2014年1月21日火曜日

“2014年 新春平和の集い”が開かれました

 下記により湯沢平和の輪“2014年 新春平和の集い”が開かれました。
 当日は生憎大雪になりましたので、遠路のため出席出来ない方たちも数名出ましたが、それでも20名弱のメンバーが集まりました。
 また近在の9条の会の代表にもお出でいただきました。
 
 日  時:1月19日(日) 13:30~15:30
 会  場:湯沢町公民館 3階 会議室2
 タイトル:「平和、人権、そして憲法」―坂東克彦さんを囲んで
 
 新潟水俣病裁判等で活躍された弁護士の坂東克彦さんには、悪天候の中を新潟市から車でお出でいただきました。
 弁護士は大学受験のころから話し出され、「湯沢町は因縁のある町」ということで、昭和38年(1963年)ころ全権労北陸地方本部 湯沢支部長の石月升氏の懲戒免職処分撤回闘争の弁護を担当(結果は解雇処分取消し)したことにも触れられました。
 そして新潟水俣病裁判についてはかなり詳しく、時間いっぱい熱弁をふるっていただきました。
 
 坂東弁護士には、講演レジメ(3ページ)に加えて全15項目17枚の関連資料をお持ちいただきました。
 
 以下に講演レジメを添付して講演概要の紹介に代えます
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                                                              平成26年1月19日 湯沢町公民館
                                                                                          湯沢第9条の会
坂 東 克 彦 弁 護 士  講 演 レジメ
 
Q 坂東の生まれた時代は
    ドイツ 国会議事堂放火事件 デミートリッヒ
    日本 小林多喜二 築地警察署にて虐殺される。
Q 弁護士への道
    松井桂陰 中央大学に行け
    桑田三郎教授 グスタフ・ラードブルッフ 「法哲学」相対主義 民主主義
              司法試験を受けろ
    横浜修習
Q 弁護士になって関わった事件
    松川事件(最高裁 弁護人)全員無罪
    勤務評定反対闘争 人事委員会審理 地方公務員法違反刑事事件(最高裁無
                                                    罪)
    国会乱入事件(主任弁護人)
    砂川事件 伊達判決(東京地裁 安保条約は憲法違反 飛越上告で最高裁大法
             廷有罪 大法廷にて弁論
    公安条例違反事件 裁大法廷弁論
    三池闘争 総評弁護団の一員として大牟田に派遣 平3 5,4,29
  (新潟)
    全建労北陸地方本部
     湯沢 石月升支部長 人事委員会決定 懲戒免職処分取消 元職復帰
 Q 水俣病事件に取組むきっかけは
     新潟水俣病事件
      昭40.6.12 新潟水俣病事件公表
        芦田浩志弁護士の示唆
      昭42.6.12 新潟水俣病第一次訴訟 提訴
      昭46.9.29 勝利判決 確定 平48.6.21
 
     熊本水俣病事件 昭31.5.1 事件公表
      西田栄一工場長、細川一チッソ付属病院院長 尋問
 
Q 坂東を支えた言葉
    イプセン「民衆の敵」(1882)
      「世界で一番強いものは,ただ一人立つ人間である。」
      「多数は決して正義の味方ではありません。決してと私は申します。これこそ
      社会の虚偽の一つであって,いやしくも自由な,物を考える人間なら必ずこれ
             に向かって争わなければならないのです。」
    イェリング「権利のための闘争」(1892ウィーン法律家協会講演)村上淳一訳
       「自己の人格を害するしかたで権利を無視された者はありとあらゆる手段で
        戦うが,あらゆる者の自分自身に対する義務なのである。」
    田中正造「真の文明は山を荒らさず,川を荒らさず,村を破らず,人を殺さざる
                       べし。」(1919.6)
    坂東「現場こそ最良の教師なり」
        野に出て宝物を探せ。宝物は見つかるかもしれないし,見つからないかも
                  しれない。見つからなくても諸君らは,宝物以上のものを得るであろう。
          感性を磨き,自らのポリシーを構築し,その道のプロになれ。
          希望を失わず,光を見出せ。    Good Luck !
 
Q いま行っている主な仕事
    水俣病関係
      新潟県新潟水俣病施策推進審議会 委員
      新潟県に寄贈した全資料の解説
    スキー関係
      全国スキー安全対策協議会 顧問、全日本スキー連盟教育本部顧問
      「スノースポーツ安全基準」の策定。
        「スキージャーナル 平26年2月号に掲載。
(参考)
 公害・水俣病と向き合った人びと
   荒畑寒村   「谷中村滅亡史」1907.8 即日発禁
   中村梅三郎 弁護士 クリスチャン 足尾鉱毒民支援のため、駒込から被害地
            に居を移し、現地に於いて死去する、
   平田慶吉  「鉱害賠償責任論」日本評論社 1932.9.1
   宇井 純   東京大学助手 沖縄大学教授「公害の政治学」「水俣病」
   石牟礼道子 作家「苦界浄土」
   桑淳史成    写真家 「水俣病」「水俣病事件」
   塩田武史    写真家 「水俣な人」
   細川 一    チッソ水俣工場付属病院長 400号ネコの証言
   日吉フミコ  水俣病市民会議 代表
   松本    水俣市職員 水俣病市民会議事務局長
   岡本連明   チッソ労働組合 執行委員長
   山下善寛   チッソ労働組合 執行委員長
   原田正純   熊本大学 熊本学園大学
   富樫貞夫   熊本大学
  丸山定巳   熊本大学
  有馬澄雄   「水俣病-20年の研究と今日の課題-」
  宮沢信雄   NHK記者 西田尋問の感想所感
  ユージン・スミス ライフメラマン
  白木博次   東京大学医学部長
  大石武一   環境省長官 「疑わしくは救済せよ」国務大臣として初めて被害者
           の立場で証言した。
  北野博一   新潟県衛生部長
  長崎 明   新潟大学学長
  斎藤 恒   医師 沼垂診療所 木戸病院院長
  小林 懋    新潟県民主団体水俣病対策会議 事務局長
  吉田三男    中学教師 新潟水俣病研究会
  河辺広男    医師 新潟水俣病研究会 河辺医院付属医学研究室
      「水銀汚染を追って18年」新潟水俣病研究会からの報告1991
      「新潟水俣病と阿賀野川水銀汚染を追う」1997
  布川了       足尾鉱毒事件 田中正造 研究者
  泉田祐彦    新潟県知事「新潟水俣病地域福祉推進条例」(新潟県条例第38号)
            平21.4.1施行
  松波淳一    イイイイ病弁護団
 
配布資料
  1 写真 智子と母親 ユージン・スミス
  2 写真 松永久美子 坂東
  3 写真 船場岩蔵と主治医の三隅医師 坂東
  4 熊本・新潟水俣病略年表
  5 アセトアルデヒド生産グラフ 坂東
  6 足尾銅山胴生産」グラフ 坂東
  7 有機水銀生成化学式」と全国のアセトアルデヒド生産工場 坂東
  8 鹿瀬工場周辺部の生態系中の水銀の移動 川辺広男
  9 新潟大学医学部眼科に残された視野狭窄カルテ
 10 妊娠ネズミの全身オートグラフ 白木博
 11 標識水銀化合物を投後の正中断シクサルの全身オートグラフ
 12 新潟地震後の信濃川河口の航空写真 防衛庁 昭39.6.27 撮影
 13  新潟地震後の信濃川河口の航空写真 防衛庁 昭39.6.27 撮影
 14  新潟水俣病)に対する厚生省特別研究班、各省庁および政府見解の概要
 15  「真の文明は・・・・」 田中正造