2014年8月7日木曜日

雨の平和記念式典に4万5000人 / 平和宣言全文

 69年目の「原爆の日」(6日)、雨が降り続くなか広島市で平和記念式典が行われ、およそ4万5000人が参列しました。雨のなかの式典は昭和46年以来です。
 原爆死没者名簿には今年新たに5507人の名前が書き加えられ、合わせて29万2325人の名簿が原爆慰霊碑に納められました。
 
 参列者全員黙とうのあと 松井市長が平和宣言を読み上げ、核兵器は多くの市民の命を奪った「絶対悪だ」としたうえで、「核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者とともに伝え、考え、行動しましょう」と呼びかけました。
 
 市民から要望のあった「集団的自衛権」の文言は盛り込まず、代わりに日本政府に対して 今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもと69年間戦争をしなかった事実を重く受け止め名実ともに平和国家の道を歩み続ける」べきであるとし、「来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たす」ことなどを要求しました。
 
 毎日新聞の記事と平和宣言の全文を紹介します。
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広島原爆の日:市長、憲法の重み訴え
毎日新聞 2014年8月6日
 広島は6日、米国による原爆投下から69回目の原爆の日を迎えた。戦後70年を目前に集団的自衛権の行使容認について議論が進むなか、平和記念式典で松井一実・広島市長は、日本政府に対し「今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」と指摘した。安倍晋三首相はあいさつで「核兵器のない世界を実現する責務がある」と表明したが、昨年に続き、第1次政権時で述べた「憲法遵守(じゅんしゅ)」の文言は盛り込まなかった。
 
 広島市には早朝、大雨、洪水警報が発令された。式典会場の平和記念公園も強い雨に見舞われたが、夜明け前から多くの人が訪れ、原爆慰霊碑に手を合わせ犠牲者を悼んだ。雨の中の式典開催は、1971年以来43年ぶり。午前8時に始まった式典には、被爆者や遺族ら約4万5000人が参列し、海外からも68カ国が参列した。核を保有する5大国のうち、米英仏露の代表がそろった。
 
 松井市長は平和宣言に、子供のころに原爆で大きく人生を変えられた人たちの体験を盛り込んだ。建物疎開の作業中に被爆した少年少女や、壮絶な体験をした孤児、放射線による健康不安で苦しんだ子供を取り上げ、原爆を「温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きくゆがめた『絶対悪』」だと指摘。各国の政治指導者に対し、核抑止力に頼らず、「信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください」と訴えた。また、オバマ米大統領の名前を挙げて、核保有国の指導者に被爆地を訪れるよう呼びかけた。
 
 一方、署名を通じて市民から要望のあった「集団的自衛権」の文言は盛り込まず、核兵器禁止条約の交渉開始を直接日本政府に要望する表現も避けた。過去3回述べた日本のエネルギー政策については触れなかった。
 
 昨年に続いての出席となった安倍首相は、来年開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、「『核兵器のない世界』を実現するための取り組みを、さらに前へ進めていく」と語った。原爆症認定については「一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力する」とした。一方、政府の最近の取り組み以外は、昨年とほぼ同じ表現だった。
 式典では、松井市長と遺族代表の2人がこの1年に死亡した被爆者ら5507人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を、原爆慰霊碑の下の奉安箱に納めた。これで名簿に記載された人数は29万2325人、名簿は計107冊になった。
 
 原爆が投下された午前8時15分になると、参列者は1分間の黙とうをささげた。「こども代表」の田村怜子さん(11)と牟田(むた)悠一郎さん(11)が「平和への誓い」で「みなさんをここ広島で待っています。平和について、これからについて共に語り合いましょう」と呼びかけた。【高橋咲子】
 
 
広島平和宣言(2014年 (全文)
 
 被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。
 
 建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6,000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。
 
 「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。
 
 あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。
 
 また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。
 
 子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。
 
 ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。
 
 人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。
 
 私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。
 
 今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。
 
 唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。
 
 今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
2014年8月6日
広島市長 松井 一實