2014年6月22日日曜日

国連の集団安全保障に参加できるようにしたいと

 集団的自衛権などを巡る与党協議で、自民党は国連の集団安全保障での武力行使に自衛隊が参加できるようにすべきだと提案しました。
 これは憲法解釈変更に基づく集団的自衛権の行使に加えて、国連の「集団安全保障」の枠組み(=多国籍軍)に自衛隊が参加し、海外での軍事行動ができるようにするもので、5月15日に首相が国民に説明したことにも真っ向から反するものです。
 
 安倍首相はこれまで、まずその入口として、戦闘中の機雷掃海を行えるようにしたいと主張してきました。しかし交戦中の機雷掃海作業が戦闘行為そのものであることは、国連自身が認めていることです。
 海上封鎖が死活的に重要であるとして、ある国が敷設した機雷を、戦争が終結する前に第3国が勝手に取り除けば、当然敵対的行為であるとして反撃を受けます。それを「直接敵を叩くわけではないから許される」などという理屈は、到底成り立ちません。
 
 従ってこれからそうした議論が展開されるのかと思っていると、今度はいきなり国連の多国籍軍に参加できるようにしようという提案です。なぜこんなに短いサイクルで、自民党は言うことを次々と変えるのでしょうか。 
 それにしても集団的自衛権の行使と言い、多国籍軍への参加と言い、憲法9条からはこれ以上はないほどの逸脱で、よくもまあ素面で提案できるものです。
 
 そうかと思うと、政府は閣議決定において、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の区別をせずに、「自衛の措置」とする方針を固めたということです。それも「集団的自衛権」行使の違憲性が周知されたためにそれを交わそうとするもので、姑息極まる浅知恵というしかありません。
 
 そうして政府・自民党は、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を6月中に公明党と合意し、7月1日に閣議決定する方向で調整に入ったといわれます。
 
 自民党は、兎に角なんとしてでも公明党に閣議決定を合意させてしまえば、あとは「アリの1穴」で、9条などはものの見事に形骸化させようという魂胆であることは、安倍首相、石破幹事長、高村副総裁らのこれまでの言動から見て明らかです。
 
 それを十分に承知している筈の公明党が、もしもそれに意して容認するようなことがあれば、将来に渡って同じ穴のムジナと呼ばれる謗りは免れないことになります。
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(社説集団安全保障 首相の発言と矛盾する
毎日新聞 2014年06月21日
 集団的自衛権などを巡る与党協議で、自民党が国連の集団安全保障での武力行使にも自衛隊が参加できるようにすべきだと提案した。憲法解釈変更に基づく新たな自衛権発動の3要件案を集団安全保障にも適用するという。必要最小限度の自衛権の行使を認める憲法9条から逸脱しており、乱暴で唐突な議論だ。
 
 自民党の提案は、安倍晋三首相が意欲を示すシーレーン(海上交通路)での戦闘中の機雷掃海を集団的自衛権だけでなく、集団安全保障としてもできるようにするのが狙いだ。
 集団安全保障と集団的自衛権は異なる概念だ。集団的自衛権が同盟国などへの武力攻撃に反撃する権利なのに対し、集団安全保障は国連決議に基づき国際社会が協力して侵略などを行った国に制裁を加える。
 自衛隊が集団的自衛権を行使して機雷掃海をした場合、途中で国連決議が出て集団安全保障に切り替われば、自衛隊は活動を中止しなければならなくなると自民党は説明する。
 だが集団的自衛権として戦闘中の機雷掃海を認めるべきかでさえ、自民、公明両党の主張は対立したままだ。公明党は国民の権利が「根底から覆される」事態に集団的自衛権の行使を限定的に認める柔軟姿勢に傾いているが、機雷によるシーレーン封鎖で原油供給が滞ることがそれに該当するのか疑問があるからだ。
 それでもまだ集団的自衛権は自衛権の問題だが、集団安全保障は軍事的制裁という別次元の問題だ。
 首相は5月15日の記者会見で、集団安全保障への参加について「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と否定した。今月9日の参院決算委員会では「(機雷掃海は)受動的かつ限定的な行為で、空爆や敵地に攻め込むのとは性格が違う」と述べ、機雷掃海のような武力行使と戦闘を区別する考えを示した。
 だが、敵軍にそんな区別は通用しない。戦闘行為と判断され、攻撃され、反撃することを覚悟しなければならない。機雷掃海を認めれば、湾岸戦争のような戦闘に加わることになり、首相発言と明らかに矛盾する。
 政府が閣議決定を目指す文章には、具体的事例は書き込まれない見通しだ。いったん集団的自衛権や集団安全保障を認めれば、活動は政権の判断で拡大できる。
 公明党の反発を受けて、自民党の高村正彦副総裁は与党協議後には慎重姿勢を示した。だが自民党の一部には、集団安全保障への参加にこだわりがある。自民党の提案は「うまくいけばもうけもの」の行き当たりばったりのやり方に見える。憲法を扱う態度として誠実さに欠ける。
 
 
集団的自衛権:「集団」「個別」区別せず 政府方針 
毎日新聞 2014年06月21日
◇閣議決定めぐり、憲法解釈上は「自衛の措置」と
 政府は、閣議決定で集団的自衛権の行使を容認する際、国際法上は集団的自衛権だと説明する一方、憲法解釈上は「集団的」を明示せず「自衛の措置」とする方針を固めた。20日の与党協議会に示した閣議決定原案で、日本の武力行使を「国際法上の根拠と憲法解釈は区別」すると明記。また自公両党は同日、国連の集団安全保障での武力行使解禁を閣議決定に明記しない方針で一致した。
 
 原案は、集団的自衛権を「他国に対する武力攻撃が発生し、国民の権利が根底から覆されるおそれがある」時に行使できると規定。その武力行使は「国際法上は集団的自衛権が根拠となる」としたが、憲法解釈上の根拠は明記していない。
 安倍晋三首相は閣議決定に「集団的」の文言を盛り込むよう指示。一方、公明党は集団的自衛権を認めていない現行の憲法解釈との整合性を重視しており、政府関係者は「国際法上は集団的自衛権に当たる活動でも、国内では『自衛の措置』と区別して説明し、首相と公明の双方を立てる」と話す。
 実際、国連憲章は加盟国が自衛のために武力を使う際の根拠として、個別的自衛権と集団的自衛権を挙げているが、日本の憲法には記述がない。政府は「区別」することで国際社会への説明と国内向けの説明を分けられるとみており、公明党が「集団的自衛権の行使を容認したわけではない」と支持者を説得する余地も生まれると判断した。
 だが、集団的・個別的を明確に分けてきた従来の政府見解との矛盾は避けられない。国連憲章51条は個別的・集団的自衛権を行使した国に、国連への報告を義務付けており、この矛盾によって国際社会の信用を損ねたり、国民の不信を招いたりする懸念もある。
 一方、自公両党は20日、集団安保での武力行使について水面下で調整。公明党が「党内での意見集約が困難」と反対し、閣議決定への明記は見送ることで一致したが、「自衛権の行使」として事実上可能とすることを検討している。
 政府・自民党は、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を6月中に公明党と合意し、7月1日に閣議決定する調整に入った。直後に衆参両院で閉会中審査を開くことも想定している。【青木純、飼手勇介】