2013年12月24日火曜日

天皇誕生日にあたって

 
 23日、満80歳の天皇誕生日を迎えられて、天皇は、記者からの次の質問
 「80年を振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、これからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい
 に対して次のようにお答えになりました。
 
 「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
 
 戦争の惨禍と犠牲者を深く悼み、平和憲法を尊重しようとしておられる、いつもながらのお気持ちが伝わります。
 
 美智子皇后も10月20日の誕生日に、「五日市憲法草案」にふれられる次のような文書(部分)を発表されました。
 
 五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。 
 
 やはり平和憲法擁護につながるご発言です。
 
 「寓意」という言葉を使って受け止める人たちもいます。
 
 一方安倍首相は、再びあの戦争が出来る国を目指し、それに障害となる現憲法を改定しようとしています。
 まさに天皇のお気持ちに180度反するものです。
 日本会議が究極的に目指すところは、改憲を通じて天皇制を復活させることと言われます。それ自体は論外としても、もしもそれを目指すのであれば、今上天皇のお気持ちに沿おうとする思いが全くないというのは不可解なことです。
 戦前、天皇の統帥権をかさに着て結局は軍部の独裁に走って行った、あの横暴さが既に現れているように思えます。