2013年12月20日金曜日

教育の中立性を壊していいのか 教委制度答申 


 中教審は13日に、地方教育行政の最終的な権限を自治体の首長に移す教育委員会制度改革案を下村文科相に答申しました。それが実現すれば、戦前の軍国主義教育への反省から、国や政治家に対する歯止め役を担ってきた教育委員会制度の根幹が揺らぐことになります
 
 中教審(委員30名、毎年選出)の委員長は当初、首長に権限を移す案に一本化して答申する方針でしたが、委員から「首長が今まで以上に学校現場に介入しやすくなる」と異論が続出したため、これで答申するとは押し切ったものの、教育委員会に最終的な権限を残すべきだとの考えもあったと併記せざるを得ませんでした。
 
 答申によれば、「首長権限案」は首長が自治体の教育政策の理念や目標を定める「大綱的な方針」を策定することになり、教育委員会はその方針を事前に審議・勧告する補完的な役割となります。
 また教育長は、首長が直接任命・罷免できるように変更されます(現行は首長が任命した教育委員から互選)。 
 
 そうなれば教育行政への首長権限が大幅に増すので、教育行政の政治的中立性が損なわれる懸念も大いに増大します。
 中教審の審議過程でも、当然、複数の委員から首長が“暴走”する危険性を指摘する意見が出されました。また首長が選挙で交代するたびに、教育の目標や教科書採択の方針が変わることにもなりかねず、教育現場に混乱を招くもとになります。そして教育の混乱はそのまま国家の損失です。
 
 
 安倍首相は第1次安倍内閣のときから「教育再生」に並々ならぬ意欲を示し、実際に教育基本法や教育三法を改定しました。それ以来 教職員会議のあり方は校長による専制に変わり、暗い雰囲気となったといわれます。
 この答申がそうした安倍首相の意に沿ったものであるとしたら、教育の混乱や教育現場の暗い雰囲気が彼の望む姿なのでしょうか。
 
 19日、高知新聞が教委制度答申についての社説を掲げましたので紹介します。
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【教委制度答申】 教育の中立性を壊すのか  
高知新聞 2013年12月19日  
 戦後教育は、教育と政治が一体化した戦前の教訓が出発点だ。戦後、その教育を長く支えてきた根幹が骨抜きにされる恐れが出てきた。 
 教育委員会制度(原則・教育委員5人)の在り方などを検討してきた中央教育審議会は、首長を教育行政の最終責任者とし、権限を教委から移すよう下村文部科学相に答申した。 
 だが、首長に権限を移すと、政治姿勢によって教育の中立性や独立性が保障されない可能性がある。 
 教委制度は軍部が介入した戦前の反省から生まれた。首長に予算編成・執行権を与えた一方、教委は学校管理や生徒指導の権限を持った。教育委員が合議制で意思決定するのも教育の継続性や安定性を保つためだ。 
 答申をまとめる前、中教審では「時々の政治権力が、都合のいい学校運営をしてもよいのか」という慎重意見が多く出たという。 
 そんな意見への配慮もあって、答申には従来通り教委に教育方針を決める権限を残す案が併記された。だが、2案ともに教育委員の一人である教育長の任免権を首長に与える制度の変更が盛り込まれた。 
 それでは、最も警戒しなければならない教育への首長の関与が強まる恐れは消えない。中教審の審議で多くの異論が出たのは当然だ。 
 
 教委制度にも確かに問題がある。教育長以外の教育委員は非常勤で、問題に素早く対応できる態勢には必ずしもなっていない。 
 大津市のいじめ自殺や大阪市立高校の体罰問題では、独自調査が遅れるなど当事者能力の不足が露呈した。中教審は、そうした教委の問題を改善する具体策をまず答申すべきだった。 
 いじめや自殺問題では調査の第三者機関を置く自治体が増えている。首長に多くの権限を集め、トップダウンの指示で教育上の課題が即座に解決するだろうか。時間をかけて現場や専門家の声を丁寧に聴くことが大切だ。 
 
 中教審の審議の元になったのは、安倍首相肝いりの教育再生実行会議が出した提言だ。最近、道徳の教科化や教科書検定への国の関与を強める動きなど教育をめぐる状況は急変している。 
 しかし、戦後守ってきた教育の根幹を簡単に変えてはならない。この答申には与党内にも異論があるという。どんな制度なら教育の中立性が保てるのか、議論を尽くすべきだ。