2014年8月22日金曜日

STAPの悲劇を作った人たち(4) (3番目は毎日新聞)

 武田邦彦氏の連載「STAPの悲劇を作った人たち」はしばらく公表が中断されていましたが、22日に久しぶりに(4)が公表されました。(執筆日は8月10日。武田氏の記事は執筆日と公表日が大幅にずれていることがあります)
 
 今回は毎日新聞を取り上げています。毎日新聞はある女性記者が極めて執拗に小保方氏を攻撃する記事を連載していましたが、武田氏はここではそのことには触れずに、ある日の一面トップに掲載された同記者の「邪推という感情を持ち込んだ」記事を取り上げて、「言論の自由は無制限ではなく、大新聞が個人をめがけて圧倒的で不当な攻撃を続けるのは犯罪」、記者は新聞という巨大な力を身につけて「裁きの神」になったつもりなのか、と糾弾しています。
 
 そして少なくとも、「掲載されなかった論文の査読過程の修正」が「ある人から見て不適切」というだけで、なぜ「全国紙の1面に載せるほどの大事件」と判断したのか、毎日新聞は、新聞としてその判断の経緯を論理的に示さなければならないとしています。
 
追記) 前回、今後は2回分ずつ紹介すると書きましたが、途中やや長く中断していましたので、今後は公表された都度紹介します。
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STAPの悲劇を作った人たち(4) 3番目は言うまでもなく毎日新聞
 武田邦彦 2014年8月10日
毎日新聞というのは伝統的で素晴らしい新聞でした。満州国建国に際して国際連盟を脱退した時、朝日新聞がその時の政府に迎合して脱退を支持したのに対して、毎日新聞は断固、筋を通し、販売部数を減らしたのです。
 
 沖縄返還の時の日米の密約でも、毎日新聞は断固、メディアとしての立場を貫き、時の政府からいじめられて不買運動に泣いて、朝日、読売の後塵を拝するようになりました。でも、そんな逆境だったからでもあるでしょう、毎日新聞には立派な人が多く、ここでお名前を挙げるのは控えますが、そういえばあの人・・・と思いだします。
 
その毎日新聞が「窮すれば瀕した」のでしょう。こともあろうに、STAP事件に関する理研の調査が終わり、「不正が確定」(私は不正とは思わないが)し、最後に論文が取り下げられ、日本としては大きな痛手をこうむった後も、毎日のようにSTAP事件の取材を続けて、紙面に掲載していました。
それは、著者を痛めつけたい!そう思う一心の記事でした。そして論文が撤回されて約半月後、毎日新聞は驚くべき記事を全国版の1面に出したのです(7月16日の朝刊と思う)。それは、奇妙奇天烈というか、前代未聞、それとも魔女狩り・・・なんと表現してもそれ以上の醜悪な記事でした。
 
1) 問題となった論文ではないものを取り上げた、
2) 若山先生(共著者は小保方さん)が出して拒絶された論文を取り上げた、
3) 論文の査読過程のやり取りを「不正」とした。
 
 毎日新聞の記事をたぶん月曜日に読んで、私はあまりのことに絶句した。この記事を笹井さんがお読みになったかは不明だが、関係のない私が読んでもびっくりしたのだから、当事者が読んだら腹が煮えくり返っただろう。
 
 理由
1) 掲載に至らなかった論文の原稿は著者の手元にしかない、
2) ましてその査読結果などは執筆担当の主要な著者の手元にしかない、
3) 従って、毎日新聞は若山さんから情報を得たか、建物に侵入して獲得した以外にない。
4) 掲載に至らなかった論文は欠陥があるから掲載されなかったのだから、その論文に欠陥があるということは当然であり、そのような学問上のことを知らない一般の読者を騙す手法だった、
5) 若山さんが自らそんなことをしたら大学教授を辞任しなければならないから、記者が不当な方法で入手した盗品である、
6) すでに掲載された本論文が撤回された(7月2日)後だから、学問的意味も、社会的意味もない。
 
 毎日新聞は沖縄の密約で外務省の女性事務官に記者が接近し「情を通じて」国家機密を手に入れたとされました。行為は不倫で、これを政治家に「情を通じて」と言われて社会が反応し、毎日新聞の不買運動につながりました。私は、国家機密を得るときには小さな犯罪は許されると思っていましたが、今回のことで毎日新聞は性根から曲がっていることを知ったのです。
 
 今回のことを沖縄の報道になぞらえると、「情に通じて」と言われた後、他の新聞やテレビが「どのように情を通じたか」、「セックスの回数は何回だったか」、「最初の時に積極的に体に触ったのはどちらだったのか」などを微にいり細にいり書き立てるのと同じです。人間としてすべきではなく、また興味本位のいかがわしい雑誌が取り上げるならまだ別ですが、天下の毎日新聞だから取り返しがつかない。今後、何を記事にしても国民は毎日新聞をバカにしているから信用しないでしょう。ついに毎日新聞はその誇りある長い歴史に終わりが来ると思います。
 
 【学術的意味】
ここでは、以上のような世俗的な倫理違反とは別に、「掲載されなかった論文の査読経過は意味があるか」ということについて参考までに述べます。論文を提出したことがない人には参考になると思うからです。
 人にはそれぞれ考えがあります。だから研究者が「これは論文として価値がある」と思えば、そのまま論文として掲載してもよいのですが、昔はネットのようなものがなかったので、印刷代がかかり、さらに「誰かがある程度は審査したもののほうが読みやすい」ということで「査読」が始まりました。
 
査読は「論理的に整合性があるか」、「他人が読んで理解できるか」、「すでにどこかで知られていないか」などをチェックし、時には親切に誤字脱字も見ます。しかし、時に研究者は「このデータは必要だ」と思っても、査読委員は「論理的に不要である」としたりしますが、そんな時に、ほぼ査読委員の通りにしておかないと論文は通りません。
また、研究者は自分の研究に思いいれがあるので、若干、論理が通らなくても「言いたいこと」がある場合も多いのですが、査読委員は他人なので冷たく削除を求めることもあります。その他、いろいろあって、毎日新聞の記事のように5ケのデータのうち、査読委員が修正を求めたので、2つを削除したということをとらえて、「これは不正をするためだ」と邪推するのは科学の世界に感情を持ち込むことだから、この記事は断じて科学者としては許せないのです。
 
おまけにこの論文は「掲載が認められていない」のですから毎日新聞が指摘したことそのものが指摘の対象になっていたかも知れません。査読委員が問題にしたことを、著者がいやいや削除したとすると、それを不正だというのは査読委員が不正ということになります。
 
そしてこの問題は、さらに取材方法が偏っていることです。
まず第一に若山さんが出した論文なのに若山さんに取材していません。当時、若山さんは理研の研究者で、小保方さんは臨時の無休研究員です。だから、共同著者のうち、若山さんにその事情を聴くべきですし、聞いても若山さんは答える必要もありません。「それは取り下げた論文ですからいろいろなことがありました」と言えばよいのです。
 私は近年、これほど醜悪な記事を見たことがなく(大新聞の一面)、またこの記事もSTAPの悲劇を生んだ一つとして検証されるべきであり、このようなメディアの力を使った精神的リンチによる殺人の可能性について、司法は捜査を開始すべきと考えられるほどひどい記事です。言論の自由は無制限ではなく、大新聞が個人をめがけて圧倒的で不当な攻撃を続けるのは犯罪だからです。
 
その時の私の感想は「論文を取り下げても、ここまでやってくるのか? これは記者の出世のためか、または毎日新聞の販売部数を増やすためか」と思ったのです。たとえば理研の不正、日本の生物学会関係の腐敗を報じるなら、それ自体を取材して報じるのがマスコミというもので、掲載されなかった論文の審査過程を読んで日本の研究の不正を推定するなどはしません。
 
また、掲載されない論文の査読過程で何が起こっても犯罪でも研究不正でも倫理違反でもありませんし、そんな規則、内規、法律もないのです。記者は新聞という巨大な力を身につけて「裁きの神」になったのでしょう
 毎日新聞はとりあえず、「掲載されなかった論文の査読過程の修正」が「ある人から見て不適切」というだけで、なぜ「全国紙の1面に載せるほどの大事件」と判断したのか、新聞として論理的に示さなければならないと思います。