非難するなどは笑止の沙汰です。
 
 4日の「NHKニュースウォッチ9」のウクライナ情勢に関する報道は相変わらずひどいもので、「報道ステーション」も似たようなものだったということです。(5日付ブログ「世相を斬る あいば達也」)
 
 「ニューポート共同」などのニュースを伝える東京新聞の記事と「あいば達也」氏のブログ(一部)を紹介します。
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ウクライナ停戦合意 政権側と親ロ派が調印
東京新聞 2014年9月6日 
【モスクワ共同】ウクライナ東部で戦闘を続けていたウクライナ政府と親ロシア派が5日、停戦や捕虜交換で合意し、和平実現に向けた12項目の文書に調印した。ウクライナやロシア、親ロ派などの代表者によるベラルーシの首都ミンスクでの和平協議で合意に達した。合意はベラルーシ時間5日午後6時(日本時間6日午前0時)に発効。ウクライナのポロシェンコ大統領と親ロ派は停戦命令を出した。
 
 ウクライナ政府と親ロ派が本格的な停戦に合意するのは初めて。4月に始まり2500人以上が死亡、100万人以上が国内外に避難した約5カ月に及ぶ戦闘が終結する見通しとなった。
 
 
ロシア抑止へ緊急部隊創設 NATO、欧州防衛強化
東京新聞 2014年9月5日
【ニューポート共同】英南西部ニューポートで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議は5日、ウクライナに介入したロシアに対する抑止力を強化するため、有事の際に2日以内に展開する緊急部隊の創設を柱とする「即応行動計画」を採択した。
 
 NATOは、冷戦終結後の欧州の「最大の危機」とされるウクライナ情勢の緊迫化を受け、本来の任務である欧州の集団防衛強化へ転換。ソ連崩壊後、パートナー関係を目指してきたロシアと新たな対立局面に入る。
 
 NATOのラスムセン事務総長は、行動計画の採択は「NATOが加盟国を防衛する強い決意をロシアに伝える明確なメッセージだ」と述べた。
 
内閣改造支持率UP 愚劣なのはメディアか国民か? 
世相を斬る あいば達也 2014年9月5日
     (前  略
 今夜(=4日)NHKニュースウォッチ9で、ウクライナにまつわるNATOとロシアの関係が語られていたが、猛烈に酷い内容だった。情報の99%が米国、EU、NATOからの情報を繋ぎあわせ、勧善懲悪、ロシアは悪の枢軸、プーチンは悪魔と印象操作そのもので、反吐が出るほど酷かった。しかし、報道ステーションも似たり寄ったりだが、ことウクライナに関する情報で、ロシア側や親ロ派義勇軍らの主張は、殆ど取り上げることがない。A対Bの紛争を報道する時は、AとBの対立点や、主張の違いなど、明確に対比すべきである。完全に平等である必要はないとしても、6対4程度のフェアネスは必要だ。これじゃ国民は、バカの上に無知と勘違いが乗っかり、手に負えない人々になる。 
     (中  略
 やはり、デモクラシーによる政治には限界があるのだと、つくづく思う。おそらく、顔の見えるテリトリーにおいては、デモクラシー的な意志決定が、それなりに民意を反映するだろうが、一定のキャパで情報をキャッチアップし、内政外交防衛、社会保障経済政策等々に目配りをするのは、国家単位では、殆ど不可能と言っても良さそうだ。筆者の勝手な想像だが、人口5万人程度のエリアが、普通の人間の目が行き渡る範囲で、それ以上は、ほぼチンプンカンプンに違いない。 
 まあ理不尽さがまかり通るのがデモクラシーであるのなら、その政治体制は誤謬の塊と云うことになる。民に寄り添う政治を求めるのであれば、愚民を易々と誘導できるメディアコントロール可能な世界では、デモクラシーの成り立つ余地は殆ど残されていない。このデモクラシーと云うものが、チャーチルが言うように、「デモクラシーは最悪の政体である。人類がこれまで経験してきたすべての政体を除くとするならば」と最悪だが、最悪の中で一番マシと言ってのけている。しかし、この言葉を金科玉条のように信じる必要もないだろう。デモクラシーに代わる「国体」があっても構わないわけだ。アリストテレスの「国体論争」ではないが、大いに素人も考えてみるべきだろう。 
     (後  略