2014年8月17日日曜日

各地で戦没者追悼の集い

 69回目の終戦記念日を迎えた15日、文京区の文京シビックホールで都と都遺族連合会が主催する戦没者追悼式が行われたほか、各地で戦没者を追悼する集いが開かれました。
 
◇都内各地で
 約10万人が亡くなった東京大空襲の資料館「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区)では、大空襲を体験者による講演会が開かれ、約130人の子供らを前にして戦争の悲惨さが語られました。
 江東区文化センターでは、東京大空襲や学童疎開のパネル展示会が開かれました。
 また、かつて旧日本陸軍の「首都防衛高射砲陣地」があった三鷹市の保育園では、平和祈願祭が行われ元兵士や園児ら計約30人が黙とうをささげました。
 
◇山形市では
 山形市では、2000年に21世紀の市のシンボルにと造られた「千年和鐘」の打鐘式が行われ、戦没者遺族や市民約80人が出席し、黙とうがささげられた後、出席者によって、次々と荘厳な鐘の音が鳴らされました。
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終戦記念日 「平和私たちの使命」 
読売新聞 2014年08月16日
 69回目の終戦記念日を迎えた15日、文京区の文京シビックホールでは、都と都遺族連合会が主催する戦没者追悼式が行われた。参列した遺族ら640人が正午の時報に合わせて黙とうし、献花台に白菊を手向けた。
 舛添知事は式辞で「戦没された方の祖国発展への思いを心に刻み、先人から託された東京をより美しく安全で安心な世界一の都市へと押し上げ、東京から日本の未来を切り開きたい」と述べた。
 また、父をビルマ(現ミャンマー)で亡くした東村山市の吉川広之さん(72)が遺族代表としてあいさつ。吉川さんの父は3万人以上の犠牲が出たとされるインパール作戦に参加したといい、「戦争を知らない世代が国民の大多数を占める中、尊い犠牲があったことを後世に正しく継承し、永遠の平和を求めることが私たちにかせられた使命だ」と語った。
 
◇「語り継ぐ努力」 各地でイベント
 都内各地では15日、平和を考えるイベントや追悼行事が行われた。
 
 約10万人が亡くなった1945年3月10日の東京大空襲の資料館「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂1)では、深川区(現・江東区)で大空襲を体験した赤沢寿美子さん(83)が約130人の子供らを前に講演を行い、戦争の悲惨さを訴えた。
 赤沢さんは「平和を守るために、体験者として語り継ぐ努力を続けていきたい」と話した。
 
 江東区文化センター(東陽4)では、東京大空襲や学童疎開のパネル展示会が開かれた。会場には大量の焼夷しょうい弾が落下する様子を写した写真や防空壕ごうの模型など約100点が並び、区内の小学生の疎開記録なども紹介された。
 
 かつて旧日本陸軍の「首都防衛高射砲陣地」があった三鷹市大沢の保育園「椎しいの実子供の家」では、平和祈願祭が行われ、元兵士や園児ら計約30人が黙とうをささげた。
 
 
終戦記念日 平和願って鐘つき
読売新聞 2014年08月16日
 終戦記念日の15日、山形市役所前で「千年和鐘」の打鐘式が行われ、戦没者遺族や市民が平和を願った。
 千年和鐘は、21世紀の市のシンボルにと2000年に造られた。山形鋳物の職人が手がけ、高さ1・7メートル、直径90センチ、重さ約1トンに及ぶ。終戦記念日には市民が、戦没者を追悼するとともに、鐘をついて平和を祈っている。
 今年の打鐘式には約80人が出席。市民から千羽鶴が寄贈され、黙とうがささげられた後、出席者は次々と荘厳な鐘の音を響かせた。
 千羽鶴を作った同市南栄町の開沼光子さん(86)は、戦時中に兄を満州(現中国東北部)で失った。夫は1945年8月17日に特攻予定で、かろうじて死を免れたという。開沼さんは「最近、日本が戦争に向かっているような気がしてならない。いつまでも平和な国であってほしいと願っています」と話した。