2012年5月13日日曜日

原発は違憲!! 心穏やかに生きる権利守れ (伊藤真)

 原発の再稼働には国民の多数が反対し、湯沢町では7割の人たちが反対であることが、先日の「花まつり」の会場でのシールアンケートによって確認されました。

 ただ、「一致点で団結する(意見の割れる課題は持ち込まない)」というのが平和運動の原則だけど、「憲法9条」と「原発問題」は直接関係はなさそうだし・・・というのが普通の人たちの感覚ではないでしょうか。

 そんなところに、憲法記念日の東京新聞に「原発は違憲 心穏やかに生きる権利守れ」と中見出しのついた記事が掲載されました。それは私たちが2009年度から丁度2年間にわたって学習した「憲法の力(集英社新書 20077.22)」の著者で、憲法問題に詳しい伊藤真弁護士の談話をベースにしたものでした。

 彼は「憲法前文では、国民は平和のうちに生存する権利を有するとうたわれているが、この“平和”は、災害を含め、生活を脅かす脅威から免れて心穏やかに生きることができるということなので、その観点からみると原発は憲法違反だと考える。憲法は、放射能の危険にさらされないで生きたいという人権を保障している。テロの標的になり得て、攻撃されれば原爆と同じようになるものを持つべきではない(要旨)」と述べています。

 以下にその記事(抜粋)を紹介します。 

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被災地 幸福追求・生存権どこへ 今こそ憲法の出番
東京新聞201253 朝刊

  一人一人が尊重され、人間らしく平和で安全な社会に生きる。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故以降、だれもがその願いを切実にしていることだろう。65年前のきょう、日本国憲法が施行された。13条と25条が保障する権利の実現に国は努力しているのか。大震災の後、1,618人が関連死で亡くなっている。もうこれ以上、悲しみと苦しみを広げてはいけない。
 

(中 略 ・・・約100世帯の被災者たちが入居している宮城県石巻市の仮設住宅における悲惨な実態が記述されている) 

◆原発は違憲 心穏やかに生きる権利守れ

 憲法は、少数の人権を守るため、多数に基づく民主的政治に時として縛りをかけるものです。今回の震災では2万人近い人が亡くなり、帰宅できない人は34万人を超える。大変な被害ですが全人口からすれば少数です。厳しい言い方をすれば、ほとんどの国民にとっては「人ごと」。この事実を、まず直視しなければいけない。

 被害者が多数なら、多数で物事を決める民主主義のルートで支援策を決めればいいのですが、今こそ少数者の権利を守る憲法が必要です。

 幸福追求に対する権利を保障する13条、健康で文化的な最低限度の生活を保障する25条の訴えは切実です。被災して人間らしい生活と程遠い生活を強いられている人たちは「すばらしい憲法があるのになぜ私たちは…」と歯がゆく思っているでしょう。

 憲法は、一人一人が自分の権利を主張するのを認めている。被災者がそれぞれ違う権利を主張するのは、わがままではない。みんなと違うことを言うと申し訳ないと感じるのは、間違いです。

 憲法前文では「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあります。「平和」とは単に戦争のない状態ではなく病気や飢餓、貧困や人権侵害、災害を含め、生活を脅かす脅威から免れて心穏やかに生きることができる、ということ。13条はさらに生命の脅威を排除することも人権として保障しています。

 その観点からみると原発は憲法違反だと考えます。放射能の危険にさらされないで生きたいという人権を、憲法は保障しています。憲法の平和主義の根幹は攻撃されない国をつくること。テロの標的になり得て、攻撃されれば原爆と同じようになるものを持つべきではない。核と原子力。英語ではどちらも「nuclear」なのに日本では使い分けてきたのです。

 震災では、憲法が国民の血肉になっていないことが分かりました。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。前文の理想を具体化しなければなりません。憲法は、政治家に守らせる法。守らせるためには、国民も憲法の内容を知らなければなりません。 

 <伊藤真 いとう・まこと> 1958年生まれ、東京都出身。東大法学部卒、資格試験の受験指導校「伊藤塾」を主宰。憲法の理念を広げる活動にも取り組む。近著「憲法が教えてくれたこと」は女子高校生が主人公の小説仕立てで、中高生向けに憲法の価値を説いている。