2014年2月28日金曜日

マーシャル諸島で長岡市を舞台にした映画の上映会

 1946~58年 米国の核実験が繰り返されたマーシャル諸島で、終戦間際に「模擬原爆」が投下された新潟県長岡市を舞台にした映画の上映会開催に奔走する日本人女性がいるということです
 
 その女性は神奈川県出身の大川さんで、高校3年の時には「高校生平和大使」の1人に選ばれて、国連欧州本部などを訪ねスピーチました
 大学では被曝の島:マーシャル諸島を研究し、3年前からは現地の建設資材会社で働きながら、歴史を中心に聞き取り活動などをしています。
 
 新潟市は原爆投下の候補地の一つでしたが、終戦の年の8月初めに大空襲を受けた長岡市は、7月にも「模擬原爆」(パンプキン爆弾)が投下されていたのでした。
 
 朝日新聞の記事を紹介します。
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(ビキニ60年) 平和願う映画、マーシャルで
朝日新聞 2014年2月27日
 米国の核実験が繰り返されたマーシャル諸島で、終戦間際に「模擬原爆」が投下された新潟県長岡市を舞台にした映画の上映会開催に奔走する日本人女性がいる。核なき世界の実現へ、共に歩めれば――。平和への思いを込め、4千キロ離れた二つの国をつなごうとしている。
 
 女性は神奈川県出身の大川史織さん(25)。戦時中に10代前半だった祖父の体験を聞いて育ち、戦争や平和に強い関心を持つようになった。
 
 都立国際高校3年の時、「高校生平和大使」の1人として国連欧州本部などを訪ね、「世界の国々の不安や恐怖心が軍事力を高めてしまっている」とスピーチした。大学へ進んだ後、1946~58年に米国による核実験が続いたマーシャル諸島を研究。3年前からは現地の建設資材会社で働きながら、歴史を中心に聞き取り活動をしてきた。
 
 2年前。大川さんはマーシャル諸島の首都マジュロの銀行で、手続きの合間に手にしたスマートフォンの画面を見た。「花火も爆弾も作れるけど、花火の方がいいよね、っていう人間の正気を伝えていくのが、芸術の仕事」。映画監督の大林宣彦さんが語ったインタビュー記事だった。
 
 《爆弾じゃなくて、きれいな花火ばっかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかった》。大林監督は2011年、画家・山下清の言葉をモチーフにした映画「この空の花―長岡花火物語」を手がけていた。広島と長崎に原爆が投下される直前の45年7月、米軍が模擬原爆(パンプキン爆弾)を落とした新潟県長岡市が舞台だった。
    
 

小松長官 憲法解釈変更で容認可能か検討

 1ヶ月間検査入院をしていた小松内閣法制局長官は26日衆院予算委で、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内部で検討を進めていることを明らかにしました。
 また、「まず閣議決定を行い、その後立法措置を国会に求めるのに先立って、国会で議論する」という安倍総理大臣の考えを「理解している」と述べました。
 
 小松氏は首相が異例の手法で内閣法制局長官に任命した人で、集団的自衛権の行使容認派として知られています。同氏は今後も週1回通院治療を続けるということですが、入院中には安倍首相がわざわざ見舞いに行ってるほどで、さすがに息はぴったりと合っています。
 
 予算委では、「憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、変更することができるのか、できないのか現在、内々に検討、議論している」ことを明らかにしました。
 また「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」という質問に対しては、「厳しい制約の中でそれはあり得る」「法制局は組織として議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断する」と述べました。
 
 入り組んだ言い方をしていますが、結論の部分で真意を述べていると受け取れます。
 万が一、内閣法制局内の結論と解離した長官の判断が下されるようなことがあれば、大変なことです。
 
 NHKのニュースと併せて田中秀征氏の27日付の「政権ウォッチ」を紹介します。
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集団的自衛権行使 憲法解釈変更で容認可能か検討
NHK NEWS WEB 2014年2月27日
国会答弁で政府の憲法解釈などを示す役割を担う小松内閣法制局長官は、26日開かれた衆議院予算委員会の分科会で、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内部で検討を進めていることを明らかにしました。
 
この中で小松内閣法制局長官は、集団的自衛権の行使容認に関連して、「まず閣議決定を行い、政府としての考え方を確定したうえで、具体的に立法措置を国会に求めるのに先立って、国会でご議論いただくという安倍総理大臣の考えは、なるべく丁寧なやり方で物事を進めたいという考え方に基づくものと理解している」と述べました。
 
そのうえで小松長官は、「従来の憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、解釈の変更に限界があるなかで、変更することができるのか、できないのか検討する必要がある。現在、内々に検討、議論している」と述べ、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内閣法制局の内部で検討を進めていることを明らかにしました。
そして小松長官は「憲法解釈の変更は、『真に変更することが至当である』という結論にならなければできない。あらゆる角度から検討しているところであり、結果を予断するわけにはいかない」と述べました。
また小松長官は、「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」という質問に対し、「厳しい制約の中でそれはあり得る」と述べました。
 
さらに小松長官は、内閣法制局の判断は誰が最終的に下すのか質問されたのに対し、「法制局は組織として動いていて、局内で議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断するということだ」と述べました。
 
 
安倍首相は憲法改正の王道に戻るべき 
田中秀征 ダイヤモンドオンライン 2014年2月27日
 安倍晋三首相は、このところ前のめりになって、集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更に突き進んでいる。
 12日の国会で憲法解釈の「最高責任者は私だ」と強調。あたかも首相が自由に憲法の解釈を変更できるかのような印象を与えた。
 さすがにこの発言には自民党内も黙ってはいない。
 13日の総務会では、村上誠一郎元行革相が「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と強く批判。自民党の憲法改正推進本部の船田元氏も「拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と戸惑いを隠さない。
 連立与党の公明党も井上義久幹事長が記者会見(14日)で強くけん制した。
 「憲法の整合性を内閣法制局がチェックし、歴代内閣が尊重してきた経緯は重い。それを踏まえて発言してほしい」
 
 この問題はとりわけ公明党にとって生命線とも言えるもの。解釈改憲に断固として立ちはだかることが公明党に対する世論の大きな期待である。消費税増税でも、特定秘密保護法でも公明党は一定のブレーキ役を果たしたものの最終的に自民党に押し切られた感は否めない。ここは党の運命に関わる正念場だ。
 
国民無視の解釈改憲は邪道
 さて、この問題には、異質な2つのポイントがある。
 ①まずは「解釈改憲の是非」が1つの重要なポイントだ。
 そもそも政府が恣意的に憲法の解釈を変更することができるのかという重大問題。
 しかも、それが並みの条文ではなく、憲法の根本規範とも言える条文に関することである。
もしもそれが許されるなら、憲法は政権の勝手な解釈変更によってどのようなものにも変えることができる。それではもう憲法とは言えないし、国際社会の失笑を買いかねない
 特に、今回のように安全保障に関するものであれば、一層勝手な解釈改憲はあってはならない。なぜなら、国の防衛には国民的理解と協力が不可欠だからだ。憲法改正手続きを踏み、丹念に国民的合意を形成して明文改正の王道を経なければ、危機に臨んでの国民的協力は得られない。
 
 首相は思いがけない与党内からの異論の噴出を受け、「政治の場で私が決めればいいということではない。安保法制懇で慎重に深い議論をして頂いている」と反論している。しかし、このような“有識者”による私的諮問機関には何の権限もない。一般世論はもちろん、国会からの認知も受けてはいない。それにこの期に及んで“非公開”の議論では、メンバー一人ひとりの発言責任を追及できない。
 首相は法制懇の報告を受けて解釈改憲の政府見解を固め、国会での議論も経ずに閣議決定を強行するらしい。これに対して国権の最高機関である国会はそれを許すのか。議員一人ひとりの明確な対応が示されなければならない。
 
 そもそも「集団的自衛権を行使しない」という従来の憲法解釈は、1つの内閣が決めたものではない。いわんや内閣法制局が決めたものでもない。
 憲法制定以来、その理念と条文に沿ってすべての歴代内閣が尊重し、国民によって辛抱強く支えられてきたものだ。内閣法制局はその長い歴史的蓄積を経た解釈を守るため、そのときどきの内閣との緊張関係もいとわずに役割を果たそうとしてきた。
 内閣法制局は、憲法の解釈を決めるのではなく、歴史的に決められてきた解釈を守るのが務めなのである。
 
 ②は、言うまでもなく「集団的自衛権行使の是非」である。
 ところが、現時点の問題はこの②の段階には至っていない。首相が解釈改憲の邪道ではなく、かつてのように堂々と憲法改正手続きを踏んで王道を進むのであれば、有意義な国民的議論が展開されるだろう。
 
 早期に集団的自衛権の行使が必要だから、憲法の改正は止めて、憲法の解釈を変更する――そんな不見識な論理は通らない。政権が緊急の必要性を感じたら、いつでも、どうにでも解釈を変更できることになる。安倍首相はまずかつての王道に戻るべきである。
 
 

2014年2月27日木曜日

年金の完全理解と大改革 武田氏ブログその4

 今回は例の長妻議員が大活躍した社会保険庁のデタラメ騒動を、これまでの一連の文脈から位置づけ直しています。
 
 とはいっても、社会保険庁が無実の罪を着せられたというようなことでは決してなく、社会保険庁が行ったデタラメも決して許されるものではありません。
 
 役人の行う不正の闇の巨大さにはただただ度肝を抜かれるばかりです。
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年金の完全理解と大改革(7) トリックに加担した人たち
武田邦彦 2014年2月20日
 
最初から年金の崩壊が予定され、予定通りに国民の年金の大半を使い、いよいよ国民を誤魔化す方法も厚生省の中で十分に議論されたに相違ない。なにしろ、事実がそのままばれれば厚生省の解体にもつながるような重大なことだからだ。作戦は2つ、
 
1. 年金自体の問題ではなく、崩壊したのは社会保険庁の責任と言うことにして、国民の批判を社会保険庁に集中する。社会保険庁長官を更迭し、さらに新しい年金機関を作ってリニューアルする。
2. 
年金を計画した時には「理想的なピラミッド型人口分布」だったのに、その後、予想できないような少子化と高齢化が進み、年金が維持できなかったという言換えをする。「若者が支えるのが年金」と言い換えて少子化対策を始める。
 
1) は主としてマスコミと後の厚生労働大臣になった長妻さんや民主党などが結果的に担当したように見える。まさか故意ではないとは思うけれど、民主党がもともと厚生省の尻拭いを知っていたかどうかまだはっきりしていない。
2) は主として専門家が担当した。1930年ごろのピラミッド型人口分布(下図)と2030年ごろの長方形の人口分布(下図)を比較して、「ピラミッド型なら若い人が多いから年金は良いけれど、長方形なら高齢者が多いので若者の負担が増える」と言った。
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もともと、日本の年金の基本は「積み立て型」だったので、この説明はまったくだましの手口に近いものだが、このような説明をした人の多くが年金の専門家だった。
またこのころから年金の複雑な仕組みを盛んに報道し始めたが、その仕組みがあまりにも複雑なので、多くの人は説明の途中で疲れて、本質的に年金が成立するのか、自分の年金は積み立てたもののうち、どのぐらいが返ってくるのかわからないままになった。
 
支給年齢も「高齢者が増えたから」という理由で65歳になったが、実は人口分布というのは将来も正確に推定できるものなので、年金が始まった1960年代には未来の人口分布が長方形であることは予想されていた。それは2030年の推定が2000年に確定していたことからもわかる。
いずれにしても、日本のマスコミ、年金専門家、厚労省関係の官僚の言換えによって、社会保険庁がつぶれて日本年金機構ができ、少子化対策が始まって年金と高齢化の関係が確定した。
 
150兆円の年金のうち、90兆円を使い込んだ厚生省は御用学者も動員してこの危機を乗り切ったのである。
 
 

参院の憲法審査会が開かれました

 26日参議院の憲法審査会今国会では初めて開かれ、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しを巡って意見が交わされました。
 
 集団的自衛権の行使については、民主党、共産党、結いの党、社民党は9条の解釈変更では行使は出来ないと主張し、自民党と日本維新の会は集団的自衛権の行使容認しました。
 公明党はこの問題に言及せず、新党改革・無所属の会も立場を明確にしませんでした。
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集団的自衛権 憲法解釈見直し巡り意見
NHK NEWS WEB 2014年2月26日
参議院の憲法審査会で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しを巡って意見が交わされ、集団的自衛権は国家固有の権利だとして賛成する意見と、これまでの政府見解を覆すものだとして反対する意見の双方が出されました。
 
参議院の憲法審査会は、26日、今の国会では初めて審査会を開き、安倍総理大臣が意欲を示している集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しを巡って意見が交わされました。
このうち、自民党の丸川珠代氏は、「日本の独立を守り、国際的な協力の下で平和を維持するために抑制的に実力を行使することは憲法の基本的な原理をないがしろにするものではない。集団的自衛権の行使は、憲法解釈の変更で可能になりうる」と述べました。
民主党の小西洋之氏は、「『憲法9条を変える以外に集団的自衛権の行使は可能にできない』というのが確立した憲法解釈だ。合理的な理由なく、ある日突然、内閣が『できる』と言ってしまうことは、憲法規範そのものの存立に関わる」と述べました。
公明党の西田実仁氏は、「今の憲法は優れた憲法であり、平和、人権、民主の3原則を堅持しつつ、環境権など、新たな理念を加えて補強する『加憲』が最も現実的で妥当だと考えている」と述べ、集団的自衛権については言及しませんでした。
みんなの党の松田公太氏は、「『集団的自衛権は、国家の固有の権利なのに行使が認められないのはおかしい。国民的な議論を踏まえつつ、政治が責任ある解釈を行ってしかるべきだ」と述べました。
共産党の仁比聡平氏は、「憲法9条の下で集団的自衛権の行使が認められるはずがない。安倍総理大臣の答弁は、歴代の政府見解を根底から覆すもので、憲法破壊にほかならない」と述べました。
日本維新の会の清水貴之氏は、「集団的自衛権の行使を認めない現状は日本への信頼を大きく損ねている。法律で集団的自衛権の行使の要件を明確にし、国民の納得と国際社会の理解を得るべきだ」と述べました。
結いの党の川田龍平氏は、「時の為政者が、憲法を拡大解釈して憲法の本来の方向性をゆがめるような行為は、憲法99条の憲法尊重擁護義務に違反する」と述べました。
社民党の福島みずほ氏は、「今の憲法の下で集団的自衛権の行使を認める解釈は取りえない。従来の憲法解釈を否定する動きは立憲主義の否定であり、憲法を空洞化しようとするものだ」と述べました。
新党改革・無所属の会の浜田和幸氏は、「憲法を前文から検討し直す時期にきている。集団的自衛権について意見交換し、新しい日本にふさわしい憲法にしていくべきだ」と述べました。
 
 
参院憲法審査会開かれる 
仁比氏 明文改憲条件づくり反対 吉良氏 行政府の暴走に歯止めを
しんぶん赤旗 2014年2月27日
 昨年の参院選挙後、初となる参院憲法審査会が26日、開かれ、日本国憲法に関して各党が意見を表明し、自由討論が行われました。
 
 日本共産党の仁比聡平議員は憲法審査会の開会そのものに反対を表明。審査会が国民主権と憲法96条の理念に反する改憲手続き法によって設けられたものであり、本来動かすべきでないこと、動かせば明文改憲の具体化、改憲原案のすりあわせの場になると主張し、国民が憲法改定を求めていないのに、改憲機運を押し付けることになると批判しました。
 さらに、安倍晋三首相が憲法の最高規範性を失わせる“憲法破壊発言”をエスカレートさせているもとで、審査会を動かせば、集団的自衛権の行使をはじめとする「戦争国家化」への条件づくりにつながると指摘。与党が改憲手続き法改定案提出の動きを見せていることも「憲法破壊と日本国憲法との相いれない矛盾を打開するための明文改憲の条件づくりだ」と批判しました。
 
 吉良よし子議員は、「ブラック企業」に苦しめられる若者、子どもを預ける保育所探しを強いられる母親、低い年金で医療・介護の負担に苦しむ高齢者の実態などを示し、「憲法が掲げている理想に日本の現実を一歩でも二歩でも近づけていくことが政治の果たすべき役割だ」と指摘しました。
 さらに、戦後69年、一人の戦死者も出さなかった憲法9条の意義を強調するとともに、その立場を内閣の一存で投げ捨てようとする安倍政権の横暴を批判。「行政府の暴走に警告を発し、歯止めをかけることこそ、国会・参議院に課せられた使命だ」と強調しました。
 
 一方、自民党は「現行憲法には制定過程に問題があり、正当性がない」(赤池誠章議員)として、明文改憲を主張しました。みんなの党は「集団的自衛権を認めない方がおかしい」(松田公太議員)、維新の会は「(集団的自衛権の)行使は政策の問題であり、国際情勢の変化にあわせて見直すべき」(清水貴之議員)と述べ、明文改憲と合わせて解釈改憲を進める考えを表明しました。
 
 

元韓国慰安婦証言の検証チームを設置の愚挙

 20日、衆院予算委に参考人として招致され石原信雄元官房副長官は、日本維新の会の山田宏議員への答弁で、従軍慰安婦制度への旧日本軍や官憲の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話について、談話の基になった元慰安婦とされる女性の証言の裏付け調査は行わなかったと明らかにしました。
 
 同日の予算委で、維新の山田議員が元慰安婦16人の証言検証するチーム設置を求めたのに対して、菅官房長官は証言内容を検証する政府チームの設置検討を表明しました。「非公開を前提に機密扱いの中で、どうできるか検討したい」ということです。
 
 石原氏は河野談話作成の際事務方トップとして調査を指揮し、韓国側の要請に応じる形で調査官を派遣し、韓国側が選んだ16人の「元慰安婦とされた人」からヒアリングを行いました。
 そして河野談話が出されたあとにも、韓国人女性の強制(連行)を立証する日本軍側のは出てこなかった」、「日本政府の指揮命令系統のもとに強制したことを認めたわけではない」と語っています。
 
 この石原氏の証言は、第一次安倍政権当時も安倍氏が大変に注目し、韓国人慰安婦の強制連行の証拠はないと力説していましたので、「韓国人慰安婦証言の再調査」は安倍氏の目論見どおりの成り行きなのかも知れません。
 しかしいまさら証言を再調査したところで一体何が明らかにされ、何が解決するというのでしょうか。
 
 先に橋下徹前大阪市長の韓国人慰安婦に関する発言が問題となりましたが、彼の主張の根拠もまたこの石原氏の証言でした。しかし外国特派員会で説明を要求されると、橋下氏はその発言に修正に次ぐ修正を加えて、ついには一体何を主張したかったのか分からなくなるまで後退させたのは、まだ記憶に新しいところです。
 
 日本の従軍慰安婦制度は、女性が意思に反して慰安所に連行・拘束され、逃亡が許されずに性奴隷として扱われたことに最大の問題がありました。従ってそれに従事した女性たちが完全な自由意志で参加して、拘束もされず、対等な対価を得ていたことでも証明しない限り、非難を免れることはできません。
 
 現に橋下氏に対しては、従軍慰安婦に関する発言に関して、しかるべき団体から理を尽くした公開質問状がいくつも出されていますが、彼は何一つ答えることが出来ていません
  2012年8月25日従軍慰安婦問題で橋下大阪市長に対して抗議文が出されました 
    2012年9月7日「アジア女性資料センターが橋下市長の慰安婦問題発言を批判
    2013年7月21日日曜日「橋下徹氏から回答がない 吉見教授の公開質問状に 
 
 従軍慰安婦の強制連行を指示した文書が見つからないからといっても、「当然だろう」とか「だからどうしたというのだ」という程度のことであって、何ほどの威力もありません。
 今回、仮に慰安婦の証言に虚偽があったことが明らかに出来たとしても同様です。
 日韓関係は更に悪化し、国内外の識者の失笑を買うというのが落ちです。
 
 自らを論壇の真性の保守主義者として、似非論壇保守主義者をなで斬りにしている文藝評論家山崎行太郎氏が、25日付のブログでこの問題に触れています。
 彼は、「河野談話や村山談話を廃棄して、安倍談話でも出したら、それで一件落着するのか。ますます国際社会に日本包囲網が出来上がり、日本の孤立化はすすむであろう。韓国や中国の思う壺である」、と語っています。
 
 安倍氏の心境はいまや、かつて国際連盟を脱退した当時の政権・軍部の思いにまで高まって?いるのでしょうか。
 
 以下に、山崎行太郎氏のブログを紹介します。
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文藝評論家山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
 “文藝や哲学を知らずして 、政治や経済を語るなかれ !!!
2014年2月25日
 「朝鮮人慰安婦問題」に最終決着はありえない。最終決着があると幻想し、最終決着(「真の解決」)を求めることこそ、典型的なイデオロギー的思考である。
 イデオロギーとは、「真理は我にあり」と妄想する思考形態である。つまり、「朝鮮人慰安婦問題」には、かなりいい加減な、タテマエ論としての河野談話や村山談話のような「政治的解決法」しかない。哀しいことに、ネット右翼や保守政治家、エセ保守文化人・・・には、それがわからない。
 
 河野談話や村山談話を廃棄して、安倍談話でも出したら、それで一件落着するのか。ますます国際社会に日本包囲網が出来上がり、日本は孤立化がすすむであろう。韓国や中国の思う壺である。ホンネ丸出しのネット右翼と、そのネット右翼に支持される安倍政権は、飛んで火にいる夏の蟲か。
 
 誤解を怖れずに言えば、少なくとも政治的レベルでは、適当なところで妥協し、謝罪・補償した方がいい。かつては、「大日本帝国」を名乗った国である。つまり、「帝国の政治」とは、そういうものである。余裕を持って「悪」「犯罪」「過失」・・・を認め、謝罪・補償すること。それが、かつて、侵略や略奪、占領、支配、併合・・・を繰り返してきた「帝国の作法」であろう。
 たとえば、かつての「植民地支配」を認め、謝罪したところで、その国が滅びるわけではない。まして日本は敗戦国である。「敗戦国」の生き延びる作法を学ぶべきである。
 
 その時、政治的レベルと思想心情のレベルは分けて考えるべきだ。思想心情的な問題、あるいは、歴史研究的・学術的問題の余地は残しておくべきだが、それを、政治や外交の舞台に持ち込むべきではない。「朝鮮人慰安婦の強制連行はなかった」とか、「朝鮮人慰安婦は売春婦だった」・・・とか言って、「政治家たち」が騒ぐことこそ、墓穴を掘ることになる。たとえ、それが真実だったにせよ、そのまま国際社会や政治的空間において、その議論が通用するはずがない。
 
 「河野談話」の見直しが行われようとしているらしいが、「藪蛇」にしかならないだろう。「朝鮮人慰安婦の強制連行はあったか、なかったか」は、こだわりたい人はこだわればいいが、政治的には、たいした問題ではない。歴史的な現実問題として「朝鮮人慰安婦はいた」のである。「朝鮮人慰安婦が不当な身分差別を受け、軍の管理下で買春行為を強制されていた」ことは、一時的にせよ、例外的にせよ、歴史的事実だろう。「強制連行はなかった」という議論で、その事実を、歴史から隠蔽=抹殺することは出来ない。朝鮮人慰安婦問題を、政治問題として取り上げること自体が、朝鮮人慰安婦問題の「ホロコースト化」をもたらすだけだ。
 
有料ブログのため以下は非公表。
 
 

2014年2月26日水曜日

年金の完全理解と大改革 武田氏ブログその3

 武田邦彦氏の「年金の理解と大改革」シリーズの(6)です。
 
 武田氏のブログは公表日と執筆日がずれていますので、その点はご了解ください(この記事では執筆日を表示しています。前回の(5)が2月18日付であるのに対して(6)が2月15日付となっているのも、そうした理由によるものです)。 
 
 今回は、従来の「積み立て型」という説明を何故「賦課型」に変更したのか、なぜ変更する必要があったのかを分かりやすく説明しています。
 
 実に「5000万人の年金の記帳漏れ」という想像を絶するデタラメさは、意図したものでなければとても実行出来るものではありません。
 
 コンピュータにデタラメに入力したのちに原票は破棄して、追跡調査も出来なくする・・・見事な犯罪です。
 
 しかもその実務部隊は公労協・自治労の労働者でした。集金者のフトコロに落ちた金も計り知れないと、問題が発覚したときに言われていました。
 
 救いようのない話です。 
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年金の完全理解と大改革(6) 積み立て型から賦課型へのトリック
武田邦彦 2014年2月15日
 
さて、これまでいわゆる「積み立て型年金」が崩壊する基本的な理由と現実に起こったことを整理した。でも、「何をいまさら」と言うぐらい予想通りで、このシリーズの第一回から登場している例の年金課長の談話を再び聞いてみることにする。
 
「使ってしまったら先行き困るのではないかとの声もあったけれども、そんなことは問題ではない。・・・将来みんなに支払うときに金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばよいのだから、それまでにせっせと使ってしまえ」
 
素晴らしい!! 全く正確に始めた年金がどのようになるのかを予測していて、まさに現実になっている。人が老後に使おうとして必死に貯めたお金を「使ってしまえ」、「なくなったら賦課式に変えれば良い」と言っているのだから、道徳的には大変な問題だが、普通の日本政府のやり方(国民のお金を巻き上げて自分たちで使う)をそのまま正直に言っている。
 
(私の推察だが)1960年代に始まった「積み立て型年金制度」は最初から破たんすることが分かっていたので、国民が収めてくるお金は厚生省や政治家が使い込んでいた。
 
1990年になるとすでに破たんは目に見えていたので、それを国民に説明するために、次の二つの戦略を立てたと推定される。
 
1.破たんが誰の目にも明らかになる前に、破たんの原因が「もともと破綻する計画だった」というのではなく、「誰かが杜撰な管理をしたから」ということにする、
 
2.賦課型(若い人が払う方式)に変えるために、「少子化問題」を出す必要がある。国民はもともと積み立て型だったことを思い出さないようにする。
 
実は、1990年代の終わりに「社会保険庁の不祥事」や「少子化問題」がテレビで盛んに問題にされたとき、私もうっかりそのキャンペーンに引っかかってしまった。
 
社会保険庁の不祥事が次々と明らかになり、「5000万人の年金の記帳漏れ」とか「デラックスで使っていない年金保養施設」などが報道されると、「社会保険庁は何をやっているのだ」とか「銀行に預金して、そのお金が分からなくなったなどと言うことはないのに、なぜ「個人の年金預金通帳」がないのだ!」などと憤慨したものだ。
 
でもそれがトリックだったことにその当時は気が付かなかった。考えてみれば5000万人もの記帳漏れが厚生省内部でわからないはずもない。「記帳漏れ」自身も当初からの計画と思われる
 
もう一つ、「自分が積み立てて自分が老後にもらう」という「積み立て型」だった年金だから、子供とは一応、無関係である。ところが1990年代から急に「少子化」という問題が湧いてきた。
 
子どもの数が少なくなってきて年金の支払いに支障をきたすという話である。もともと、「積み立て型年金」の日本の制度は本人と勤め先が半分半分、お金を拠出して、そのお金を厚生省が運用して年金支給年齢に達したら、年金として戻すという説明だった。
 
だから、子供の数とは関係がないし、自分で貯金するより社会の変化に応じて支給できるということも説明された。だから国民は年金制度に協力したのだが、最初から実現が不可能な制度だったので、年金課長は「使ってしまえ」と言い、「払うときにはお金がないから賦課式にしろ」という計画だった。
 
現実には、何とか税金の応援、支給年齢を65歳にすること、支給額を減額することなどをして、年金が支払われる形にはなっているが、全体としては積み立てた私たちのお金は使い込まれてしまっているので、今になって「自分で税金を納めて、そのお金を自分が年金をもらっている」という状態になっている。
 
(少しわかりにくいが、年金のお金を投資している公団などが税金で運用されていて、赤字なのに年金に利息や返金ができるのは、税金だからだ。)