2014年4月7日月曜日

高村氏の主張は砂川判決をゆがめたもの +

 自民党の高村副総裁は、1959年砂川事件最高裁判決文から、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」という部分を取り上げて、最高裁判決が、個別的・集団的の区別をせずに固有の自衛権を認めた上で、国の存立を全うするために必要最小限度の自衛の措置をとりうると述べている「措置」のなかに、「集団的自衛権の一部も含まれると主張しています。
 
 6日のしんぶん赤旗は、高村理論?の根源部分を批判する「主張」を掲げました。
 
 そこでは長谷部恭男 早大教授(前東大法科大学院長)の「私が存じ上げるような学者の方でそういう議論をしている人はいない。なかなか理解することが難しい議論」「集団的自衛権が憲法9条の下で否定されているというのは、実は砂川判決からも出てくる話」だと批判を紹介し、高村氏の引用した部分が、「日本への武力攻撃に対する防備や抵抗、つまり個別的自衛権について語っているのは明白」としています
 
 そして、「どこにも集団的自衛権の行使を認める記述がない」砂川判決を引いて、力でねじ曲げたような理屈しか持ち出せないところに集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲の道理のなさが表れているとし、行使容認のたくらみはきっぱりと断念すべきだと結んでいます
 
+「砂川判決 “・・・集団的自衛権は認められていない” 法制局長官(当時)が言明・・』
   7日付赤旗記事を追記
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主張 集団的自衛権議論 砂川判決どこまでゆがめるか
しんぶん赤旗 2014年4月6日
 自民党の高村正彦副総裁らが55年も前の「砂川事件最高裁判決」(1959年12月)を持ち出して、集団的自衛権の行使を容認する「根拠」にしようとしています。しかしこの判決はどう読んでも、集団的自衛権の行使を正当化できるものではありません。「牽強(けんきょう)付会」(自分の都合のいいように強引に理屈をこじつけるとの意味)の主張としかいいようのない説です。
 
憲法学者も理解できぬ
 砂川事件とは、旧米軍立川基地(東京都砂川町=当時)の拡張に反対するデモ隊の一部が基地に立ち入ったとして逮捕、起訴された事件です。東京地裁が米軍駐留は違憲として無罪判決(いわゆる伊達判決)を下したのに対し、日米政府による介入でこれを破棄したのが「砂川事件最高裁判決」です。
 この判決の中に、「これ(憲法9条)によりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、…」「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」というくだりがあります。
 高村氏はこの部分だけを意図的に取り上げて、最高裁判決は個別的・集団的の区別をせずに「固有の自衛権」を認めた上で、国の存立を全うするために必要最小限度の自衛の措置をとりうると述べており、そこには集団的自衛権の一部も含まれると主張しています。
 
 しかし、高村氏の主張については、秘密保護法を容認している憲法学者からも「私が存じ上げるような学者の方でそういう議論をしている人はいない。なかなか理解することが難しい議論」だという批判が上がっています(長谷部恭男早稲田大学教授、3月28日の日本記者クラブでの会見)。
 実は、高村氏が取り上げる「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、…」という文章は、「わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」と続きます。この文章が、日本への武力攻撃に対する「防備」や「抵抗」、つまり個別的自衛権について語っているのは明白です。
 
 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」というくだりについても、判決は、“憲法9条2項で戦力を保持しないことになっているが、これによって生ずる防衛力の不足を補うため、他国に安全保障を求めることは禁じられていない”という意味で書いています。
 憲法9条2項の戦力不保持規定による「防衛力の不足」、つまり個別的自衛権を行使する上での制約を、日米安保条約に基づく米軍駐留によって補うと言っているにすぎません。
 
根拠はどこにもない
 米軍駐留を違憲とした伊達判決を破棄した最高裁判決はそもそも不当なものです。しかし、そのどこにも集団的自衛権の行使を認める記述はありません。それどころか、「集団的自衛権が憲法9条の下で否定されているというのは、実は砂川判決からも出てくる話」(長谷部氏、同前)なのです。
 強引に力でねじ曲げたような理屈しか持ち出せないところに、集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲の道理のなさが表れています。行使容認のたくらみはきっぱりと断念すべきです。
 
砂川判決 “個別的自衛権は認められたが、集団的自衛権は認められていない” 法制局長官(当時)が言明していた 首相らの根拠のなさ 裏付け
しんぶん赤旗 2014年4月7日
 安倍政権が集団的自衛権の行使容認の根拠としようとしている1959年12月の「砂川最高裁判決」(別項)について、政府の法令解釈などを担う法制局(現・内閣法制局)の林修三長官(当時)が、集団的自衛権については「未解決」との見解を示していたことが分かりました。同判決を集団的自衛権の根拠とする考えには専門家から批判の声が相次いでいますが、その批判を明確に裏付けるものといえます。
 
 54年から64年まで法制局・内閣法制局の長官を務めた林氏は旬刊誌『時の法令』(当時は大蔵省印刷局発行)に「砂川判決をめぐる若干の問答」と題する一文を掲載。この中で「わが憲法がいわゆる集団的自衛権を認めているかどうかという点も、なお未解決だね。個別的自衛権のあることは今度の判決ではっきりと認められたけれども」(60年344号)と述べています。
 
 自民党の高村正彦副総裁は3月31日に開かれた首相直属機関「安全保障法制整備促進本部」での講演で、「最高裁は59年の砂川判決で、個別的とか集団的とか区別せずに…固有の権利として自衛権は当然持っていると言っている」と主張。安倍首相も同様の国会答弁を行っています。
 一方、林氏は、砂川判決が個別的自衛権については認定しているものの、集団的自衛権の保有については判断していないとしており、高村氏の主張とは真っ向から反しています。
 さらに林氏は、砂川最高裁判決の趣旨は駐留米軍が憲法9条2項に違反しないという点であるとの見方を示した上で、「現行安保条約はもっぱら米軍の行動とか権利のことを規定しているだけで、わが国のそういう問題を具体的に規定していないのだから、判決が(集団的自衛権に)触れていないのは当然」とも述べています。
 
 砂川判決直後、岸信介首相(当時)が集団的自衛権について「憲法上は、日本は持っていない」(60年3月31日、参院予算委)と答弁するなど、むしろ集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの解釈が確立しています。
 
砂川判決 米軍駐留の合憲性が最大焦点になった判決。1957年7月に米軍立川基地(旧砂川町、現・立川市)の拡張に抗議するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして、日米安保条約に基づく刑事特別法で起訴(砂川事件)。東京地裁は59年3月、米軍は憲法9条2項が禁じた「戦力」にあたり、駐留は違憲だとして無罪を判決。これに対して最高裁は同年12月、米軍は「戦力」ではないとして一審判決を棄却しました。判決に先立って最高裁と日米両政府が密議を交わしていました。