2014年7月3日木曜日

ウソで塗り固めた首相の記者会見

 2日の地方紙などの社説では、安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定を、「暴挙」、「暴走」、「汚点」などと批判する文字が躍りました。
 
 また1日夕に行われた首相の記者会見が、明白な虚偽に満ちたものであったことも、朝日新聞などが大きく報じました。
 
 ある人が会見のテレビ報道をチェックしたところ、実況報道であったにもかかわらず、各局とも字幕で強調されるところが共通であったということです。
 それは官邸が事前に各局に会見の原稿を渡し、放送のときに強調する箇所を指示したからではないかと述べています。政権に追随するテレビ局の実態を象徴するような出来事です。
 
 首相の記者会見の虚偽を指摘する「日刊ゲンダイ」、「東京新聞」の記事及び五十嵐仁氏のブログ「転成仁語」を紹介します。
 
(2日付地方紙社説の一部)  
[集団的自衛権容認] 思慮欠いた政権の暴走           沖縄タイムス
[集団的自衛権] 憲政に汚点残さないか               南日本新聞
自衛権閣議決定(上) 将来に禍根を残す暴挙だ          徳島新聞
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閣議決定で高揚…安倍首相の“ドヤ顔会見” 私はこう見た 
日刊ゲンダイ 2014年7月2日
佐高信氏、室井佑月氏に聞く
 
 予想通りである。安倍首相は1日、会見場に“ドヤ顔”で入ってきた。集団的自衛権の行使を認める閣議決定にこぎつけ、長年の悲願を達成したのだ。さぞ高ぶっていたのだろう。
 
  評論家の佐高信氏はこう皮肉った。
  「『おじいさん、おばあさんを守る』と言ったあのパネルをまた使っていましたが、安倍さんが守りたいのは日本国民のおじいさんではなく、自分のおじいさんでしょう。岸信介元首相の名誉回復しか頭にないんですよ。この日の会見で、それが改めてよく分かりました」
 会見は国民向けではなく、天国の岸信介に「ついにやったよ!」と報告するためのものではなかったか。それくらい安倍首相は国民向けにマトモな説明をしなかった。平和国家の形を根本的に変えるほどの重大決定なのに、「日本人の命を守る」「抑止力を強化する」と繰り返すばかり。それどころか、岸政権の安保改定を礼賛し、世間から総スカンを食らったあのパネルを再び持ち出したのだから、懲りない男だ。というより、完全に自分の世界に浸っているとしか思えない。
 
 作家の室井佑月氏もこう言った。
 「安倍さん、高揚した感じでしたね。それにしても会見時間が短かった。そうじゃないとボロを出してしまうからでしょう。多くの専門家が『ありえない事例』と指摘したパネルを持ち出したのにもア然としました。まだ“だませる”と思っているのでしょうか。国民もナメられたものです。安倍さんは『日本が再び戦争することは断じてありえない』と言いましたが、それならばなぜ、わざわざ憲法を歪める危険を冒してまで、解釈変更をするのか。原発再稼働もTPPも、選挙前と言っていることが違う安倍さんは、信用できません。安倍さんの怖いところは、自分がやっていることは正しいと盲目的に信じていることです。ズルいことしているという認識がある人より、タチが悪いですよね」
 
 「私たちの平和は人から与えられるものではない」と強調し、自衛隊の武力行使を勝手に正当化していたが、まったく心に響かなかった。説明すればするほどボロが出る屁理屈だからだ。
 「元統合幕僚会議議長だった栗栖弘臣という人が著書でこう言っています。〈政治家やマスコミには、自衛隊は国民の生命を守るものだと誤解している人が多い。武装集団の自衛隊の任務は国の独立と平和を守ることで、国民の生命・財産を守るのは警察の仕事だ〉。これが制服組トップの考え方です。『国民の生命を守る』と力説する安倍さんは、滑稽だし、喜劇ですよ」(佐高信氏=前出)
 
 会見はわずか20分。質問も5人だけでシャットアウト。ここに“いかがわしさ”が集約されている。 
 
 
【核心】根拠なき首相の「平和」 集団的自衛権 会見検証 
  東京新聞 2014年7月2日
 安倍政権は1日、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を変え、行使を認める新たな解釈を閣議決定した。
 首相は記者会見で「国民の命と平和な暮らしを守るため」と強調したが、集団的自衛権の行使はわが国が攻撃されていないのに、他国の戦争に参加すること。戦後、一度も行ってこなかった海外での武力行使を可能とし、政権の判断で国民が戦禍に巻き込まれる恐れがある。首相の記者会見での発言を検証した。(金杉貴雄) 
 
◆「戦争に巻き込まれない」/報復攻撃受ける恐れ 
 「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるとの誤解がある」「閣議決定で戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく。再び戦争する国になることはあり得ない」 
 首相は記者会見で、繰り返しこう説明した。 
 首相の理屈は、集団的自衛権の行使を容認することで、米国との同盟関係が強まり、それによって、日本を攻撃しようと考える国が米国の反撃を恐れて、思いとどまる効果が強まるというものだ。 
 
 しかし、集団的自衛権の行使は例えて言えば、友人を救うために、友人のけんか相手を殴ること。こちらの思いとは関係なく、相手からすれば、何もしていない人から、いきなり殴られたのに等しく、先制攻撃と同じだ。大げんかに発展しかねず、戦争に巻き込まれないとする首相の発言には根拠がない。 
 
 米国の「テロとの戦い」に集団的自衛権を行使して参加したスペインは、2004年にマドリードの列車爆破テロで191人が死亡、英国も05年に地下鉄とバスでの自爆テロで50人以上が死亡している。 
 
◆「海外派兵は許されない」/機雷掃海可能と矛盾 
 首相は記者会見で「海外派兵は一般的に許されないという従来の考え方も変わらない。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはこれからも決してない」とも述べた。 
 しかし、自衛隊の海外派兵や国連主導の武力制裁である集団安全保障への参加をめぐる首相の発言や政府の対応は二転三転し、定まっていない。首相は集団的自衛権の行使容認の検討を表明した5月15日の記者会見で「武力行使を目的とした自衛隊の海外派兵はしない」と表明したが、同月28日の国会答弁で、武力行使にあたる戦争中の機雷掃海は行う考えを示した。 
 
 さらに、今回の閣議決定には集団安全保障の武力制裁への参加は明記されていないが、政府が作成した想定問答集には「許される」との見解が示されている。 
 「海外での戦争に参加しない」という見解は、新たな憲法解釈には盛り込まれていない。時々で変わり得る政権が判断することを意味し、首相の説明が何度も変わっていること自体、それを証明している。 
 
◆「3要件が明確な歯止め」/適否 政権の判断次第 
 今回の閣議決定では、集団的自衛権の行使に関し「わが国の国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される、明白な危険がある場合」など、武力行使の新3要件を示した。 
 首相は記者会見で、新3要件は「従来の憲法解釈の基本的な考え方と変わらない。明確な歯止めとなっている」と強調した。 
 だが、これまでの憲法解釈では「わが国への攻撃があった場合」と明確な基準があったが、新3要件では「明白な危険」に変わり、それがどのような状態か具体的な説明はない。要件を満たすかどうかは、政権の判断に委ねられることになる。 
 
 中東での機雷掃海について、自民党は可能だと主張しているのに対し、公明党は「そうした状況は起こりにくい」と消極的で、早くも食い違いを見せている。 
 首相は記者会見で、新3要件のうち、最も重要な「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」という第一の条件には触れず、第二、第三の条件である「他に手段がないときに限られ、かつ必要最小限でなければならない」にだけ言及した。 
 
 
国民に嘘を言って国策を大転換した安倍首相
五十嵐仁の転生仁語 2014年7月2 
 昨日の閣議で、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。日本の外交・安全保障政策の大きな転換点です。
 
  ところが、記者会見を開いてそれについて説明した安倍首相は、奇異なことを発言していました。「平和国家としての日本の歩みは変わらず、歩みをさらに力強いものにする」と。
  嘘を言ってはいけません。「変わらない」のであれば、わざわざ新しい閣議決定をする必要がどこにあったのでしょうか。
  「平和国家」としての日本の歩みを大きく転換するために、これほどの反対を押し切り、公明党を恫喝して閣議決定する必要があったのではありませんか。一国の指導者が国民を偽るようなことを堂々と言うところに、この国の政治の劣化と政治家の退廃が示されています。
 
  安倍首相は「海外派兵は一般に許されないという従来の原則は全く変わらない。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と述べました。これも真っ赤な嘘です。
  今回の閣議決定によって自衛隊の役割は増大し、日本の領域外での活動が拡大するようになります。そもそも、「自国と密接な関係のある他国」への武力攻撃に対処することが、「他国」に行かずに可能なのでしょうか
  「海外派兵」をせず、「かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加する」ことが全くないのであれば、何も、わざわざ「他国」を加える必要はなかったでしょう。見え透いた嘘を言ってはなりません。どうして、正直に国民に説明し、覚悟を求めないのでしょうか。
 
 また、首相は「外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行わない」とも述べていましたが、逆に言えば、「外国の防衛それ自体を目的」とせず、「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があると判断された場合には武力行使を行うということであり、武力行使の可能性が拡大することは明確です。というより、自衛隊の活動範囲と役割を拡大し、日本の領域外での武力行使を可能にするための解釈の変更なのです。
 自衛隊が、海外で血を流し、犠牲者を出す危険性はこれまでよりも格段と高まるでしょう。アメリカの求めに応じて日本の若者の命を差し出せるようにするための解釈の変更だったのですから。
 こうして、「平和国家としての日本の歩み」は大きく変わり、国防政策は大転換することになります。「戦争できる国」となって、安倍首相がめざす「普通の国」へと、日本は変わっていくでしょう。
 
 それは、外交・安全保障面での「戦後レジームからの脱却」にほかなりません。将来的には国連安全保障理事会の常任理事国となって、連合国主導で形成された戦後の国際秩序をひっくり返したいと考えているのでしょう。
  昨日の記者会見で、「抑止力を高め普通の国になるということは、また、平和を守るためには、もしかすると犠牲を伴うかもしれないという可能性もあると思いますが、国民がどのような覚悟を持つ必要があるでしょうか」と、記者の一人が質問しました。しかし、安倍首相はこれを無視し、質問に対してまともに答えることはありませんでした。
 国民に「覚悟」を求める勇気もなく、嘘とごまかしで大転換してしまった国策です。そのために血を流すリスクを背負わされる自衛官たちからすれば、たまったものではないでしょう。