2013年5月12日日曜日

朝日訴訟に学び生活保護改悪の阻止を 生存権裁判支援する会シンポ

 
 11日、生存権裁判を支援する全国連絡会都内でシンポジウムを行い、保護基準引き下げなど改悪を阻止するために社会保障を大きく改善させた朝日訴訟から教訓を引き出し生活保護改悪を阻止する運動の強化を呼びかけました。

 以下に生存権裁判支援する会のシンポジウム開催の記事と「朝日訴訟」についての解説記事を紹介します。
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生活保護改悪 朝日訴訟学び阻止を 生存権裁判支援する会シンポ
しんぶん赤旗 2013年5月12日
 生活保護の老齢加算復活を求めてたたかう生存権裁判を支援する全国連絡会(井上英夫会長)は11日、都内で総会を開きました。シンポジウムを行い、保護基準引き下げなど改悪を阻止するために、社会保障を大きく改善させた朝日訴訟から教訓を引き出しました。

 朝日訴訟では、重症の結核患者、朝日茂さんが低すぎる生活保護基準は憲法25条に違反するとして、その引き上げを求めて国を相手に提訴(1957年)、国民的運動となって保護基準の大幅引き上げを勝ち取りました。
 「当初、無名の裁判だった」と元主任弁護士の新井章氏は振り返りました。「東京地裁で勝利し、国が控訴するなかで支援運動を強化し、世論を高めた。裁判の勝敗にかかわらず、運動を発展させたことが、実質的な勝利につながった」
 元総評社会保障局長の公文昭夫氏は、労働組合運動として朝日訴訟に取り組んだ意義を強調。「戦争反対と社会保障拡充を統一した要求、未組織貧困層の運動化、共闘組織の中心を労働組合が担うこと」を、現在にいかす教訓としました。
 全国連絡会の副会長、朝日健二さんは、朝日茂さんの養子となり訴訟継承者として、夫婦で手分けして全国を歩き運動を組織した経験を語り、いまの生活保護改悪を阻止する運動の強化を呼びかけました。
 総会では、100万人署名の達成、全国に「支援する会」をつくるなど、行動提起が行われました。

「朝日訴訟」とは?      (しんぶん赤旗 2001・11・18より)
 〈問い〉 憲法二五条を根拠に生存権の保障を求めた「朝日訴訟」とはどのような訴訟だったのですか。 (東京・一読者)
 〈答え〉 一九五七年八月から始まった「朝日訴訟」は、岡山県にある療養所の重症の結核患者で、日本共産党員でもあった朝日茂さんが、生存権の保障をもとめて、生活保護行政の抜本的改善を要求したたたかいです。
 朝日さんは、当時、生活保護法による医療扶助と生活扶助を受けていましたが、その水準は、月六百円で、肌着二年に一着、パンツ一年に一枚、ちり紙一月に一束というものでした。さらに、担当の福祉事務所は、長期に音信不通だった朝日さんの実兄に仕送りを求め、千五百円の仕送りのうち六百円しか朝日さんに渡さず、残りの九百円を収入とみなして国庫に納入させました。
 これにたいして朝日さんは、厚生大臣を相手に、日用品費が不足であり、患者が生命と健康を守るために必要なバターや卵、果物などの補食費も認めないのは、すべての国民が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有し、「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」にたいする国の責務をうたった憲法二五条と生活保護法に違反すると訴えました。
 この裁判は、“人間裁判”と呼ばれ、思想・信条をこえた広範な団体や国民に支えられました。
 六〇年には東京地裁で、憲法二五条にいう「健康で文化的な生活」は、国民の権利であり、国は国民に具体的に保障する義務があること、それは予算の有無によって決められるのではなく、むしろこれを指導支配しなければならないという判決が下され、ほぼ完全に勝利しました。
 この訴訟は、朝日さんの死去で反動的な判決をもって結審しますが、保護費の引き上げなどの改善をかちとり、その後の社会保障のたたかいにはかりしれない影響を与えました。(学)