2012年10月12日金曜日

原子力規制委員会の傍聴席に公安警察を配備


毎週開かれる原子力規制委員会の傍聴席に、公安警察を配備していたことが分かりました。

「民主・自主・公開」は原子力基本法のもっとも重要な3原則で、国民はこの3原則を政府が守ることを前提に『危険な』原子力を認めてきたという経緯があります。それがいつの間にか原子力ムラと呼ばれる「産学官の共同体」が生まれ、秘密会合も行われ、取り返しのつかない福島原発の大事故が起きました。
 そうした反省を踏まえて原子力規制委員会・規制庁に生まれ変わった筈ですが、このようにして傍聴者を威圧しようとする動きは一体何なのでしょうか。

田中委員長はそのことを知らなかったということですが、あらゆる委員会が事務局を務める役人たちによって牛耳られて来たパターンが、ここでも端的に示されています。しかし規制委員会は傘下ではなくて規制庁の上位に位置する組織なのですから、万が一にもそんなことのないようにしっかりして欲しいものです。 

 以下に関連の記事を紹介します。
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原子力規制委 会議傍聴席に公安警察同席 

                                                                                       しんぶん赤旗 20121011 

 原子力規制委員会(田中俊一委員長)が毎週1回開く定例会議の会議室に、公安警察を同席させていることが10日、明らかになりました。同日開かれた記者会見で、規制委員会の事務局を担う原子力規制庁の森本英香次長は、警察に要請していることを認めました。 

 定例会議には事前に参加登録した一般の傍聴者とメディアが参加しています。この日、記者が「知る権利を行使して傍聴している人を監視するのは許されないのでは」と質問。森本次長は「平穏に会議を行うため」と述べつつ、「試行錯誤している。柔軟に対応したい」と述べました。

 田中委員長は、公安警察が同席しているのを「知らなかった」といいます。
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文中の・・・・は「中略」、一部太字化は事務局
【社説】 これからの原子力政策 民主・公開を求める
 東京新聞 20121011 

 原発推進の時代は終わり、原子力委は役目を終えた。原子力政策は、社会的合意と科学的検証に耐えねばならない。そのために民主・公開を強く求める・・・・
 
◆利用以外は考えない
  五六年一月一日、総理府(現内閣府)の中に、原子力委員会が設置された。・・・・原子力の研究開発と利用について、「民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し…」(第二条)とうたっている。科学界の要請で盛り込まれた「民主・自主・公開」の三原則が、迷走・暴走に歯止めをかけるはずだった
 ・・・・その二年前には、アイゼンハワー米大統領が国連総会で、原子力の平和利用を提唱していた。日本はこの時、米国のエネルギー戦略下に組み入れられた。基本法も委員会も、いわばその受け皿だった。はじめから「自主」など存在しなかったのだ。・・・・
 その後原子力開発の国産化が顕著になるにつれ、委員会を含め官、産、学等の“原子力ムラ”が形成された
 現在、原子力委は、(中 略)法律的にも歴史的にも、利用推進のための道筋を示す場所となってきた。アクセルはあるがブレーキがないクルマのように。

◆不信と不安の温床に
 ・・・・今後、原子力政策の根幹は、関係閣僚らでつくる政府のエネルギー・環境会議が担うという。
 ところが、3・11以降も絶えない不祥事、不手際に国民は驚き、不信を抱いている。

 福島原発事故のあと、原子力委の近藤駿介委員長は「ゼロからの出発で新大綱を議論する」と訴えていた。ところが、その近藤氏自身が新大綱の見直し作業の中で、策定会議の委員のうち、電力関係者ら原発推進側だけを集めた秘密会に出たことが発覚した。
 経済産業省や電力関係者だけに事前に会議の議案を示し、大飯原発3、4号機再稼働の妨げになるような議案を外す「議案隠し」も明るみに出た。
 基本法がうたう民主・公開の精神はみじんもなく、推進派だけで政策をコントロールできるという仕組みが見て取れる。

 エネ環会議への不信も深まっている。「原発ゼロ」の看板だけは掲げたものの、実現への道筋や具体策はなお、あいまいである。それどころか、大間原発新設工事の再開を認めるなど、民意とも自らの政策とも、矛盾するようなことばかりが目立つ。
  ・・・・

◆店じまいをするために
 ・・・・
 3・11後の原子力政策は、利用推進ではなく、原発をどう減らしていくか、廃炉も含めて後始末をどうするかがやはり基本になるだろう。
 エネ環会議が担うにしろ、新組織をつくるにしろ、民主と公開の原則を徹底させた決め方が必要になる。原子力をどうするかは、結局国民が決めるのだ。