2013年1月7日月曜日

瀬戸際に立たされる憲法


 5大紙などマスメディアがあまり「憲法問題」や「平和問題」を取り上げない中で、東京新聞は7日 『年のはじめに考える 瀬戸際に立たされる憲法』と題する社説を載せました。

その中では、朝鮮戦争で日本人50数人が触雷などで亡くなったというこれまであまり知られていなかった事実や、平和憲法が半世紀以上も維持されてきたのは、日本が多大な迷惑をかけたアジアの国々に、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを示し続ける必要があるからではなかったのかという指摘、さらには自衛隊が国際緊急援助隊としてのべ12カ国で活動し、海外に対して巧みに「人間の安全保障力」を高めてきたという評価、などが語られています。 

 東京新聞は元日にも 『年のはじめに考える 人間中心主義を貫く』と題した社説を掲げて好評を博しました。
そこでは日本の新聞が満州事変を境にして戦争拡大、翼賛へと論調を転換させた変節を指摘した後、次のように続けて社説を結んでいます。
『その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾も満州も捨てろと説いた「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。
◆非武装、非侵略の精神
 満州事変から熱狂の15年戦争をへて日本は破局に至りました。3百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。』 

 戦時中にジャーナリズムが大政翼賛会の一員に堕したことを、新聞やNHKなどはかつて痛切に自己批判したのではなかったのでしょうか。

以下に東京新聞の社説を紹介します。(下線や太字化は事務局
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【社説】 年のはじめに考える 瀬戸際に立たされる憲法
東京新聞 201317 

 太平洋戦争の敗戦から68年。日本の近現代史では過去になく、戦争をしない日々が続きます。年の初めに「平和だったはず」の戦後を振り返ります。 

 1950(昭和25)年109日、東京新聞夕刊の一面トップは「米軍38度線を突破」の見出しで朝鮮戦争の戦況を伝えています。同じ面に「日警備艇も掃海へ」のベタ記事があります。「日本の沿岸警備艇12隻が米第七艦隊の指揮下で掃海作業に従事するため朝鮮水域に向け出発した」と短く報じています。 

◆戦後にあった「戦死」
 日本を占領していた米軍は日本政府に対し、日本近海で機雷除去をしていた航路啓開隊(現海上自衛隊)の朝鮮戦争への派遣を求めました。同年10月から12月まで掃海艇46隻と旧海軍軍人1,200人による日本特別掃海隊が朝鮮海峡へ送り込まれたのです。

 戦争放棄を定めた憲法は施行されていました。戦争中の機雷除去は戦闘行為ですが、国際的地位を高めようとした吉田茂首相の決断で憲法の枠を踏み越えたのです。
 まもなく事故が起こりました。掃海艇一隻が触雷し、沈没。中谷坂太郎さん=当時(21)=が行方不明となり、18人が重軽傷を負ったのです。事故は長い間伏せられ、中谷さんに戦没者勲章が贈られたのは約30年後のことでした。
 犠牲者が一人であろうが、家族の悲しみに変わりはありません。葬儀で中谷さんの父親はひと言もしゃべらず、葬儀の半年後、50歳代の若さで亡くなりました。 

 朝鮮戦争に参加したのは旧軍人だけではありません。物資輸送に日本の船員が動員されたのです。8,000人が日本を離れて活動し、戦争開始からの半年間で触雷などで56人が死亡したとされています(「朝鮮戦争と日本の関わり-忘れ去られた海上輸送」石丸安蔵防衛研究所戦史部所員)。 

◆「国防軍」で何をする
 彼らの活動がサンフランシスコ講和条約の締結につながったとの説がありますが、確たることは分かりません。政府見解に従えば、海上輸送は憲法違反ではないはずですが、行われたことさえ「確認は困難」(中曽根内閣の政府答弁書)というのです。二度と戦争はごめんだという強い思いが事実を霧消させたのかもしれません。 

 半世紀以上も憲法が変わらないのは国民の厭戦(えんせん)だけが理由ではありません。1995年の「村山談話」の通り、植民地支配と侵略によって多大な迷惑をかけたアジアの国々に、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを示し続ける必要があるからです。

 心配なのは、こうした見方を自虐史観と決めつけ、憲法改正を目指す動きが盛り上がっていることです。過去の“反省”を見直したうえで、自衛隊を「国防軍」に変え、集団的自衛権行使の容認に転じる。「国のかたち」が変わって誕生する、古くさい日本を中国や韓国が歓迎するでしょうか。歴史見直しは米紙ニューヨーク・タイムズも批判しています。
 国際社会が力によって成り立つ現実を無視するわけではありません。その力には政治力、軍事力などさまざまあるのです。

 例えば、20年続く自衛隊の海外派遣は国際貢献の文脈で行われてきました。国連平和維持活動(PKO)としてアフリカの南スーダンに派遣されている部隊は「国づくり」に貢献しています。
 国際緊急援助隊としての自衛隊は地震、津波などの被害に遭ったのべ12カ国で活動してきました。冷戦後、多くの国で国防費が削減され、軍隊の災害派遣が困難になる中で、自衛隊はむしろ積極的に活用されています。
 国際社会から「まじめで礼儀正しい」と高く評価されているのは、武力行使せず、「人助け」に徹してきたからです。わが国は、自衛隊という軍事組織を使いながら、巧みに「人間の安全保障力」を高めてきたのです。

 衆院選挙で憲法改正を公約した自民党などは、そうした現実を無視するのでしょうか。憲法を変えて何がしたいのか。米国が始める戦争に参戦する、日本維新の会の石原慎太郎代表が主張したように拉致問題を解決するため武力で脅すなど不安な光景が浮かびます。 

◆平和は国民の願い
 安倍晋三首相は夏の参院選挙までタカ派色は封印するようです。不幸の先送りを隠す小手先の技と疑わざるを得ません。平和憲法は瀬戸際に立たされています。
 朝鮮戦争で機雷掃海に駆り出され、無事帰国した今井鉄太郎さんは本紙の取材にこう言いました。
 「(戦争に)行かされる者からすれば、出撃命令がかからず、一休みしている状態がいつまでも続いてほしい」

 平和を愛する国民の願いと考えるのです。