2014年8月15日金曜日

自衛隊のイラク派遣に確信を持つ 柳沢協二さん

 神奈川新聞のシリーズ「時代の正体」第15回は、国家公務員として入省するにあたり、「試験の点数とも照らし合わせて」防衛庁(当時)を選んだという柳沢協二さんを取り上げました。

 柳沢さんのキャリアの最後は内閣官房副長官補で、着任は2004年4月、多国籍軍が展開するイラクへ陸上自衛隊が派遣されてから3カ月後のことでした。
 派遣部隊が現地で取り組んだのは、給水や医療指導、道路改修といった人道目的の復興支援で、当時も今も自衛隊の派遣は正しかったと思っています。
 
 犠牲者が出ていればイラク派遣が正しかったと胸を張って言えたかどうかは定かではないものの、「銃を1発も撃たない国際貢献は憲法9条のある日本らしい在り方だった」と自ら評価します。
 そして講演では次のように語ります。
 「武装勢力と一戦を交えた途端、現地の人々を敵に回すことになる。だから砲弾が飛び交う中、自衛隊員は銃を向けるのではなく笑顔を向けた。その勇気をたたえたい。」
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 神奈川新聞の 語る男たち(3)「イラク派遣は正しかった。しかし… 元政府高官・柳沢協二さん」を紹介します。
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(シリーズ)時代の正体(1 語る男たち(  
イラク派遣は正しかった。しかし… 元政府高官・柳沢協二さん 
神奈川新聞 2014年8月14日
 大学は最難関である東大を自然と目指した。世の中に役立つ仕事をしたいと国家公務員を選んだ。
 「防衛庁を選んだのは、もちろんこの国を良くしたいという思いもあったが、試験の点数に照らし合わせた結果でもあった」
 40年勤め上げた官僚時代をこう振り返る。
 「与えられた使命を全うする。日々の業務で自分の価値判断を差し挟むことはない。特に若いころは、その政策はなぜ必要なのか、大義は何かと考えることはなかった。政治家に盾突いた経験もない」
 与えられた範囲でいい仕事をし、出世してゆき、官邸にまで上り詰めた。キャリアの最後は内閣官房副長官補。着任は2004年4月。米国を中心とした多国籍軍が展開するイラクへ陸上自衛隊が派遣されてから3カ月後のことだった。
 当時も今も自衛隊の派遣は正しかったと思っている。現地で派遣部隊が取り組んだのは給水や医療指導、道路改修といった人道目的の復興支援だった。「護憲派の人たちには憲法違反だと批判されたが」
 一方で違和感があったのも確かだった。日米同盟を維持するため、自衛隊派遣は重要だという空気が官邸を覆っていた。
 「つまりイラクにいることが大事だった。日本の国益のためではなく、日米同盟を維持するためのお付き合いが目的ではないのか」
 もちろん口に出すことはなかった。
 緊張に身を硬くしたのは着任半年後。宿営地の物置用のコンテナに1発のロケット弾が着弾した。
 報告を聞き、サマワにいる自衛隊員の気持ちを想像した。それが危機的な状況だということは容易に想像できた。
 「生身の人間の命を失わせることになるかもしれない、と。出動命令は小泉(純一郎)首相がしたものだが、首相に進言する立場として自分も道義的責任は免れないと考えていた」
 3カ月で交代する部隊を統率する群長があいさつに来るたび、伝えるようになった。
 「最大の使命は全員を無事に連れ帰ることだ。無理に仕事をしようとしてはならない。それが政治の望みだ」
 意気込みをそがれたように驚いた表情をみせる群長もいれば、「当然です」と受け止める群長もいた。
 犠牲者が出ていればイラク派遣が正しかったと胸を張って言えたかどうかは定かではない。そして、その正しさに確信を持つに至ったのは09年の退官後のことだった。
 
貢献を誇りに
 講演に立ち、安倍政権が踏みきった集団的自衛権の行使容認を批判する。「なぜ、これまでの国際貢献の在り方では駄目なのか」
 サマワ派遣を引き合いに「銃を1発も撃たない国際貢献は憲法9条のある日本らしい在り方だった」と自ら評価する。
 武装勢力と一戦を交えた途端、現地の人々を敵に回すことになる。だから砲弾が飛び交う中、自衛隊員は銃を向けるのではなく笑顔を向けた。その勇気をたたえたい。撤収にあたり小泉首相に成果は何か、と問われ「自衛隊は1発の弾も撃ちませんでした。それが大事だった。だから任務をやり遂げることができた」と説明したエピソードを明かす。
 安倍首相を批判することについて「『元政府高官の肩書で国を批判するとは何事か』と批判されることがある。だが、元同僚からはよく言ってくれたと声を掛けられる」。
 覚悟はどこにあるのか、と問いたい。
 
 集団的自衛権の行使に道を開く閣議決定後初の国会審議で民主党の岡田克也氏は問うた。「自衛隊員のリスクが高まることを認めた上で、首相が自ら国民の前で(自衛隊の任務拡大の)必要性を説明すべきだ」
 安倍首相は「現に戦闘が行われているところではやらないのだから、戦闘行動をしているところに行く危険はないのは明確だ」と正面から答えることを避けた。
 別の答弁でも「自衛隊員は(服務に関し)『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える』と宣誓する。自衛隊の諸君は国民の命、国土を守るため命を懸けて危険に身をさらす」と述べるだけで、自らの胸の内を言葉にすることはなかった。
 「自衛隊を運用したことのある人間として、いいかげんな話には賛成できない」。例えば、安倍首相が集団的自衛権行使で想定するペルシャ湾のホルムズ海峡が機雷で封鎖されたケース。「日本への石油供給が絶たれることが自国の存立が危うくなる事態ではない。自衛隊員が命を懸けてまで守るべき国益とは思えない」
 口調が熱を帯びた。
 「自衛隊員に犠牲を求めるなら、重い決断の言葉があるべきだ。だが、それがない。歴代首相は大きな決断のとき、国民に対して、重い決断の言葉があった。安倍首相には、生身の人間の命を失わせるかもしれない命令を出すことにためらいがないように感じる」
 
「人生の目標」
 余生をのんびり過ごそうとは考えなかった。
 「自己実現とは何か、ということが頭をよぎった」
 国に物申すことなく過ごした官僚生活を振り返り、自らの経験を基にこれからは発言し、本に書き記していこうと思った。
 集団的自衛権をテーマにしたテレビの討論番組にも出演し、賛成派と向き合った。「何を言っているんだ、と腹の中では怒っている」。国会答弁同様、どこまでも穏やかで理屈立った語り口は習い性。放送をチェックした妻からは「きょうの話し方はくだけすぎ」と注意される。
 
 3人の子どもたちはとうに成人し、孫もいる。そして生きた証しとは何かを考え、見定めた。
 「米国のお付き合いのために自衛隊が派遣されることを防がなければならない。集団的自衛権行使容認をやめさせることが自分の自己実現。いわば人生の目標」
 防衛政策を担ってきた者として、いまだになぜ安倍首相が集団的自衛権の行使容認にこだわり、その結果、何がしたいのか理解できない。
 「安倍首相にとっても自己実現なのかもしれない。だから、それを防ぎたいという私の自己実現と首相の自己実現の戦いだ。一国の首相という大きな相手で戦いは大変だ。だが、やり続ける」
 
やなぎさわ・きょうじ 1946年東京都生まれ。70年防衛庁入り。官房長、防衛研究所所長などを経て2004~09年まで小泉、安倍(第1次)、福田、麻生内閣で安全保障や危機管理を担当。