2014年8月9日土曜日

「過ちは二度と繰り返しません」の台詞は・・・


 原爆忌の9日、ブログ「晴耕雨読」に「theophil21氏のツイートより」として、下記の記事が掲載されました。

 
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「過ちは二度と繰り返しません」の台詞は、終戦記念日にはともかく、6日と9日にはふさわしくない 
theophil21氏のツイートより (晴耕雨読) 2014年8月9日
 
 広島と長崎に落とされた原爆は、天から降ってきたのではなく、米国がその国家としての決定により、その恐るべき結果を知りつつあえて使用したものである。
 したがって8月6日と9日には、厳しく米国の責任が問われてしかるべきであるが、日本での公の式典では、決して米国の責任は問ない。
 
 「過ちは二度と繰り返しません」の台詞は、終戦記念日にはともかく、6日と9日にはふさわしくない。
 
 原爆投下という「過ち」の主体は誰なのか、二度と繰り返すべきでない責任主体は誰なのか。・・・
 
 米国は、今なお原爆投下を「仕方なかった」とさえ言わず「正しかった」と言明し続けている。
 「正しかった」選択は、今後もくりかえされるであろう。
 
 そして原爆投下の唯一の被害国である日本さえその選択の間違いを厳しく問えないなら、米国の「正しかった」という認識は変わることはなく、再び「核の使用」という、米国にとって「正しい」選択がなされる可能性を否定できないであろう。