2013年4月8日月曜日

砂川事件にまた新事実 +

 
 7日朝NHKが「砂川事件」で新事実が明らかになったと報じました。

 砂川事件は、1957年 立川基地拡張反対の砂川闘争の中で、学生デモ隊が米軍基地に侵入したために7人が起訴された事件です。1審では「米軍駐留は憲法違反」であり無罪とする有名な伊達判決が出されましたが、これに驚愕した政府(と米国)は高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告し、そこでは判事15人全員一致による逆転有罪の判決が下されました。   ※ 立川市砂川町の基地で起きたため砂川事件と呼ばれる

 判決は、「日米安保条約のように高度政治性を有するものは司法審査になじまない」として憲法判断を回避しつつ現状を肯定するもので、それが以後の司法の流れとなりました。  

 08年、田中耕太郎長官(当時)が最高裁判決前に、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使と内密に話し合ったとする米公文書の存在が明らかになり、司法の独立性が否定されるものとして大変問題になりました。
 その後、在日米軍問題を取材しているフリージャーナリストの末浪靖司さんが11年9月、最高裁判決前後にマッカーサー大使が国務省に送った公電2通を米国立公文書館で新たに発見しました
 1通は判決約1カ月前の59年11月5日の公電、田中氏が「伊達判事の判断は全く誤っていた」「来年初めまでには判決を出せるようにしたい」などと語ったとするもので、もう1通は判決翌日の同年12月17日もので「全員一致の合憲判断は大変有益な展開」「田中長官の手腕と政治力に負うところが大きい」などと判決を歓迎したものです。

 今回明らかにされたものは判決約4カ月前59(昭和348月の公電で、田中長官が最高裁での審理が始まる前レンハート駐日首席公使裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語ったものです。

 司法の側に深く反省してもらいたいことは多々ありますが、これはそのトップが司法の独立性そのものを放棄したことを示すもので、まさに驚くべきものです。

 以下にNHKのニュースと、1月18日の琉球新報の記事を紹介します。
 4月8日付のしんぶん赤旗に解禁文書の全文が載りましたので転載します。
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「司法の独立揺るがす」新資料
NHK NEWS web 2013年4月8日

昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかりました。研究者は、司法権の独立を揺るがす動きがあったことを示す資料として注目しています。

「砂川事件」は、昭和32年7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたもので、1審の東京地方裁判所は、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡しました。
1審の9か月後、最高裁判所大法廷は、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」として15人の裁判官の全員一致で1審判決を取り消しました。今回見つかった文書は、最高裁判決の4か月前の昭和34年8月、アメリカ大使館から国務長官宛に送られた公電です。
元大学教授の布川玲子さんがアメリカの国立公文書館に請求して初めて開示されました。文書には、当時の最高裁の田中耕太郎長官が最高裁での審理が始まる前にレンハート駐日首席公使と非公式に行った会談の内容が記されています。
この中で田中長官は、「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語り、全員一致で1審判決を取り消すことを示唆していました。
文書には、田中長官の発言に対するアメリカ大使館の見解として、「最高裁が1審の違憲判決を覆せば、安保条約への日本の世論の支持は決定的になるだろう」というコメントも書かれていました。会談当時は、日米両政府の間で、安保条約の改定に向けた交渉が行われている最中で、アメリカ軍の駐留を違憲とした1審判決に対する最高裁の判断が注目されていました。
文書を分析した布川さんは、「最高裁長官が司法権の独立を揺るがすような行動を取っていたことに非常に驚いている。
安保改定の裏で、司法の政治的な動きがあったことを示す資料として注目される」と話しています。

砂川事件 最高裁長官「一審は誤り」
琉球新報 2013年1月18日

 【東京】米軍旧立川基地の拡張計画に絡む1957年の「砂川事件」で、米軍駐留を違憲とした東京地裁判決(伊達判決)を破棄した田中耕太郎最高裁長官(当時)が、マッカーサー駐日米大使(同)と会談し、「(伊達)判決は全くの誤りだ」との判決の見通しを示していたことが17日、米公文書から分かった。
 元新聞記者で、日米関係に詳しいフリージャーナリストの末浪靖司氏が2011年9月、米公文書館で、機密指定を解除された公文書から会談内容が書かれているのを発見した。これまで田中長官とマッカーサー大使との会談があったこと裏付ける文書が公開されていたほか、大使が藤山愛一郎外相(当時)に高裁を飛び越して最高裁への「跳躍上告」を勧めたことなどを示す文書が見つかっていたが、判決破棄に至る内容に踏み込んだ文書が見つかったのは初めてという。
  文書発覚を受け、砂川事件の元被告、土屋源太郎さん(78)ら「伊達判決を生かす会」のメンバー7人は30日、当時の会談録や田中長官の業務日誌などの文書を開示するよう最高裁に請求する
  17日、都内で記者会見した土屋さんは「米側の司法への介入が明らかで、ゆがめられた形で最高裁判決が出た。沖縄での米兵による暴行事件などで明らかになっているように、第一次裁判権の放棄の密約や日米地位協定など現在も司法への介入が続いている」と指摘した。
  公文書は最高裁判決の約1カ月前の59年11月5日付で、マッカーサー大使が米国務長官宛てに送った公電。裁判長だった田中長官の発言について「最近の非公式会談で、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと言った」「伊達裁判長が憲法上の争点に判断を下したのは全くの誤りだと述べた」と報告した。

解禁文書全文
 しんぶん赤旗 2013年4月8日
 布川玲子・元山梨学院大学教授が入手した米政府解禁文書は次の通りです。

米国大使館・東京発
米国務長官あて
(発信日1959・8・3 国務省受領日1959・8・5)

 共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、(レンハート)在日米大使館首席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。こうした考えの上に立ち、彼は、口頭弁論は、9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ3週間で終えることができると確信している。問題は、その後で生じるかもしれない。というのも彼の14人の同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生みだし、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。

 コメント:大使館は、最近外務省と自民党の情報源より、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件判決を最高裁が、当初もくろんでいた晩夏ないし初秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるとの複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会主義者やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、社会主義者たちは、地裁法廷の米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技がたたって投げ飛ばされることになろう。

 マッカーサー
 レンハート 59・7・31(注=起案日を示すと推定される)