2014年1月18日土曜日

任侠映画調 小泉純一郎論の紹介

 ブログ「神州の泉」が、都知事選に絡んで極めて明快で痛快な「小泉純一郎論」を展開しています。
 やや長編ですが、要約は省略しますのでどうぞ直かに原文をお読み下さい。明快にして痛快なので一気に読み通せます。
 
 今後2年半国政選挙が行われない中で、安倍政権が意図している実体的な憲法改悪(解釈改憲)を阻止する力は、地方選挙で「安倍政権ノー」を示し続けて行くほかにはありません。
 名護市長選に続いて、都知事選でも何とか安倍政権に痛撃を与えて欲しいものです。
 
 ブログ「神州の泉」を紹介します。
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“喧嘩モード“に突入した小泉元首相はついに安倍内閣を逆切れさせたようだ!
神州の泉 2014年1月17日
都知事選をめぐり、小泉純一郎氏は、細川護煕氏との会談後に、細川氏への応援姿勢を鮮明に打ち出した。
まるで、安倍内閣を挑発するかのように喧嘩モードに入ったのだ。
 
それまでは自民党の幹部連中は、細川氏の出馬については甘利明経済再生相の「殿ご乱心!」とか、他の閣僚の「佐川急便借り入れ問題」など批判的な言い方をしていたが、小泉氏に対しては控えめというか、及び腰だった。
ところが、どうやら自民党も小泉氏の反安倍カラーに堪忍袋の緒を切らしたようである。 
 
小泉氏は細川氏の支援理由を「東京が原発なしでやるという姿を見せれば、必ず日本を変えることができる」と述べている。
誰が見ても国政に対する真正面からの喧嘩口上である。
都政が国政の原発政策を変えてみせるぞという、言わば安倍内閣に対する強烈な宣戦布告である。
 
小泉氏は、『脱原発』という時制を曖昧にした反原発ではなく、自身の方針である“原発の即時ゼロ発言”を鮮明に打ち出している。
ゼロでなければ百、その中間ゾーンはない、それが博徒的才覚を持つ小泉氏の基本姿勢である。
どのように博打を打っても、後は野となれ山となれであり、それこそが小泉氏の喧嘩人生である。
趣味人の余生に息が詰まったのだろう。 
 
彼は小泉政権時代、自民党をぶち壊すと宣言して、それまで残存していた旧田中派型派閥政治を消滅させた。
小泉氏は竹中平蔵氏とは違っていて、規制撤廃、規制緩和、制度改変等によってこの日本のセーフティネットを外すことが、修正資本主義体制を消滅させてネオリベ社会に構造転換させてしまったという自覚をほとんど持っていない。
おそらく小泉氏の頭の中には、ブレトン・ウッズ体制も、プラザ合意も、日米構造協議も、日米包括経済協議も、年次改革要望書も、日米経済調和対話も、ほとんど概念としては存在していないのだろう。 
 
自分が5年5ヶ月のあいだに実現させた構造改革の出力が、歴史的に、社会学的に、経済学的にどのような意味を持つのか、理屈としては全く理解していないと思う。
彼が理解していることは、喧嘩の手段としての「郵政民営化」で圧勝したことや、橋本龍太郎氏が率いていた最後の旧田中派型の自民党政治(経世会)をぶち壊したことである。
 
純然たるヤクザの遺伝子とロジックで動く小泉純一郎氏は、ここだと思った最適のタイミングで、敵だと思った対象に喧嘩を売る本能に衝き動かされたのだ。
あとは勝つことだけに乾坤一擲の勝負をかけるだけである。
それが彼の行動原理であり、サイコロを振る勝負師と同じヤクザな根性が発露した。
彼にとっては、修正資本主義(混合資本主義)や新自由主義などはどうでもよいことなのであり、喧嘩の後の成り行きも一切関知しないのである。
だから、安倍晋三氏と同様に、日本国や日本人を救おうなどということはまるで考えていない。
 
小泉氏の原発ゼロ発言や細川護煕氏の応援は、安倍政権を根底から揺さぶるためだけに喧嘩を売っているのだ。
先ほども言ったように小泉氏の政治感覚はゼロか百であり、折衷という玉虫色はない。
完全に安倍晋三氏に対して喧嘩を吹っかけている。 
 
小泉氏も安倍晋三氏も小泉構造改革ネオリベ路線では、ともに力を合わせて日本を破壊してきた仲である。
日本の政治慣習に反し、小泉氏は完全トップダウン型の官邸主導政治を行ったが、それは権力行使の醍醐味を知ったということでもある。
一方、安倍晋三氏は衆参両院を制圧したことにより、小泉氏以上に総理大臣の権力を行使できる状況になっている。
事実上、参院選後の安倍政権はやりたい放題の暴走政権となっている。 
 
だが、大恩師と弟子の立場にある両者には決定的な違いがある。
それは小泉氏が愛弟子(まなでし)だろうと恩師だろうと、天性のカンでここぞと思ったときには、フルスロットルで喧嘩を吹っかけることにある。
たまたま狙われた相手が安倍首相だったというわけだ。
多分、師弟の恩讐を超える何か別の理由はないだろう。 
 
今の安倍首相は小泉氏と何かそりの合わない方向性をもってしまったのだろうか。
ヤンキー構造改革一家の二代目にとして、自分が選んだ安倍晋三氏が、組に泥を塗るようなへまな仕切りをやったとでもいうのだろうか。
その辺は彼らヤンキー追従一家の裏事情であるから分からないが、小泉氏が安倍首相を敵としてロックオンしているように見える。
その胸中はわからないが、彼が原発推進派に反旗の狼煙(のろし)を上げたというよりも、安倍晋三氏に対する喧嘩モードに入ったように見える。
古巣に対する完全な反党行為である。 
 
それでも、昨年11月12日に記者クラブで訴えた小泉氏の原発ゼロ談話はそれなりの説得力があった。
彼はフィンランドのオンカロ(高レベル放射性廃棄物の地層処分場)を視察したあとで脱原発論へ考えを改めたという。
トイレのないマンションという説明はその通りであり、コスト的にも割りに合わないというのもその通りである。
その部分は正論である。 
 
小泉氏の底意にある思惑が、彼が総理になった時に、亀井静香氏との盟約を見事に裏切ったように、安倍晋三氏を強く敵視しているとしても、そのことが反原発に動くのならそれを利用しない手はない。
今は、ヤクザの出入り感覚で安倍政権に喧嘩を挑むパワーが必要なのだ。
並みの元総理なら、背後の米国を恐れて安倍政権に反旗を翻すことはない。
ところが、背景や理屈を考えられずに喧嘩本能に火をつける小泉氏に怖いものはない。
その単純明快さが小泉氏のパワーの秘密であり、政治は喧嘩だと心得ているところに彼の真骨頂(?)がある。
 
その意味では、自身の行動原理がアメリカのエージェントであることを骨の髄まで自覚する竹中平蔵氏や安倍晋三氏とは全く違うタイプの人間としか思えない。
その小泉氏が、アメリカと原子力ムラの意向に沿って動いている第二次安倍政権に楯突いた。
しかも、小泉氏は都政の行方も国政の行方も眼中にない。
あるのは今、喧嘩花を咲かせることだけである。
完全に勝つか負けるかの二つに一つ。
 
怖気づいていた自民党幹部連中もついに小泉氏と対決モードに入ったようである。
若い人たちは知らないと思うが、小泉氏が立ち上がったことは、昭和30年代に始まった、切った張ったの任侠映画(やくざ映画)ブームを髣髴とさせる。