2014年4月25日金曜日

集団自衛権行使容認には憲法改正が必要 憲法審査会

  24日、衆議院憲法審査会の質疑のなかで自民党が憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に理解を求めたのに対し、民主党や公明党は行使容認には憲法改正が必要だという認識を示しました。
 
 民主党の枝野議員は「『集団的自衛権の行使は憲法9条に違反し、許されない』という長年定着した解釈を正面から否定し行使を容認することは許されない。行使できるようにしたいのであれば憲法を改正すべきだ」と述べました。
 
 公明党の北側議員も「『憲法9条のもとで集団的自衛権の行使は禁止される』という政府見解は歴代政権が国会で繰り返し答弁してきたもので、尊重しなければならない。この見解をとらないのであれば筋としては憲法改正が適切だ」と述べました。
 
 言うまでもないことですが、憲法改正には時間が掛かる手間がかかるからなどは何の口実にもなりません。
 問題は安倍首相なりが、こうした正論を受け入れて姿勢を正すのか、あるいはこれまでのように「政府方針」、「閣議決定」という不法なやり方にあくまでもこだわるのか、に尽きているという感じです。
 
 ところで東京新聞は4月21日の【私説・論説室から】というコラムで、安倍首相が集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする理由に、「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」と強調しているが、それは7年前の安倍政権のときにも、「わが国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており」とと同じことを述べていると暴露して、「それならなぜ後任の福田康夫首相じめとする数人の首相たちは、憲法解釈の変更や憲法改正を目指さなかったのか」と、疑問を呈しています。
 
 まさに「何とかの一つ覚え」という言葉を思い出させるとともに、主張の不実と軽さを示すものです。
 そのコラムも併せて紹介します。
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集団的自衛権行使容認には憲法改正が必要
NHK NEWS WEB 2014年4月24日
国民投票法の改正案を巡る衆議院憲法審査会の質疑のなかで、集団的自衛権の行使について、自民党が憲法解釈の変更による行使容認に理解を求めたのに対し、民主党や公明党は行使容認には憲法改正が必要だという認識を示しました。
 
このなかで、自民党の船田・憲法改正推進本部長は集団的自衛権の行使について「憲法9条の改正によって認めるのが望ましい姿であるが、相当な時間がかかる。わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増すなか、当面は憲法解釈の変更で対応せざるを得ず、その場合でも極めて限定的に行うことが適当だ」と述べました。
 
民主党の枝野・憲法総合調査会長は「内閣が、諸条件の変化などを考慮して憲法解釈を変更する余地のあることは否定しないが『集団的自衛権の行使は憲法9条に違反し、許されない』という長年定着した解釈を正面から否定し行使を容認することは許されない。行使できるようにしたいのであれば憲法を改正すべきだ」と述べました。
 
公明党の北側・憲法調査会長は「『憲法9条のもとで集団的自衛権の行使は禁止される』という政府見解は長年国会で歴代政権が繰り返し答弁してきたもので、尊重しなければならない。この見解をとらないのであれば国民の理解を得て変更していくべきであり、筋としては憲法改正が適切だ」と述べました。
 
一方、自民党の船田氏は、憲法改正案の国会発議について「4回から5回に分けて行い、1回ごとに3問から5問程度を国民投票にかけることになるのではないか」と述べました。
 
 
首相の奇妙な状況認識 【私説・論説室から】
東京新聞 2014年4月21日
 集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする安倍晋三首相は「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」と繰り返す。この言葉は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を再招集した昨年二月八日の冒頭発言で示された。
 おや…、第一次政権で最初に安保法制懇を招集した際の安倍首相の冒頭発言をみつけた。「わが国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており」(二〇〇七年五月十八日)とある。今の言葉と変わりない。
 すると「わが国を取り巻く安全保障環境」は七年前から危機的だったことになる。この状況認識は奇妙というほかない。
 第一次政権で北朝鮮が核実験を行ったのは〇六年十月の一回だけ。二回目と三回目の核実験、長距離弾道ミサイルの試射に成功したのも、また中国との間で尖閣問題が浮上したのも第一次政権が終わった後である。
 七年前から危機が迫っていたのなら、なぜ後任の福田康夫首相は憲法解釈の変更を勧めた安保法制懇の報告書を無視したのか。福田氏を含め自民党で二人、民主党で三人いた後任の首相はなぜ、憲法解釈の変更や憲法改正を目指さなかったのか。
 安全保障環境をめぐる、安倍首相の奇妙な認識は、集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう。 (半田滋)