2013年10月21日月曜日

明治時代に人権尊重の「五日市憲法草案」 +

 20日東京新聞が、皇后さまが79歳の誕生日を迎えて、明治憲法の施行に先立って奥多摩地方で起草された、基本的人権尊重などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けられた旨をコメントされていることを明らかにしました。
 皇后さまは昨年1月、東京都あきる野市の五日市郷土館を訪れ、展示されている草案を視察されました。

 追記 同草案の全文は下記のPDF文書でご覧になれます。
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  天声人語を追加
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明治に人権尊重「五日市憲法」 皇后さま強く感銘
東京新聞 2013年10月20日
 皇后さまは二十日、七十九歳の誕生日を迎えられた。宮内記者会の質問に寄せた回答文書で、明治憲法の施行に先立って東京・奥多摩地方で起草され、基本的人権尊重や教育の自由などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたことを明らかにした。

 皇后さまは昨年一月、天皇陛下と東京都あきる野市の五日市郷土館を訪れ、展示されている草案を視察した。
 文書では、今年印象に残ったこととして憲法論議が盛んに行われたことを挙げ、これに関連して、視察時に草案から受けた印象を思い起こしたとしている。

 草案は、小学校の教員や農民たちが話し合いを重ねて書き上げた。皇后さまはこうした経緯に触れるとともに、同様の民間の憲法草案が日本各地で作られていたと郷土館で説明を受けて「長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するもの」と印象に残ったと記している。

 五日市憲法草案
 東京・奥多摩地方の五日市町(現あきる野市)で1881(明治14)年に起草された民間憲法草案。204条から成り、基本的人権が詳細に記されているのが特徴。自由権、平等権、教育権などのほか、地方自治や政治犯の死刑禁止を規定。君主制を採用する一方で「民撰(みんせん)議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝(天皇)ノ起議ヲ改竄(かいざん)スルノ権ヲ有ス」と国会の天皇に対する優越を定めている。1968年、色川大吉東京経済大教授(当時)のグループが旧家の土蔵から発見した。
 
天声人語」 
朝日新聞 2013年10月21日 
 その条文はいまの日本国憲法にも通じる内容だと評される。「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可(べ)シ他(た)ヨリ妨害ス可(べか)ラス且(かつ)国法之(これ)ヲ保護ス可(べ)シ」。自由民権運動が盛んなころ、西多摩の有志が研究、討議し、練り上げた「五日市(いつかいち)憲法草案」だ
 明治憲法の発布前、民間では数々の案が競うように書かれた。その「私擬(しぎ)憲法」の一つである。何人(なんぴと)も侵せない基本的人権の尊重や、法の下の平等といった近代的な原理をはっきりとうたっている
 皇后陛下は79歳の誕生日にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた。この1年で印象に残ったことの一つに憲法論議を挙げ、その様子に新聞などで触れながら、五日市草案のことを「しきりに思い出しておりました」と記した
 どのような感慨をもたれたのだろうか。憲法についての項は「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と結ばれる
 いまの憲法は「押しつけ」だという議論が絶えない。一面ではそうだろう。他面ではしかし、それを受け入れる下地もあっただろう。戦前からの「民主主義的傾向」の積み重ねである。ポツダム宣言はそれを「復活強化」せよと促したのだった
 明治のころ闊達(かったつ)に交わされた草の根の議論の蓄積が、実はいまの憲法の遠い源流になっているという指摘もある。国のかたちをめぐって連綿と続く営みの跡をたどり直してみたい。