2013年10月7日月曜日

慰安婦「軍強制」の記録を開示 +

 太平洋戦争中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとする公的な資料が、国立公文書館で市民団体に開示されました。
 資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、その存在と内容の骨子は知られていましたが、詳細が明らかになるのは初めてということです

 太平洋戦争当時、オランダは300年来インドネシアを植民地として支配していました。そこに日本軍が侵駐しオランダ人を捕虜収容所に収容するとともに、そこから女性たちを慰安婦として強制連行したもので、スマラン事件と呼ばれています。
 他にもブロラ事件、マゲラン事件など8件のオランダ女性に対する日本軍・官憲による略取があったことが、オランダによるバタビア臨時軍法会議のなかで明らかにされていました。

 以下に東京新聞の記事を紹介します。
 
 + 「BC級バタビア裁判・第106号事件」に関する韓国中央日報の記事を追記
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慰安婦記録「軍強制」の詳細開示 公文書館、河野談話の原資料
東京新聞 2013年10月6日 
 戦時中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとの記載がある公的な資料が6日までに、国立公文書館(東京)で市民団体に開示された。資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、存在と内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が明らかになるのは初めて。

 法務省によると、資料名は「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第106号事件」。49年までに、オランダによるバタビア臨時軍法会議(BC級戦犯法廷)で、旧日本軍の元中将らを強姦罪などで有罪とした法廷の起訴状、判決文など裁判記録などが含まれる。(共同)

慰安婦強制動員の証拠示す日本軍戦犯の判決文公開
中央日報日本語版 2013年10月8日
  太平洋戦争当時、日本軍がインドネシアの捕虜収容所でオランダ人女性35人を強制連行し慰安婦にしたという内容の資料が公開されたと日本のメディアが7日に報道した。軍の慰安婦動員の強制性を否定する日本の安倍内閣の主張と全面的に矛盾するものだ。 

  530ページ余りにわたる資料の題名は「BC級バタビア裁判・第106号事件」だ。東京の国立公文書館が市民団体の強制動員真相究明ネットワークの情報公開請求により先月公開した。 
  バタビア裁判は太平洋戦争末期の日本軍によるオランダ人女性強制売春動員を審判するため49年までインドネシアのバタビアで開かれた戦犯裁判だ。日本軍将校5人と民間人4人に対する起訴状と判決文、裁判の後に行われた追加調査結果が今回の公開資料に含まれた。 
  これは日本政府が慰安婦動員の強制性を認めた1993年の河野談話作成でも関連資料として活用された。このため大まかな内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が公開されたのは今回が初めてだ。 
  裁判で12年の有期刑を受けた旧日本軍中将の判決文などには「1944年インドネシア・ジャワ島スマラン州に収容されていたオランダ人女性たちが日本人将校の命令によって4カ所の慰安所に連行され、強制的に売春させた」という趣旨の内容が含まれている。 

  具体的記述では「××少佐が慰安所の指揮・設立・施設・管理などを担当した」「婦女は××将校の要請により州の役人が連れ出した」「女たちは遊女屋に入るまでどういう仕事をするのか聞かされていなかった」という証言が判決文に含まれている。また、1966年に行われた別途の追加調査で該当中将は「(慰安婦になるという)承諾書を取る際も若干の人々に多少の強制があった」という内容を述べた

慰安婦動員の強制性を裏付ける内容で、日本政府はこうした資料を根拠に1993年に河野談話を発表した。 
  だが、第1次安倍内閣は2007年3月、「政府が発見した資料には軍と官憲による強制連行を直接示す記述は見つからなかった」という政府答弁書をまとめ、現在まで同じ態度を維持している。 
  「バタビア裁判」の文書が注目されたのは6月だ。日本共産党の赤嶺政賢衆議院議員が、「強制動員の事実を具体的に示すバタビア軍法資料があったのになぜ2007年にこのような資料の存在を否定したのか、誤った2007年の答弁書を直さなくてはならないのではないか」と安倍内閣に質疑したためだ。安倍内閣は「バタビア裁判資料」が河野談話発表当時の政府調査時にすでに存在しており、2007年の政府答弁書の中で「政府が発見した資料」にも含まれていると認めた。「バタビア記録」の存在を知りながら、「政府が発見した資料には強制連行の記述はない」と発表したということだ。