2014年6月16日月曜日

「立憲デモクラシーの会」 緊急記者会見(9日)

 13日付内田樹の研究室」(ブログ)に「立憲デモクラシーの会の緊急記者会見」の詳報が掲載されました。
 会の8名の出席者の発言が克明に記されています。
 膨大な記事のため冒頭の山口二郎共同代表の発言の部分を紹介します。
 具体的で分かりやすい説明がされています。
 
 全体については、下記のURLで原記事をお読みください。
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立憲デモクラシーの会の緊急記者会見
2014年6月9日立憲デモクラシーの会緊急記者会見(衆議院第一議員会館) 
 
 (前 略)
杉田敦(法政大学・政治学):それでは「立憲デモクラシーの会」の記者会見を始めさせて頂きます。私、本日司会をいたします法政大学の政治学の杉田でございます。それではまず、山口代表のほうから、一言申し上げます。
 
山口二郎(法政大学・政治学): 共同代表の1人であります法政大学の山口です。このたび、安保法制懇報告および、それを基にして出されました5月15日の安倍首相記者会見の内容を中心に、今の政府が進めようとしている集団的自衛権行使容認についての見解をまとめましたので、ここで発表させていただきたいと思います。まずお配りした資料の要点の所を読み上げます。
 
【要点】
 1 内閣の憲法解釈の変更によって憲法9条の中身を実質的に改変する安倍政権の「方向性」は、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものであり、「法の支配」から恣意的な「人の支配」への逆行である。
 2 首相が示した集団的自衛権を必要とする事例等は、軍事常識上ありえない「机上の空論」である。また、抑止力論だけを強調し、日本の集団的自衛権行使が他国からの攻撃を誘発し、かえって国民の生命を危険にさらすことへの考慮が全く欠けている点でも、現実的ではない。
 3 「必要最小限度」の集団的自衛権の行使という概念は、「正直な嘘つき」と同様の語義矛盾である。他国と共同の軍事行動に参加した後、「必要最小限度」を超えるという理由で日本だけ撤退することなど、ありえない。また、集団的自衛権行使を可能とした後、米国からの行使要請を「必要最小限度」を超えるという理由で日本が拒絶することなど、現実的に期待できない
 4 安全保障政策の立案にあたっては、潜在的な緊張関係を持つ他国の受け止め方を視野に入れ、自国の行動が緊張を高めることのないよう注意する必要がある。歴史認識等をめぐって隣国との緊張が高まっている今、日本政府は対話によって緊張を低減させていく姿勢をより鮮明にすべきである。
 
次に、内容について少し補足いたします。
 
まず第1の立憲主義に関する問題点です。お配りした資料の声明文の次のところに『月刊自由民主 2010年2月号』のコピーを付けております。これは、民主党政権時代に小沢一郎氏が、政治主導で内閣法制局の長官を国会答弁の補佐人からはずするというような事をやっていたときに、自民党がそれを批判して出したコメントでして、四角で囲ってあるところを読みますと、「憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を制限するための法であるという性格を持ち、その解釈が、政治的恣意によって安易に変更されることは、国民主権の基本原則の観点から許されない」とはっきり書いているわけです。いわば私どものこの第1の論点は、2010年の自民党の見解と全く同じであります。
 
そういう意味で、自民党という政党も、野党時代には真にまともなことを言っていたんだなと思います。しかし、ご都合主義的に今、安倍首相の下で、立憲主義についてのまっとうな議論をかなぐり捨てているという状況であります。ともかく、自衛隊が憲法第9条のもとで、「自国の防衛に専念する」という体制は、半世紀以上続いて来たわけありまして、これは定着しているわけですね。これを一内閣の解釈変更によって、根本的に役割を変えるということは、まさに、自民党のこのペーパーが言うところの「政治的恣意による安易な変更」であります。安倍首相は外国に行きますと、明らかに中国等を念頭において、『自由』『民主主義』『法の支配』という3点セットの、政治的価値の重要性を強調するわけです。しかしながら、今回のこの内閣の、閣議決定による憲法解釈の変更をもし許せば、日本も『法の支配』ではなくて『人の支配』の国になってしまうという結果になる訳です。ここの所は、自民党政権が過去に見てきたことを思いだしていただいて、慎重に考えてもらわなければ困るという事であります。
 
それから第2の論点は、「国民の生命・安全を守る」という強弁についてであります。これは特に5月15日の記者発表の時の様子を念頭において我々が考えた批判なのです。要するに、集団的自衛権の行使を解禁することが本当に国民の生命・安全を守るために役立つのか。あるいはそのために必要不可欠な手段なのかという問題点であります。あの記者発表においても安倍さんは、紙芝居まで用意して、有事の際に日本人を運ぶ米国の艦船を護衛する必要があると.そのために集団的自衛権が必要だという理屈を立てたわけなのですけれども、こういった話は真に荒唐無稽であります。そもそも米国の、特に米軍の艦船に、民間の日本人が乗って、日本に帰還するなどうという事は、米軍自体まったく想定していないわけですね。
 
有事の際の邦人帰還については従来防衛省、自衛隊等で、いろいろなシミュレーションをしてきたわけでありまして、そういう現実的な議論の積み重ねは無視して、集団的自衛権を認めるための、いわば道具、方便としてあのような事態を持ち出すというのも、真に非現実的な話であります。より大きな問題は、集団的自衛権を行使することが、全面的な戦争への参加につながる.そして、かえって国民を危険にさらしかねないという側面を、意図的か、あるいは無知のゆえか、無視しているという点であります。言うまでもありませんが、集団的自衛権を行使して日本が米国の艦船等を守る為に武力攻撃を一緒に行えば、向こう側にとっては、「日本は戦争を仕掛けた」という解釈をされるわけであります。
 
そうなると、仮に、日本の近くで有事が起こった場合、その敵対国は米国本土ではなくて、日本にある米軍基地、あるいは、更には日本の国土を攻撃することは、明らかであります。したがって、「船に乗って帰ってくる日本人を守る為に武力攻撃が必要なんだ」というわけですけども、その数百倍、数千倍の損害、人命の損失、あるいは環境破壊を引き寄せる危険性について何ら考慮していない。あるいは考慮していることを隠しているという点で、真に不誠実極まりない説明であると言わなければなりません。とりわけ、日本という国は、日本海沿岸に多数の原発を置いているわけでありまして、通常兵器による戦争は、すなわち、核戦争を意味いたします。そのような脆弱な国土を作っておいて、武力攻撃を行う、あるいは戦争状態を誘発するという事をいったいどこまで真面目に考えていたのか。この辺の問題も、安保法制懇の議論、あるいは安倍首相の議論からまったくうかがえないということであります。
 
3番目は「必要最小限」という言葉のまやかしであります。個別的自衛権については、その資料にありますように、「我が国に対する急迫不正の侵害」「これを排除するために他に適当な手段がない」そして「必要最小限度の実力行使にとどまる」という、3つの要件を挙げて、それを満たす場合に自衛権を発動するということが憲法上できるのだという説明をしてきたわけであります。しかし集団的自衛権の場合は、それとはまったく、その構成が違う訳でありまして、その下に書いてありますように、直接武力攻撃を受けていないのに、放置すると我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるか、ないか、という不明確な基準によって、その時々の政府が実力行使の判断をするという問題点。そして、「自国の安全への危害の可能性を未然に防ぐこと」と、「緊密な関係を有する他国を防衛すること」という二つの異なる集団的自衛権行使の目的が存在するなかで、自衛隊の任務が何で、その達成のための必要最小限度の実力行使とは何かを、政府がどのように判断するのか、明確な基準が存在していない訳であります。
 
さらには、攻撃を受けた密接な関係を有する他国からの要請を受けて、集団的自衛権を行使し、自衛隊が、他国軍と協力して敵国に対して実力行使をしている事態になって、「必要最小限度を超えた」という理由で日本政府が単独で戦争から「早期退出」を判断できるというのは、これは非現実的極まりない話であります。ということで、集団的自衛権というのは、いったん行使をすれば、歯止めがない。軍事力の行使は無制限のものになるという事は、明らかであります。そういう意味で、「必要最小限度の集団的自衛権」というのは、集団的自衛権の本質を誤魔化す詭弁であると言わなければなりません。
 
4番目は、今後の国際協調のあるべき方向性でありまして、ここは、いわゆる「安全保障のジレンマ」に言及している訳であります。つまり、こちらが侵略とか、攻撃の意思を持っていなくても、攻める力、あるいは攻めるための法的な仕組みを整備すれば、仮想敵とされている国々は当然、「攻撃を受ける」という警戒心を持って一層防衛力の強化を図る。そこから悪循環が進んでいく。これが「安全保障のジレンマ」であります。その意味で、日本は、東アジアにおいて、緊張を減らす方向での努力を、むしろすべきではないか。ここで唐突に集団的自衛権の行使を可能にするために、事実上、憲法の中身を作り替えるという事をやれば、これはむしろアジアの緊張を高める効果をもってしまうという主張であります。このような論点から今回の安倍政権の集団的自衛権行使についての見解は大きな問題をはらんでいるという事が、この見解の主旨であります。
 
私どものこの見解は、先ほど申しましたように、安保法制懇の報告を受けて作ったものですが、その後、この3週間くらいの間に議論はどんどん拡散しております。集団的自衛権以外の、例えば、グレーゾーン事態、マイナー自衛権とか、それから非戦闘地域の概念だとか。いろいろなことを次々と打ち出して、与党協議の中で、自衛隊の役割についての法的な縛りを外していく。あるいは役割を拡大していくという試みが繰り返されております。しかし、その中で打ち出された議論がほんの数日で撤回されるという事がありました。これは本当に、今の安倍政権、あるいは自民党の、信じがたい不誠実と言いますか、非常にいい加減な態度の表れだと言わなければなりません。ですからそこで出てきた多数の類型なるものについて、いちいち、「これはできる」「できない」といったことを議論すること自体が無意味なものであります。そういう形で、いろいろな「場合」を繰り出してきて、議論を混乱させて、そしてどこか1点でも「集団的自衛権の行使が必要である」という議論を公明党から引き出す、あるいは特殊なありもしない事例を想定して、「そういう場合は集団的自衛権を認めなければ対処できない」という世論の反応を引き出す、これが現政権のねらいです。こういう安倍政権、自民党のやり方についても非常に、私たちは怒りを持っているという現状であります。私の見解についての説明は以上とさせていただきます。
  (後 略)